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フラガラッハ(Fragarach

分類神剣
表記◇フラガラッハ(健部, グリーンa), ◇フラグラッハ(グリーンb)
◇Freagarthach(O'Curry, Ellis), ◇Fragarach(健部, グリーンa, b), ◇Frecraid, Fragarach, Freagarach(MacKillop)
語意・語源◇「回答者」(八住), ◇「応酬丸」(三宅, 井村), ◇「報復するもの, 返答するもの」(健部), ◇「応答者」(市川訳), ◇「応答丸」(鶴岡訳), ◇「応答丸」・"Answerer"(グリーンb), ◇"Retaliator"(O'Curry), ◇"The Answerer"(Joyce, Ellis), ◇"answerer"(MacKillop)
系統神話物語群
主な出典◇『トゥレンの息子たちの最期』 (Aided Chlainne Tuirenn
神話物語群に分類される初期アイルランド文学。トゥアタ・デー・ダナンのトゥレンの息子たち(ブリアン、イウハル、イウハルバの三兄弟)がキアンを殺し、贖罪のためにキアンの息子ルグから解決できそうもない八つの難題を課される。アイルランド三大悲話の一つ。18世紀の多くの写本に初期近代アイルランド語で残る。P.W.ジョイス(Patrick Weston Joyce, 1827-1914)は『ケルトのロマンス』(Old Celtic Romances, David Nutt, 1879)の中で、「トゥレンの子たちの運命」(The Fate of the Children of Turenn)と題してこの物語を翻訳・再話している。その直接の典拠は不明だが、ジョイスによれば、『レカンの書』(The Book of Lecan, 1416頃)に短い記事が載るほか、十全な物語のテクストとその英訳がユージン・オカリー(Eugene O'Curry, 1796-1862)によって発表されているという。また、ロイヤル・アイリッシュ・アカデミーには良質の写本が複数残っている。(マイヤー, Joyceほか)
参考文献 ◇八住利雄編 『世界神話伝説体系40 アイルランドの神話伝説〔Ⅰ〕』 名著普及会, 1981.2(1929.3)
◇三宅忠明 『アイルランドの民話と伝説』 大修館書店, 1978
◇井村君江 『ケルトの神話』 筑摩書房, 1990.3(1983.3)
◇健部伸明と怪兵隊 『虚空の神々』 新紀元社, 1990.5
◇フランク・ディレイニー(鶴岡真弓監修, 森野聡子訳)『ケルト―生きている神話』 創元社, 1993.3
◇ソフィア・モリソン(ニコルズ恵美子訳, 山内玲子監訳)『マン島の妖精物語』 筑摩書房, 1994.10
◇小辻梅子訳編 『ケルト魔法民話集』 社会思想社, 1995.6
◇M.J.グリーン(市川裕見子訳)『ケルトの神話』 丸善, 1997.5 [a]
◇佐藤俊之とF.E.A.R 『聖剣伝説』 新紀元社, 1997.12
◇中野節子訳 ; 徳岡久生協力 『マビノギオン 中世ウェールズ幻想物語集』 JULA出版局, 2000.3
◇フランク・ディレイニー(鶴岡真弓訳)『ケルトの神話・伝説』 創元社, 2000.9
◇ベルンハルト・マイヤー(鶴岡真弓監修, 平島直一郎訳) 『ケルト事典』 創元社, 2001.9
◇ジャン・マルカル(金光仁三郎, 渡邉浩司訳)『ケルト文化事典』 大修館書店, 2002.7
◇ミランダ・J・グリーン(井村君江監訳, 渡辺充子, 大橋篤子, 北川佳奈訳)『ケルト神話・伝説事典』 東京書籍, 2006.8 [b]
◇P. W. Joyce, Old Celtic Romances, The Talbot Press, 1961(Second edition 1894)
◇P. W. Joyce, Old Celtic Romances, Gill and Mamillan Ltd (The Sackville Library Edition), 1978(Third Edition 1907)
◇Gertrude Jobes, Dictionary of Mythology Folklore and Symbols, The Scarecrow Press, 1962
◇Frank Delaney, The Celts, HarperCollinsPublishers, 1993(1986)
◇Peter Berresford Ellis, Dictionary of Celtic Mythology, ABC-CLIO, 1992
◇James MacKillop, Dictionary of Celtic Mythology, Oxford University Press, 1998


◆ルグの魔剣フラガラッハ

諸書によれば、トゥアタ・デー・ダナンの医師ディアン・ケーフトの息子キアン(Cian)を父に、フォウォレの統率者バラルの娘エトネ(Ehtne)を母に持つ、ルグ・マク・エトネン(Lug mac Ethnenn)は、フラガラッハという名の魔剣を持っている※1。それは、海の向こうにある異界の支配者マナナーン・マク・リル(Manannán mac Lir)から贈られたものである(マナナーンについては後述の〈おまけ1〉を参照)。その典拠となっているのは、神話物語群に属する物語『トゥレンの息子たちの最期』だが、まずはこの剣に言及する日本語文献を幾つか見ておこう。

健部伸明と怪兵隊の『虚空の神々』(1990)によれば、ルー(ルグ)の「左の腰には、魔の十字剣「フラガラッハ(Fragarach - 報復するもの、返答するもの)」が下げられて」いる。「この剣身を見た敵は、官能的な女性に見つめられた時のように力失せ、誘われるようにして切り伏せられる」。「そして切られたならば、決して生き残ることはできない」。また、この剣は「海神マナナーンの宮殿を旅立つ際に、贈り物としてもらったもの」だという(p.121)。

続いて、ミランダ・J・グリーン(市川裕見子訳)の『ケルトの神話』(1997)によれば、トゥアハ・デ・ダナン族(トゥアタ・デー・ダナン)の海の神マナナーンは「どんなよろいも突き通すことのできる剣フラガラッハ(「応答丸」)」を持っている(p.26)。また、同書には、「戦闘ではルーは自身の魔法と、マナナーンの魔法の剣および船の双方を用いた」ともあり、健部と同様、その剣の使用者をルー(ルグ)としている。同書にはケルト学者土居敏雄による「関係固有名詞・用語表」がついているが、ここにも「フラガラッハ,Fragarach……マナナーンの刃の名」との記載がある(p.183)。

同じグリーン(井村君江監訳)の『ケルト神話・伝説事典』(2006)にも、「マナナン・マク・リール(Manannán mac Lir)」の項に「神の戦士ルーは、フォモール族を征服するためにヌァザとダーナ神族を援助したときに、マナナンから魔法の贈り物をもらう。それはオールも帆もなしに船乗りの考えで進む船「静波号」と、陸も海も同じように旅することができる馬と、どんな戦士をも刺しつらぬくことができる「フラグラッハ」(応答丸)という名前の怪剣だった」との記述がある(p.234)。また、「ルー(Lugh)」の項には、「フォモール族に対するダーナ神族を助けるため、ルーは海神マナナンの舟「静波号」や、何でも切り倒す剣「応答丸」をもってくる」という記述もある(p.262)。

※1 : 以下、アイルランド関係のカナ表記は基本的にベルンハルト・マイヤー(平島直一郎訳)の『ケルト事典』(2001)もしくはジャン・マルカル(金光仁三郎、渡邉浩司訳)の『ケルト文化事典』(2002)に拠る。また、特定の文献の内容を紹介する場合には、その文献のカナ表記に従うが、それが『ケルト事典』のカナ表記と異なっている場合は、括弧内に『ケルト事典』のカナ表記を示す。


◆応答者=アンサラー(Answerer)

以上、健部は「フラガラッハ」を「報復するもの、返答するもの」の意とし、グリーンの『ケルトの神話』及び『ケルト神話・伝説事典』は、いずれも「応答丸」と訳している。「フラガラッハ」とは、「答えるもの」という意味なのである。また、『ケルト神話・伝説事典』の索引には、「「応答丸」(IR 剣の名) Fragafach, Answerer」と記載されているが(p.297)※2、この剣の名は英語で“Answerer”と訳されることがあり、邦語文献にも「アンサラー」というカタカナ表記でしばしば登場する。

例えば、井村君江の『ケルトの神話』(1983/1990)は、ルーの持つ剣は「どんな固い鉄でも貫いてしまう魔剣、応酬丸(アンサラー)」であると述べている(p.89。引用文中の括弧はルビ。以下同じ)。また、三宅忠明の『アイルランドの民話と伝説』(1978)も「応酬丸(アンサラー)という剣は、どんなにかたい鉄でも刺し通した」と、ほぼ同様の記述をしている(p.119)。さらに、フランク・ディレイニー(鶴岡真弓訳)の『ケルトの神話・伝説』(2000)も、ルーは「〈応答丸(アンサラー)〉と呼ばれる剣を携え、どんな鎖をも切り裂くことができた」と書いている(p.47)。

また、八住利雄編の『アイルランドの神話伝説〔Ⅰ〕』(1929/1981)は、ルフ(ルー)が持っているのは「いかなる鎧をも突き通すことができる」「『回答者』という名のついた魔法の剣」である(p.35)とする一方、海神マナナンも「いかなる鎧をも突き通すことができ」る「アンスウエラー(Ansuerer)という名のついた剣」を持つとしている(p.57)。この「アンスウエラー(Ansuerer)」も、間違いなく“Answerer”のことだろう。ここまでに取り上げた諸書における剣名の原語カナ表記・日本語訳・英訳を一覧にすると、以下のようになる。

原語(ゲール語?)日本語訳英訳
八住(1929/1981)回答者アンスウエラー(Ansuerer)
三宅(1978)応酬丸アンサラー
井村(1983/1990)応酬丸アンサラー
健部(1990)フラガラッハ(Fragarach)報復するもの、返答するもの
グリーン(1997)フラガラッハ(Fragarach)応答者
ディレイニー(2000)応答丸アンサラー
グリーン(2006)フラグラッハ(Fragarach)応答丸Answerer

※2 : 文中の"IR"は、アイルランド神話に登場する事項であることを示す略号。なお、この索引は原書にはなく、日本語訳出版にあたって付加されたものらしい(同書の井村君江による解説(p.271)参照)。


◆神話物語『トゥレンの息子たちの最期』

健部伸明と怪兵隊の『虚空の神々』(1990)、グリーンの『ケルトの神話』(1997)などは、いずれも概説書なので、この剣がどのような物語に登場するものなのか、つまり、出典が何処にあるのかがよく分からない。しかし、井村君江の『ケルトの神話』(1983/1990)や、三宅忠明の『アイルランドの民話と伝説』(1978)は、この剣を神話物語群に属する物語でアイルランド三大悲話の一つともされる『トゥレンの息子たちの最期』の再話中に登場させている。ここでは出典を確認するため、まずは小辻梅子訳編の『ケルト魔法民話集』(1995)所収「トゥレンの子たちの運命」から、その冒頭、長腕のルーグ(ルグ)の装備を説明する一節を引用する。

マナナンの剣、アンサラーは彼の左腰にかかっていた。それで受けた傷から回復した者はいない。戦場でそれを突きつけられた者は見ただけでおびえて、力が失せ、瀕死の女よりも弱々しくなるのだった。(p.12)

小辻はこの物語をP・W・ジョイスの『ケルトのロマンス』(Old Celtic Romances, 1879)から訳出したという(p.317)。そこで、続いてジョイスの原文を確認してみよう。引用するのは、P. W. Joyce, Old Celtic Romances, Gill and Mamillan Ltd (The Sackville Library Edition), 1978(Third Edition 1907)所収"The Fate of the Children of Turenn"である。

Mannanan's sword, the Answerer, hung at his left side: no one ever recovered from its wound; and those who were opposed to it in the battle-field were so terrified by looking at it, that their strength left them till they became weaker than a woman in deadly sickness.(p.38)

忠実に訳されているのが分かるだろう。剣名はやはり"Answerer"である。一方、ジョイスはその序文(Preface)の"THE FATE OF THE CHILDREN OF TURENN"の項で、"The full tale, text and literal translation, has been pubished by O'Curry in the Atlantis."と述べている。このO'Curryとは、マイヤーの『ケルト事典』(2001)に載る、アイルランドの古文書学者で歴史学者のユージン・オカリー(Eugene O'Curry, 1796-1862)のことだと思われる(p.51)。そこで今度は、ジョイスが言及している文献に該当すると考えられる Eugene O'Curry, "The Fate of the Children of Tuireann", Atlantis Vol. IV, 1863 を引用してみる。

and he had the Freagarthach ["Retaliator"], Manannan's sword, at his side; and [its charm was such that] it never wounded any one who could come away alive from it, [i.e. no one survived a wound form it;] and that sword was never bared on the scene of a battle or combat, in which so much strength as that of a woman in childbirth would remain to any preson who saw the sword who was opposed to it [i.e. no one opposed by that sword seemed to have any greater strength]. (p.163)

剣の説明自体は、ジョイスとほとんど変わらないようだが、名前の綴りが健部やグリーンとは異なり"Freagarthach"となっており、その英訳は"Retaliator"、すなわち「報復するもの」とされている。これは、健部が剣名の意味を「報復するもの, 返答するもの」としていた、その前者に対応するものだろう。「答えるもの」よりも、こちらの方が「武器らしい」かも知れない。

ここまで見てきた小辻、ジョイス、オカリーによれば、この剣の能力は「この剣によってつけられた傷は回復しない(傷つけられたら生き残れない)」(Ⅰ)、「この剣は見せられただけで力が失せる」(Ⅱ)の二つである。これは、最初に紹介した健部の記述とも一致する。しかし、グリーンら他の複数の諸書には、「どんなもの(鎧)も突き通す」(Ⅲ)という、剣の切れ味への言及が見られる。

この三つ目の能力については出典不明だが、例えば、James MacKillop, Dictionary of Celtic Mythology, 1998 の"Frecraid, Fragarach, Freagarach"の項にも、"Terrible sword of Manannán mac Lir that could pierce any mail and whose wound was fatal. It was brought by Lug Lámfhota from Tír na mBeó[the Land of the Living]."とある。つまり、「どんな鎧も突き通して、致命傷を負わせることの出来るマナナーン・マク・リル(Manannán mac Lir)の恐ろしい剣。それは、ルグ・ラーウファダ(Lug Lámfhota)によってティール・ナ・メオ(Tír na mBeó―生者たちの国)よりもたらされた」という(p.215)。切れ味の良さは、剣を賞賛するときの常套表現とも見なせるが、これだけ繰り返されるところを見ると、何らかの典拠があるのかも知れない。


◆斬返しの剣と名剣はやて丸

マン島の民間伝承研究家ソフィア・モリソン(Sophia Morrison, 1859-1917)の『マン島の妖精物語』(ニコルズ恵美子訳1994)には、海の息子マナナン・マック・エ・リィア(マナナーン・マク・リル)が「切られればかならず致命傷になるという、『斬返しの剣』と呼ばれた剣を持って」いたという話が載っている(p.167)。さらに、「それからマナナンは、愛蔵の『斬返しの剣』と呼ばれる魔性の名刀をロッフの腰につけてやった。この名刀で切られたが最後、だれ一人として生きながらえる者はなく、戦いの相手は恐れおののいて力が失せてしまうのだった」と、この剣を養父マナナンが「長い腕のロッフ」(ルグ)に与える話まで載っているのである(p.187)。これは、明らかにフラガラッハのことだろう。使い手だけではなく、能力の説明まで、先に引用した小辻以下の記述と一致している。この本の原書が出版された1911年当時の段階で、マン島にはまだフラガラッハの伝説が生きていたのかも知れない。

最後に、フランク・ディレイニー(鶴岡真弓監修、森野聡子訳)の『ケルト―生きている神話』(1993)に面白い記述を見つけたので、これを紹介しておきたい。同書にも『トゥレンの息子たちの最期』が「トゥレンの子どもたち」として再話されているのだが、その冒頭、やはりルフ(ルグ)の装備を紹介する箇所に次のような記述がある。

 ルフの持ち物は、天と地にあるもの、そして天地のあいだで輝くものすべてでした。天の川はルフの銀鎖。虹は七色の投石器。腰には、返す一撃でどんな鎧や武器でも貫き通す名剣<はやて丸>。(p.107)

この名剣<はやて丸>が本頁で扱っているフラガラッハのことを指しているのは間違いないだろう。その能力は、グリーンなどと同じ「どんなものも突き通す」(Ⅲ)だが、その名前は随分異なっている。それでは、ディレイニーの英語原文では何と呼ばれていたのだろうか。Frank Delaney, The Clets, 1986 から当該箇所を引用してみよう。

 And Lugh's possessions belonged to the heavens and the earth and all that gleamed in between. He wore the Milky Way as his silver chain: he carried the rainbow as his seven-coloured sling: his sword, the Answerer, could sever any armour or weapon: ...(p.69)

ごく普通に"the Answerer"である。これを<はやて丸>と訳すのは、ほとんど創作だが、同書が専門書ではない(著者のディレイニーは研究者ではなくジャーナリスト)ことから、より武器らしい名前に改変したのかも知れない。確かに「回答者」では、剣の名前らしくないが、らしさを求めるなら「応酬丸」、でなければ普通に「報復するもの」で良かったような気もする。



〈先行研究批判?:フラガラックとアンサラー〉

新紀元社のTruth In Fantasyシリーズの一冊、世界の神々や英雄の持つ武器を紹介した、佐藤俊之とF.E.A.R 著『聖剣伝説』(1997)は、「光の神ルー」の所持する剣として「光の剣フラガラック」を挙げている。その全文をまずは引用しよう。

 ルーは槍だけではなく剣も持っていた。これは、古代ケルト神の武装と同じである。その片手剣の名をフラガラックといい、輝く刃はどんな鎧をもバターのように切り裂く、鋭い切れ味を持っていた。また、それだけでなくルーがそう望めば鞘からひとりでに抜けて彼の手に滑り込んで、それを投げれば、また自ずから戻ってくるという不思議な力を持っていた。そのため、この剣にはアンサラーつまり「応酬丸」と呼ばれることもある。(p.17)

「この剣には」の「に」は原文のまま。それはともかく、「鎧も突き通す」という切れ味への言及がここにも見られる。一方、「投げれば戻ってくる」という能力の説明は、他では見かけないものである。その他、気になるのは「そのため」以下の記述で、これは厳密に言えば誤りである。「アンサラー」「応酬丸」は本文で見たとおり、「フラガラッハ」の英訳名・日本語訳名であって別名ではない。この記述の典拠は、おそらく同書の参考文献一覧に載る Gertrude Jobes, Dictionary of Mythology Folklore and Symbols , 1962 にある。この事典には、"FRAGARACH"の項目があり、次のような説明がある。

In Irish mythology a terrible and wonderful sword which Lugh carried with him from the land of living. It was able to cut through any armor and was called Answerer.(p.606)

試みに訳すと、「アイルランドの神話において、ルグ(Lugh)が生命の国から運んできた恐ろしくも不思議な剣。それはどんな鎧も切り通すことができ、アンサラー(Answerer)と呼ばれた」といったところだろう。この最後の部分から、『聖剣伝説』の著者は「アンサラー」を別名だと誤認したものと考えられる。一方、「投げれば戻ってくる」という能力の説明はここにもなく典拠不明。「応酬丸」という「アンサラー」の日本語訳は、参考文献一覧にある井村の『ケルトの神話』(1990)によったものと考えられる。

また、「フラガラック」というカタカナ表記は、同じ出版社から出ている健部伸明と怪兵隊の『虚空の神々』(1990)とも異なり、『聖剣伝説』のオリジナルである可能性が高い。同様のことを「ダインスレフ(Dainslef)」などでも行っているが、"FRAGARACH"の綴りから独自に(適当に?)作ったものだろう。"Fragarach"に「フラガラック」というカナ表記をあてることの妥当性は、語学に疎い私にはよく分からない。ただ、健部伸明や、グリーン著『ケルトの神話』の訳者市川裕見子(及びケルト学者の土居敏雄)を信じるなら、原語の読みは「フラガラッハ」「フラグラッハ」の方が妥当なのではないだろうか。



〈おまけ1:異界の支配者マナナーン・マク・リル〉

「マナナーン・マク・リル」とは何者か。そんな疑問に対しては、よく「トゥアタ・デー・ダナンの一人で、海神リルの息子」といった説明がなされる。井村君江の『ケルトの神話』(1983/1990)でも、代表的なダーナ神族(トゥアタ・デー・ダナン)として紹介され、「海の神リールの息子で、父リールより海神としての性質を多く備えている。海のかなたの「常若の国」の王」などと説明されている(p.73)。しかし、話はそう単純ではない。以下、マイヤーの『ケルト事典』(2001/原著1994)、マルカルの『ケルト文化事典』(2002/原著1999)、グリーンの『ケルト神話・伝説事典』(2006/原著1992)のマナナーンに関する項目を抜粋してみる。

 アイルランド文学において,海の向こうにあり,文献ではエウィン・アヴラハ,マグ・メル,あるいはティール・タルンギリと呼ばれる,謎に満ちた異界の支配者。マク・リル《海の子》の名前は,マナナーンが海を住処としていることを指している。盛期及び後期中世の学者は,リルという語をマナナーンの父親の名前と説明した。しかし,このリルという人名は,白鳥の騎士伝説のアイルランド語ヴァージョンで,15世紀に作られた物語『リルの子供たちの最期』の登場人物として初めて現れる。
 (中略)後代の文献では,マナナーンはしばしばトゥアタ・デー・ダナンの一人に数えられ,例えば魔の霧フェート・フィアダのような魔術的な性格を帯びた贈物の提供者とされる。(p.226-227)
 マナナーンは,マン島の名祖となったアイルランドの神話上の人物である.マナナーンは,リルの息子で,トゥアタ・デー・ダナンの一員である.(後略)(p.143)
 マナナン・マク・リールはアイルランドの海の神リールの息子だった。初期の神話文献においてマナナンは、ダーナ神族の1人としてはとくにあげられていないが、のちのテキストではそのなかに含まれている。海の神としてのマナナンはアイルランドの保護者であり、アイルランドを守るという彼の力で島を包む。(中略)
 マナナンは伝統的にマン島に関連があって、彼はこの島の初代の王とされている。おそらく彼はウェールズの神話のマナウィダンと同一神であろう。(p.234)

まず、トゥアタ・デー・ダナンの一人か否かという点だが、これを全面的に肯定しているのはマルカルだけである。マイヤー、グリーンによれば、そのように言われるようになるのは後代になってからのことらしい。「リルの息子」という点に関しても、マルカル、グリーンは肯定しているが、マイヤーは慎重である。「マク・リル」は本来「海の子」の意であり、「リル」という人物は後代になってから作られたものではないか、というのである。最後に、グリーンが指摘するウェールズ神話のマナウィダンとの関係だが、これに関しては中野節子が『マビノギオン 中世ウェールズ幻想物語集』(2000)の訳注で次のように疑義を呈している。

 《第三話》の主人公マナウィダンを、アイルランドの海神マナナン・マック・リールと結びつけて考えることには、さまざまな限界があると思われる。その根本にある矛盾は、人間の男女をその魔力によって破滅に導くよこしまな魔法使いマナナンに対して、このマナウィダンがあくまでも、忍耐と知性を併せもつ、穏やかな貴人の風格を備えて登場してくるからである。(p.421)

私自身の「感想」を述べるなら、マナナンの出自は、やはりトゥアタ・デー・ダナンとは少し違うのだろう。また、「マク・リル」を「海の子」の意とするマイヤーの説明は説得力がある。マナウィダンとの関係については、中野の言うような性格の相違は、地域差と言えば、言えそうな気がする。グリーンはウェールズ大学の教授であり、ウェールズに疎いとも思えない。文学研究者(中野)と考古学者(グリーン)の見解の相違だろうか。ただ、グリーンはマナウィダンの項で「マナウィダンはスィール(Lly^r)の息子で、元来ウェールズではアイルランドのマナナンと等しいものであるが、マナナンと異なり海の神だという証拠はない」と述べている(p.233)。だとすれば、そもそもマナナンとマナウィダンを結びつける根拠は何なのか。名前の類似? よく分からない。個人的には、訳文の今一つな『ケルト神話・伝説事典』よりも、『マビノギオン』への愛をひしひしと感じる中野の肩を持ちたいところである。

いずれにしても、「マナナーン・マク・リルとは何者か?」という質問に一言で答えることはかなり難しい、ということが分かっていただけたと思う。そして、神話・伝説上の存在を説明する際には、しばしば同様の困難に直面する。このサイトの詳細ページがどれもこれも長くて、記述が分かりにくかったりするのは、私の文章力の無さのせいだけではないのである(もちろん言い訳だが)。



〈おまけ2:鉄兜カフヴァール(Cathbharr)〉

小辻梅子訳編の『ケルト魔法民話集』(1995)は、長腕のルーグ(ルグ)の装備している鉄兜の名前も挙げている。本館は「武器博物館」であり、防具を扱うつもりは今のところないが、兜の名前というのも珍しいので一応書き留めておく。なお、出典は先ほどと同じ、P・W・ジョイスの『ケルトのロマンス』(Old Celtic Romances, 1879)所収の「トゥレンの子たちの運命」である。また、引用文中の「イルダナ」は、ルグを指している。

 それから彼らは戦いの準備をした。イルダナはマナナンの鎖帷子と胸当てを着けた。カフヴァールと呼ばれる鉄兜も着けた。太陽の光で目も眩むようにきらきら輝いた。(p.25)

鉄兜カフヴァールの登場である。先ほどと同様、ジョイスの原文を確認してみよう。引用するのは、P. W. Joyce, Old Celtic Romances, Gill and Mamillan Ltd (The Sackville Library Edition), 1978(Third Edition 1907)所収"The Fate of the Children of Turenn"である。

  Then they made ready for the fight. The Ildana put on Mannanan's coat of mail and his breast-plate; he took also his helmet, which was called Cannbarr, and it glittered in the sun with dazzling brightness; ...(p.49)

綴りは"Cannbarr"となっており、「カフヴァール」というカナ表記には少々違和感を感じる。語学の素養がないので何とも言えないが、どちらかといえば「カンヴァール」ではないのか。実は、P. W. Joyce, Old Celtic Romances, The Talbot Press, 1961(Second edition 1894)所収"The Fate of the Children of Turenn"では、同じ箇所が次のように書かれている。

  Then they made ready for the fight. The Ildana put on Mannanan's coat of mail and his breast-plate; he took also his helmet, which was called Cathbharr, and it glittered in the sun with dazzling brightness; ...(p.35)

最初に引用したのは、『ケルトのロマンス』の第三版(1907)、次に引用したのは第二版(1894)である。小辻が参照していたのは、少なくとも第三版ではなく、この第二版もしくは未確認の初版(1879)なのだろう。"Cathbharr"なら、「カフヴァール」と表記されても良さそうな気がする。それでは、Eugene O'Curry, "The Fate of the Children of Tuireann", Atlantis Vol. IV, 1863 ではどのように表記されているのだろうか。

  He [Lugh] then put on Manannan's Lorica; and [its charm was such that] the man upon whom it should be could not be wounded through it, nor below it, nor above it. He put on Manannan's breast-piece at the small of his neck; and he put on his helmet; which was called the Cénnbhearr; and his countenance had the radiance of the sun, from the reflenction of the helmet; ...(p.177)

綴りは"Cénnbhearr"である。ジョイスは、第三版でこの綴りにより近い表記を採用したということだろうか。"Answerer"のように英訳しなかったのは、この語の意味が分からなかったからかも知れない。なお、オカリーはこの語に次のような脚注をつけている。

This is the ordinary name for a helmet in all our old writings. It is compounded of Ceann, the head, and barr, the top, or covering.(p.176)

直訳すると、「これは、すべての我々の古い文書における兜のための普通の名前である。それは"Ceann"(頭)と"barr"(頂上もしくは覆い)との合成語である」といったところだろう。つまり、カフヴァールは特定の(ここではルグの)兜の固有名詞ではなく、ゲール語で兜を指す普通名詞のようなものなのだと思われる。名前コレクターとしては少々残念だが、テレビゲームの防具名くらいになら使えるかも知れない。


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Copyright (C) 2004-2009 Akagane_no_Kagerou
2004/09/06:初版
2004/10/31:加筆修正
2009/07/13:「◆神話物語『トゥレンの息子たちの最期』」及び〈おまけ1〉を加え、その他も全面的に改訂
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