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“急進”(Foga&“殺し屋”(Cosgrach
&
ゴーム・グラス(Gorm Glas

分類名槍名槍名剣
表記◇Cosgrach(Mackinnon)◇Foga(Mackinnon)◇ゴーム・グラス(森定)
◇Gorm Glas(Gregory, Ellis)
語意・語源◇「殺し屋(スローター)」(三宅)
◇"Slaughter"(Joyce, Flood)
◇"Victorious"(O'Flanagan, Hull)
◇「急進(ダート)」(三宅)
◇"Dart"(Joyce, Flood)
◇"Cast"(O'Flanagan)         
◇"Gapped spear"(Hull)
◇「緑青丸」, 「緑青丸(グリーンブルー)」(三宅)
◇「蒼緑(ブルー・グリーン)」(森定)
◇"Blue-green blade"(Joyce)
◇"Blue Green"(Gregory)
◇"Blue-green Blade"(O'Flanagan)
◇"Blue green"(Ellis)
系統アルスター物語群
主な出典◇『ウシュリウの息子たちの流浪』 (Longas mac nUislenn
アルスター物語群に分類される初期アイルランド文学の物語。絶世の美女デルドレ(デルドリウ、デアドラ)とウシュリウの息子ノイシウとの悲恋を描く。『クアルンゲの牛捕り』の前話の一つ。最古の稿本は9世紀の成立とされ、『レンスターの書』(1160年頃)や『レカンの黄書』(14世紀末)、大英博物館所蔵の"Egarton, 1782"、エディンバラの弁護士図書館所蔵の"Glenmasan Manuscript"など、19世紀までのものに限っても、5つ以上の版が現存する。また、民間の伝承ではアイルランドだけで80話以上が採集され、イェイツ(William Butler Yeats, 1865-1939)やシング(John Millington Synge, 1871-1909)といった20世紀を代表する文豪もこれを劇化している。ただし、本頁で扱う武器は一部の版にしか登場せず、『レンスターの書』や『レカンの黄書』には登場しない。本頁の武器がすべて登場し、かつ日本語で読めるものには、P.W.ジョイス(Patrick Weston Joyce, 1827-1914)による再話、『ケルトのロマンス』(Old Celtic Romances, 初版1879・第三版1907)所収「ウシュナの息子たちの運命」(Fate of the Sons of the Usna)があるが、これは『レンスターの書』より数世紀遅れて作成されたらしい、ダブリンのトリニティー・カレッジ所蔵の稿本にもとづくものだという。(詳細は本文参照)
参考文献 ◇フィオナ・マクラオド(松村みね子訳)『かなしき女王』 沖積舎, 1989.9(1925.3)
◇八住利雄編 『世界神話伝説体系40 アイルランドの神話伝説〔Ⅰ〕』 名著普及会, 1981.2(1929.3)
◇三宅忠明 『スコットランドの民話』 大修館書店, 1975.12
◇三宅忠明 『アイルランドの民話と伝説』 大修館書店, 1978.5
◇フィオナ・マクラウド(荒俣宏訳)『ケルト民話集』 筑摩書房, 1991.9(1983.2)
◇井村君江 『ケルトの神話』 筑摩書房, 1990.3(1983.3)
◇J・ジェイコブズ(木村俊夫, 山田正章訳)『ケルト民話集T ディアドレ』 東洋文化社, 1989.7
◇健部伸明と怪兵隊 『虚空の神々』 新紀元社, 1990.5
◇小辻梅子訳編 『ケルト幻想民話集』 社会思想社, 1993.8
◇小辻梅子訳編 『ケルト魔法民話集』 社会思想社, 1995.6
◇イアン・ツァイセック(山本史郎, 山本泰子訳)『図説ケルト神話物語』 原書房, 1998.6
◇ジョーゼフ・ジェイコブズ編著(山本史郎訳)『ケルト妖精物語Ⅰ』 原書房, 1999.9
◇アーサー・コットレル(松村一男ほか訳)『ヴィジュアル版 世界の神話百科』 原書房, 1999.10
◇フランク・ディレイニー(鶴岡真弓訳)『ケルトの神話・伝説』 創元社, 2000.9
◇T.オフラナガン, P.W.ジョイスほか(三宅忠明訳)『ウシュナの子』 大学教育出版, 2000.12
◇A.カーマイケル, J.ジェイコブズ, A.グレゴリー夫人(三宅忠明, 森定万里子訳)『デァドリー』 大学教育出版, 2000.12
◇ベルンハルト・マイヤー(鶴岡真弓監修 ; 平島直一郎訳)『ケルト事典』 創元社, 2001.9
◇ジャン・マルカル(金光仁三郎, 渡邉浩司訳)『ケルト文化事典』 大修館書店, 2002.7
◇松岡利次 『アイルランドの文学精神 7世紀から20世紀まで』 岩波書店, 2007.3
◇土居敏雄 「デアドレの悲話」 『紀要 言語・文学編』第11号, 愛知県立大学外国語学部, 1978.3
◇三宅忠明 「Douglas Hydeによる物語詩“Déirdre”およびその歴史的意義について」 『就実英学論集』第5号, 1987.3
◇三宅忠明 「「デァドラ伝説」研究用書誌第Ⅱ部(国内篇)」 『就実英学論集』第7号, 1989.3
◇Lady Gregory, Cuchulain of Muirthemne, John Murray, 1934(1902)
◇P. W. Joyce, Old Celtic Romances, Gill and Mamillan Ltd, 1978(Third Edition 1907)
◇Thomas Kinsella, The Táin :From the Irish epic Táin Bó Cuailnge, Oxford University Press, 1970(1969)
◇Royal Irish Academy, Dictionary of the Irish Language :based mainly on old and middle Irish materials, Royal Irish Academy, 1983
◇Peter Berresford Ellis, Dictionary of Celtic Mythology, ABC-CLIO, 1992
◇Tadaaki Miyake, Deirdre : from earliest manuscripts to Yeats and Synge, 大学教育出版, 1999.1


◆コンホヴァル・マク・ネサ王の武具

三宅忠明の『アイルランドの民話と伝説』(1978)によれば、アイルランド三大悲話(The Three Tragic Stories of Erin)の一つにも数えられる『ウシュリウの息子たちの流浪』のあるバージョンには、"大海(オーシャン)"、"急進(ダート)"、"殺し屋(スローター)"、"緑青丸"という四つの名のある武具が登場する。それは、ウラド Ulaid (英語名アルスター Ulster)の王コンホヴァル・マク・ネサ Conchobar mac Nessa が、息子フィアフラ Fiachra に貸し与えたものである※1。表題にある"急進(ダート)"と"殺し屋(スローター)"は槍、"緑青丸"は剣、"大海(オーシャン)"は楯の名という。

『ウシュリウの息子たちの流浪』は、アルスター王コンホヴァルの将来の妃として育てられたデルドレ Deirdre (デルドリウ、デアドラとも)とウシュリウの息子ノイシウ Noísiu との悲恋物語である。もとにした写本や再話作家の違い等々によって様々なバリエーションがあるが、W.B.イェイツの戯曲『デアドラ』(Deirdre)のように、ヒロインの名をタイトルにしたものも少なくない。ここではまず、三宅の語る「デァドラの悲運」を、引用を交えながら要約して紹介したい。なお、引用文中の〈 〉は原則としてルビを示している。

※1 : アイルランド関係のカタカナ表記は、文献による異同が激しいが、本頁では原則として、ベルンハルト・マイヤー(平島直一郎訳)の『ケルト事典』(2001)及びジャン・マルカル(金光仁三郎、渡邉浩司訳)の『ケルト文化事典』(2002)に従う。ただし、特定の文献の記述を引用・要約して紹介する場合には、その文献のカタカナ表記に従い、両事典とその表記が異なる場合に、適宜両事典の表記を( )内に示す。また、両事典にカタカナ表記のないものは、フランク・ディレイニー(鶴岡真弓訳)の『ケルトの神話・伝説』(2000)の表記を示した。ちなみに、三宅が「フィアクラ」と表記するコンホヴァルの息子は両事典に載らないが、綴りを同じくすると思われるリルの息子たちの一人 Fiachra を『ケルト文化事典』が「フィアフラ」と表記しているため、本頁ではこれに従った。三宅はこのリルの息子についても「フィアクラ」と表記している。


◆デァドラの悲運/ウシュリウの息子たちの流浪

ある日、赤枝騎士団のために酒宴を催していた語り部フェミリ(フェドリウィド)の家に女児が生まれる。ドルイド僧の予言者カファ(カトヴァド)は「この子のためにウラー(ウラド)とエリン全土におびただしい災いがふりかかる」と予言し、その子を「デァドラ(災い、悲しみをもたらすもの)」と名づける。騎士たちの中には「赤ん坊のうちに殺してしまうべきだ」と言う者もあったが、コノール(コンホヴァル)王はこれを制し、「この子は、災いの手の届かぬところで育てさせ、成人して娘になったらわしの妻としよう」と言う。デァドラは乳母とその夫、女詩人ラバーカン(レヴォルハム)以外の人間とは顔を合わせることなく育てられ、やがて国中のどんな娘もかなわぬ美貌の持ち主に成長する。

ある時、彼女は夢に見た若者に恋をし、ラバーカンからそれがコノール王配下の騎士、ウシュナ(ウシュリウ)の子ニーシャ(ノイシウ)だと知る。彼は弟のアンリ(アンレ)、アーダン(アルダーン)とともに赤枝騎士団の中で最も高名をはせた勇者だった。デァドラはこの恋によって悲しみに沈み、それをかわいそうに思ったラバーカンがニーシャと会えるように取り計らう。その結果、二人は愛し合う中となり、王を恐れた二人は、ニーシャの弟たちとともにアルパの国(スコットランド)に逃れる。彼らはアルパ西部地方の王に仕えるが、デァドラの美貌を知った王はニーシャらを殺して彼女を妃にしようと謀る。これを知ったニーシャらは部下とともに荒野に逃れる。

ウシュナの子らの労苦を知ったウラーの貴族たちは、コノール王に彼らを許して呼び戻すように言う。王はこれに同意するが、本心では彼らを殺してしまおうと考えていた。王はウシュナの子らの無二の親友であるファーガス・マクロイ(フェルグス・マク・ロイヒ)に彼らを連れ戻すように命じ、王の本心を知らないファーガスは喜んで彼らの元へ行く。デァドラは王を疑うが、ファーガスが彼らの身の安全を保証したため、皆でウラーの首都エメン(エウェン・ワハ)へと帰還する。しかし、王の企みによってファーガスはどうしてもウシュナの子らのもとを離れなければならなくなり、かわりに自分の息子、金髪のイランと赤毛のブイニを彼らの守りにつける。

赤枝騎士団の兵舎に入ったウシュナの子らのもとに、王にデァドラの美貌が以前のままか見てくるように言われたラバーカンが訪れる。彼らは再会を喜びあい、ラバーカンはコノール王の本心を明かして注意を促す。帰ったラバーカンはデァドラの美貌について、今は面影もないと嘘をつく。しかし王はこれを疑い、今度はウシュナの子らに恨みを持っているトレンドーン(トレンドホルン)という男を遣わす。彼がデァドラの変わらぬ美しさを王に伝えると、王は嫉妬に燃え、すぐさま傭兵達をウシュナの子らのいる兵舎に差し向ける。まず立ち上がったのは赤毛のブイニで、彼ははじめ部下を引き連れて傭兵達と戦う。しかし、王が密使を送って領地や地位を与えることを約束するとウシュナの子らを見捨ててしまう。それを知った金髪のイランは、兄の裏切りを嘆きつつ、部下とともに討って出る。

   この戦いがまさにたけなわの時、コノール王は、息子フィアクラを呼んで言った。
「お前は、あの金髪のイランと同じ晩に生まれたのだ。あれが父親の武器を持って戦っているのだから、わしもお前に武器を貸してやろう。この「大海〈オーシャン〉」と呼ばれる楯と「急進〈ダート〉」「殺し屋〈スローター〉」と呼ばれる二本の槍、それにこの「緑青丸」と呼ばれる剣だ。勇敢に立ち向かえ。お前が負けたらわが軍は全滅だ。」(p.179)

フィアクラ(フィアフラ)はイランに立ち向かい、激しい一騎打ちとなる。

戦ううちイランが優勢になり、フィアクラは父の楯「大海」をもって防戦一方となった。今にも力尽きそうになった時、その楯が突如うめき声を発した。するとそれに和してエリンの三大灘が、うつろなうなり声を発したのである。
   遠く離れた丘の砦にいた勇者コーナル・カーナッフが、フィアクラの楯とトアスの灘のうなり声を聞いてとびあがった。
「大変だ。王が危い。助けに行かねば。」(p.180)

戦場に駆けつけたコーナル・カーナッフ(コナル・ケルナハ)は、楯を持った戦士をコノール王だと思いこみ、親友イランに、そうとは気づかないままに致命傷を与えてしまう。虫の息のイランから、ウシュナの子らのために戦っていたことを明かされたコーナルは、すぐにフィアクラの首を刎ね、押し黙ったままその場をあとにした。(続く)


◆物語の典拠〜ジョイス版とグレゴリー夫人版〜

イランが息絶えた後、ウシュナの子らがどうなったか、物語がいかに決着したかは、本頁で扱う武具とは関係しないのでとりあえずおく。むしろ、登場した武具の能力に関して、「大海」の楯とともにうなり声を発した「エリンの三大灘」に、三宅が「アイルランド北岸のトアスの灘、北東岸のラリーの灘、南西岸のクリーナの灘の三つを指す」(p.180)という注を付けていることを付け加えておく(その典拠については後段の註5を参照)。

問題はこの物語の典拠だが、三宅は『アイルランドの民話と伝説』(1978)の解説の中で、P.W.ジョイスの再話を中心に訳出したと述べ、出典として P. W. Joyce : Old Celtic Romances を挙げている。このジョイスの『ケルトのロマンス』(Old Celtic Romances)は、1879年の出版だが、この物語にあたる"Fate of the Sons of the Usna"は1907年の第三版で追加されたものである。なお、三宅は『デァドラ精選シリーズ1 ウシュナの子』(2000)で、これを多少修正したものをP・W・ジョイスの「ウシュナの子」として再録している。上に引用した箇所はほとんど修正されていないが、「緑青丸」に「グリーン・ブルー」というルビが振られている(p.63)。

この『デァドラ精選シリーズ』(全10巻:ただし既刊は1、2、7、8巻のみか?)では、上に紹介したジョイス版だけではなく、複数のデアドラ物語を比較しながら読むことが出来る。オフラナガンらの英訳に基づいて『レンスターの書』に含まれる物語を重訳した「ウシュナ」、1867年にスコットランドの官吏で民話採集家のA.カーマイケル(Alexander Carmichael, 1832-1912)が、当時83歳になるイアン・マクニール(Ian MacNeill)から土着のゲール語で採集した伝承資料「デァドリー」、オーストラリア生まれの民俗学者・歴史学者ジョーゼフ・ジェイコブズ(Joseph Jacobs, 1854-1916)の再話「デァドラ」(『ケルト妖精物語』(Celtic Fairy Tales, 1891)所収)、オーガスタ・グレゴリー夫人(Lady Augusta Gregory, 1852-1932)の再話「ウシュナの子」(『ミュルヘヴネのクホラン』(Cuchulain of Muirthemne, 1902)所収)などである。

これらのデアドラ物語のうち、『レンスターの書』版、カーマイケル版、ジェイコブズ版に、本項の武具は登場しない。唯一、グレゴリー夫人版に類似した武具が登場するので、これを引用しておく。引用は三宅忠明・森定万里子訳『デァドリー』(デァドラ精選シリーズ2、大学教育出版、2000)所収「ウシュナの子」からである。

「そちとイランは同じ日に生まれた。あれが父親の武器を持っているのだから、そちにはわしの武器をつかわそう。『大海〈オーシャン〉』と呼ばれるわしの盾、二本の槍と大刀『ゴーム・グラス』『蒼緑〈ブルー・グリーン〉』だ。勇敢に戦って立派な戦果をあげて来い」(p.116)

ちなみに、この後、「大海」とトアフの灘のうなり声を聞いて、コーナル・キルナ(コナル・ケルナハ)が駆けつけて来るところもジョイス版と同じである。武具に関して違うのは、二本の槍の名称が明らかになっていないこと、剣の名が「緑青丸〈グリーン・ブルー〉」ではなく「蒼緑〈ブルー・グリーン〉」となっていること、そして「ゴーム・グラス」という別の剣が登場していることである。この相違に関しては、節を改めて検討しよう。



〈考察1:「ゴーム・グラス」と「蒼緑」〉

まずは、ジョイス版の原文で、「大海〈オーシャン〉」「急進〈ダート〉」「殺し屋〈スローター〉」「緑青丸〈グリーン・ブルー〉」の綴りを確認しておこう。参照するのは、P. W. Joyce, Old Celtic Romances, 1907/1978 所収"The Fate of the Sons of Usna"である。

   Then, while the fight was still raging, Concobar called to him his son Ficra, and said to him:―"Thou and Illan the Fair were born on the same night: and as he has his father's arms, so thou take mine, namely, my shield which is called the Ocean, and my two spears which are called Dart and Slaughter, and my great sword, the Blue-green blade. And bear thyself manfully against him, and vanquish him, else none of my troops will survive."(p.447)

「大海〈オーシャン〉」="Ocean"、「急進〈ダート〉」="Dart"、「殺し屋〈スローター〉」="Slaughter"の三つは、カナ表記にも語義にも疑問はない。ただ、「緑青丸〈グリーン・ブルー〉」は"the Blue-green blade"となっており、「緑(green)」と「青(blue)」の順番が逆さまになっている。

続いて、グレゴリー夫人版の原文を見よう。「大海〈オーシャン〉」「ゴーム・グラス」「蒼緑〈ブルー・グリーン〉」はそれぞれどのように綴られているだろうか。参照したのは、Lady Gregory, Cuchulain of Muirthemne, 1902/1934 所収の"Fate of the Sons of Usnach"である。

"By my word," said Conchubar, "it is on the one night yourself and Iollan were born, and as it is the arms of his father he has with him, let you take my arms with you, that is, my shield, the Ochain, my two spears, and my great sword, the Gorm Glas, the Blue Green―and do bravery and great deeds with them."(p.130)

「大海〈オーシャン〉」="Ochain"、「ゴーム・グラス」="Gorm Glas"、「蒼緑〈ブルー・グリーン〉」="Blue Green"であることが分かる。先ほどと異なり「大海」は"Ocean"とは綴られていないが、この問題は後述する。一方、「蒼緑」はそのままで問題ないが、「ゴーム・グラス(Gorm Glas)」には別の問題がある。前田真利子・醍醐文子編著『アイルランド・ゲール語辞典』(大学書林, 2003.11)をひくと、"gorm"は「青色」、"glas"は「緑色、灰色」という意味のあることが分かる(p.321, p.314)。つまり、語義から考えるなら、「ゴーム・グラス」=「蒼緑」なのである※2

しかし、先に引用した『デァドラ精選シリーズ』の森定・三宅訳※3では、明らかに「ゴーム・グラス」と「蒼緑」は別の存在とみなされている。そのため、英文に戻って検討してみると、"my great sword"が単数形であることに(英語がろくに読めない私でも)気がつく。当該部分の森定・三宅訳は「大刀『ゴーム・グラス』と『蒼緑〈ブルー・グリーン〉』」で、私はこれを「ゴーム・グラスと蒼緑という名の二振りの大刀」という意味に理解していたが、"sword"が単数ならば、この理解は間違いだということになる。もちろん、「大刀」は「ゴーム・グラス」だけにかかり、「蒼緑」は「大刀」ではない、と解釈することも可能だが、そうすると「蒼緑」が具体的に何なのかが不明になってしまう。

これを解決するもっとも単純な方法は、語義通り「ゴーム・グラス」=「蒼緑」と解釈することである。つまり、"my great sword, the Gorm Glas, the Blue Green"を「大刀『ゴーム・グラス』、すなわち『蒼緑』」と訳すのである。これが日本語訳として妥当ならば問題は解決、「ゴーム・グラス」は「蒼緑」のアイルランド・ゲール語、すなわち原語のままのカタカナ表記ということになる。これを裏付ける記述が、例えば、Peter Berresford Ellis, Dictionary of Celtic Mythology, 1992 にある。同書には、"Gorm Glas"という項目があるのだが、そこには次のように解説されている。

"Blue green." Conchobhar Mac Nessa's sword.(p.116)

非常に簡潔な記述だが、ゴーム・グラス(Gorm Glas)が"Blue green"という意味であること、コンホヴァル・マク・ネサ(Conchobhar Mac Nessa)の剣であることが分かるだろう。なお、「ゴーム・グラス」がこの剣の原語だとすると、ジョイス版における剣の名称"the Blue-Green blade"は、グレゴリー夫人版の"the Blue Green"と同様、「ゴーム・グラス」の英語訳だということになる。だとすれば、三宅の「緑青丸〈グリーン・ブルー〉」は一種の意訳であり、逐語訳としては「青緑〈ブルー・グリーン〉」の方が妥当であると言えるだろう。

※2 : この事実を私に最初に指摘してくれたのはマメ氏である。2005年7月13日、本サイトの掲示板に、ゴームgormはゲール語で青、グラスglasは緑という意味らしく、ゴーム・グラスとは魔剣蒼緑のゲール語呼称ではないか、という書き込みをいただき、これが「ゴーム・グラス」について調べるきっかけとなった。この指摘がなければ、この考察は存在しなかったはずである。あらためてマメ氏に感謝したい。

※3 : 『デァドラ精選シリーズ2 デァドリー』(2000)の解説によれば、グレゴリー夫人の「ウシュナの子」は「まず森定が訳し、その後三宅が多少の手を加えた」という(p.146)。



〈考察2:「大海」・「叫ぶオハン」・「美しき縁飾り」〉

続いてコンホヴァルの楯「大海」の問題を取り上げよう。先に指摘した通り、グレゴリー夫人版、森定・三宅訳では「大海〈オーシャン〉」と訳されていた楯の名が、英語原文では"Ocean"ではなく"Ochain"と綴られている。森定・三宅訳を信じるなら、これにも"Ocean"と同様に「大海」の意味があることになるが、先ほども参照した Peter Berresford Ellis, Dictionary of Celtic Mythology, 1992 の"Ochain"の項には次のような記述がある。

The "Moaner." Enchanted shield of Conchobhar Mac Nessa that moaned whenever its owner was in danger.(p.173)

手元の『ライトハウス英和辞典 第2版』(研究社, 1991)によれば、"moaner"には「うめき声をあげる人」「嘆き悲しむ人」という意味がある。続く記述を訳すなら、「コンホヴァル・マク・ネサの魔法の楯で、その持ち主が危機に陥るとうめき声をあげる」といったところだろう。前田真利子・醍醐文子編著『アイルランド・ゲール語辞典』(大学書林、2003.11)をひくと、"ochain"に綴りの似た単語に、"ochlán"という単語がある。その意味は「ため息、うめき」で、その属格単数・主格複数形は"ochláin"となっている。さらに、これに関連する単語に"ochón"があり、その意味は「悲しみ、嘆き、叫び」である。つまり、"ochain"は「大海」という意味ではなく、「叫ぶもの」といった意味なのではないだろうか。

これを一定程度裏付けつつ、別の解釈の可能性を示すのが、Royal Irish Academy, Dictionary of the Irish Language :based mainly on old and middle Irish materials, 1983 である。本書には、"Óchain"の項があるので、その前半を以下に引用する。

Óchain f. name of a shield belonging to Conchobar mac Nessa; expld. as ‘the Groanaer’ (<ochan) by O'Curyy, Mann. and Cust. ii 321, but prob. a compd. of 3 ó and cain (? caín) ´beautiful´.(p.484)

「コンホヴァル・マク・ネサのものである楯の名」ということで、ここに言及されている"Óchain"が、本頁で問題にしている楯であることは間違いない。続く説明にはよく分からない部分もあるが、「"Groanaer"(うめき声をあげるもの)として説明されてきたが、おそらくは3 ó と cain(caín(「美しい」の意)か?)との合成語である」といった意味だと思われる※4。なお、引用文中の"O'Curyy"は、古文書学者・歴史学者のユージン・オカリー(Eugene O'Curry)のことだろう。

続いて同書で"3 ó"を引くと("3"はおそらく、"ó"という単語が複数あるために便宜上振られた記号)、そこには"An ear"(耳)の意とあり、複数ある詳しい語義説明の中に"part of a shield, apparently a projection (spike or boss?) from the rim or corners or surface"との記述がある(p.482)。「楯の一部で、その縁や隅、表面から突出した部分(スパイクもしくは飾り鋲?)のこと」といった意味である(多分)。つまり、"Óchain"とは、「美しい縁飾り(の付いた楯)」といったような意味らしい。

ここまでをまとめると、"Óchain"の語義に関しては、「うめき声を上げるもの」と、「美しい縁飾り(の付いた楯)」という二通りの解釈が存在する、ということになる。このいずれが正しいのか、私には分かりかねるが、後で引用するように、エレノア・ハル(Eleanor Hull)は、この楯(と思われるもの)を"Bright-rim"と訳している。すなわち「輝く縁」で、これは後者の解釈を支持したものだろう。

ところで、この楯は別の物語にも登場している。それは、アルスター物語群中最も重要な物語『クアルンゲの牛捕り』(Táin Bó Cuailnge)である。まずは日本語のものから紹介しよう。イアン・ツァイセック(山本史郎、山本泰子訳)の再話『図説ケルト神話物語』(1998)は、「トェン・ボー・クールニュ」としてこの物語を再話しているが、楯の登場箇所は、クルフーア(コンホヴァル)王の率いるアルスター軍と、アリル(アリル・マク・マーガハ)とメイヴ(メドヴ)の率いるコナハト軍が直接ぶつかる大詰めの場面である。クルフーア王が、コナハト側についていたフェルグスに出会ったところから引用する。

あわててクルフーアは盾―叫ぶオハンと呼ばれる豪華な盾をかかげました。四本の黄金の角、四つの黄金の覆いがついた目もあやなるオハンは、魔法の盾です。持ち主に危険がせまれば叫んで知らせてくれるのです。満身の力をこめて三度、フェルグスはクルフーアの上に剣を振り下ろしますが、オハンの盾にはへこみひとつできません。それどころか金きり声で絶叫したので、アルスター軍の盾もこぞって叫び始めました。(p.120)

同様の箇所を今度は英訳から引いてみよう。引用するのは、Thomas Kinsella, The Táin :From the Irish epic Táin Bó Cuailnge, 1969 である。なお、松岡利次によれば、トマス・キンセラのこの英訳は、複数ある『クアルンゲの牛捕り』の稿本のうち、『赤牛の書』に収められる古い版に基づくものだという(『アイルランドの文学精神』(2007)文献解題+人名解説p.12)。

Conchobor sought out Fergus and raised his shield against him ― the shield Ochain, the Ear of Beauty, with its four gold horns and four coverings of gold. Fergus struck it three blows but couldn't budge even the rim of the shield enough to touch Conchobor's head.(p.247)

日本語にすれば、概ねこんな感じだろう。「コンホヴァルはフェルグスを見つけ出すと、彼に対して自身の楯、四本の黄金の角と四つの黄金の覆いの付いたオハン、すなわち「美しき耳」という名の楯をかかげた。フェルグスはその楯に三度打撃を加えたが、コンホヴァルの頭までとどくのに十分なほど、楯の縁を動かすことは出来なかった」。

ツァイセックの再話では、楯に豪華な飾りが付いてはいるものの、その名は「叫ぶオハン」と呼ばれ、楯の名を「叫ぶもの」とする解釈が前面に出ているように感じる。一方、キンセラの訳では、楯の名は"the Ear of Beauty"と解されており、明らかに ó + cain という解釈が採用されている。おそらく、ジョイス版「ウシュナの子」に見られるような「持ち主に危険が迫ると叫んで知らせる」という楯の能力が、その名を「叫ぶもの」と解する説の根拠に、キンセラの英訳版『クアルンゲの牛捕り』に見える「四つの黄金の角と四つの黄金の覆いが付く」という楯の形状が、その名を「美しい飾り」と解する説の根拠になっているのだろう。

いずれにしても、この楯の名を「大海」と解することは出来ないようである。"Ocean"という英語名は、「持ち主の危機に海がうなり声をあげる」という楯の能力と、綴りの類似をもとに行った一種の創作なのだろう※5。ジョイス版は確かに楯の名を"Ocean"としているので、これを「大海」と訳することに問題はない。ただ、グレゴリー夫人版の楯の名は、"Ochain"であって"Ocean"ではない。森定・三宅訳は、ジョイス版に引きずられたのか、この"Ochain"まで「大海」と訳しているが、この訳は妥当なものとは言えなさそうである。

※4 : この文献及び内容は、2006年1月20日、本サイト掲示板において、toroia氏に紹介していただいたものである。その後、図書館でコピーを取っておきながら、そのまま放置していたところ、2008年9月7日、本サイト掲示板において、Askr氏に再び簡単な解説付きで紹介していただいた(Askr氏が典拠としていたのはオンライン版だが、内容は同一)。両氏に感謝しつつ、進歩のない自身を反省。

※5 : なお、楯の名を"Ocean"と「英訳」したのは、ジョイスが初めてではない。次節で引用している通り、これを"Ocean"と訳した最初は、管見の限り、Theophilus O'Flanagan(1760-1818)の"Deirdri, or, The Lamentable Fate of the Sons of Usnach (Version 2)"(1808)である。ジョイス版から約100年遡るわけで、楯の名を"Groanaer"(叫ぶもの)と解したユージン・オカリー(1796-1862)はまだ十代前半、"Bright-rim"と訳したエレノア・ハル(1860-1935)の生まれる半世紀前である。
  さらに付け加えると、楯とともにうなり声をあげる「エリンの三大灘」が、トアスの灘、ラリーの灘、クリーナの灘の三ヶ所であるとの三宅の注は、ジョイス版原本の注に拠っている(P. W. Joyce, Old Celtic Romances, 1907/1978, p.447)。同書に拠れば、綴りはそれぞれ、Wave of Tuath, Wave of Rury, Wave of Cleena である。ジョイスが何を典拠にしているのかは不明だが、先の O'Flanagan のバージョン(1808)を含め、後段で取り上げる幾つかのバージョンでは、本文中に三つの灘の名が挙がっている。以下にまとめておく(各バージョンの書誌情報は次節参照)。

バージョン灘の名(登場順)
オフラナガン(2)版(1808)TothClidnaRory
ハル版(1898)CleenaTuag InbirRury
ジョイス版・註(1907)TuathRuryCleena
マッキノン版(1908)ClidnaTuadRugraide
三宅版・註(1978)トアスラリークリーナ


〈考察3:二本の槍―"急進"と"殺し屋"〉

以上、「大海」と「緑青丸」については、それぞれ原語と思われるものが判明した。問題は「急進」と「殺し屋」である。この二本の槍の原語名は何か。それを知るのに役立ちそうなのが、Tadaaki Miyake(三宅忠明)編 Deirdre : from earliest manuscripts to Yeats and Synge, 1999 である。同書には、ジョイス版・グレゴリー夫人版を含む、計46のデアドラ物語が収録されているのだが、残念なことに全篇英語で書かれているため、英語力に欠ける私には手が出せない。とは言え、ともかくもパラパラとめくってみると、複数のバージョンで武具名が明らかになっていることに気がつく。

まずは、Theophilus O'Flanagan(1760-1818)による"Deirdri, or, The Lamentable Fate of the Sons of Usnach (Version 2)"(1808)である(以下、オフラナガン(2)版と表記)※6。後述するように、このオフラナガン(2)版はジョイス版とその底本を同じくするので、登場する武具も一致するはずである。引用するのは、武具名が登場する例の場面。

   "By my troth," says he, "it was on the same night that thou thyself and Illan the Fair were born; and as they are his father's arms he hath, take thou my arms with you, namely, the Ocean, the Victorious, and the Cast, and the Blue-green Blade; that is, my shield and my two javelins, and my broad sword, and exert great resolution and valour with them."(p.56)

すなわち、楯が"the Ocean"、二本の槍(javelins)が"the Victorious"と"the Cast"、剣が"the Blue-green Blade"と綴られている。考察済みの楯と剣はひとまず置き、ここでは槍の名称について考えよう。"Victorious"、"Cast"はいずれも英語だと思われるが、"Victorious"には「勝利を得た、勝った」「勝利の、勝ち誇った」の意味があるので(『ライトハウス英和辞典 第2版』(研究社, 1991)以下同じ)、「屠畜、屠殺」「虐殺、殺戮」の他に(動詞として)「完敗させる、たたきのめす」の意味がある"Slaughter"に対応するかも知れない。とすれば、「投げること、(さいころを)振ること、(網を)打つこと」の意味がある"cast"は、「突進、飛ぶように[すばやく]動くこと」の他に「投げ矢」の意味もある"Dart"に対応するのだろう。

次に、George Sigerson(1836-1925)訳の"The Fate of the sons of Usnach"(1897)を見よう(以下、シガーソン版と表記)※7。シガーソン版は、プロローグと全五幕より成るが、引用するのは、第4幕第3場の冒頭である。

  Scene III―"Where is Fiacha, my son?" cries Concobar: Fiacra appears, and the king commands him to encounter Illan, his equal in age. "He bears his father's arms: take thou mine―Ocean my shield, my victordarts, my green glave." The young champions meet in fierce battle.(p.152)

楯の"Ocean"はオフラナガン(2)版と同じだが、残りの武具は異なっている。まず"victordarts"だが、「勝利者の投げ矢」とでも訳したら良いのだろうか。オフラナガン版の"Victorious"と、ジョイス版の"Dart"を組み合わせたような名前だが、これでは槍なのかどうかさえよく分からない。一方、続く"green glave"―「緑の剣」は、他版の「ゴーム・グラス」に相当するものと考えられる※8。細部の異同は底本の違いに拠るものだろうか。

続いて見るのは、Eleanor Hull(1860-1935)訳の"The Tragical Death of the Sons of Usnach"(1898)である(以下、ハル版と表記)※9。ハルはその序文で『ウシュリウの息子たちの流浪』に関する概説も書いており、そこに翻訳の底本について、"The translation here adopted is founded on that of Dr. Whitley Stokes, but some modifications and additions have been introduced from O'Flanagan's rendering."(ここに採用された翻訳は、 ホイットリー・ストークス博士のそれにもとづくが、幾つかの修正及び追加は、オフラナガンのものから導入された)との記述がある(p.175)。ここに挙がっている「ストークス博士のそれ」とは、直前に言及されている Dr. Whitley Stokes 編で Irische Texte, zwite serie, 2 Heft, pp.153-177 に収録されたもののことだろう。これは、エディンバラの弁護士図書館(Advocates Library)が所蔵する Glenn Masáin MS. に拠ったものである。一方、「オフラナガンのもの」というのは、先に引用したオフラナガン(2)版のことで、ハルに拠れば同版は、Glenn Masáin MS. と近似するバージョンにもとづいて翻訳されたものだという。前置きが長くなったが、早速、件の部分を引用してみる。

   'By my troth, on one and the same night thou and Illann the Fair were born. And he hath his father's arms; do thou take my arms with thee, even the Bright-rim and the Victorious, and the Gapped spear, and my sword; and do thou with them valiantly.'(p.188)

楯の名(ただしハル版では楯とは明言されていない)が他版と異なり、"the Bright-rim"と訳されていることについては前節で述べたとおり。問題は槍の名だが、それぞれ"the Victorious"と"the Gapped spear"と呼ばれている。前者はオフラナガン(2)版と一致しているが、これはハルが同版を参照していることから当然とも言える。ただし、ハル版では"Victorious"が槍であるとは明言されておらず、どのような武具なのか分からない。一方、"Gapped spear"は「裂け目のある槍」とでも訳すのだろうか。オフラナガン(2)版の"the Cast"、ジョイス版の"Dart"に対応するものと考えられるが、ここでは固有名詞扱いになっていない。また、剣の名前が明らかになっていないことも注目される。

四番目に見るのは、Professor Mackinnon(Donald Mackinnon, 1849-1915)編訳の"The Glenmasan Manuscript"(1904-1908)である(以下、マッキノン版と表記)※10。表題の通りであれば、このマッキノン版も"Glenmasan Manuscript"(= Glenn Masáin MS.)を訳したものなのだろう。ちなみに、三宅の"Introduction"にはこの"Glenmasan Manuscript"への言及があり、写本は15世紀のものだと言う(p.1)。引用は同じく、武器名が登場する例の場面である。

   Then Conchobar said: 'Where is Fiacha, my son?' said Conchobar. 'Here,' said Fiacha. 'By my conscience, it was on the same night you and Illann were born, and he has his father's arms; and do you bring my arms with you, the Orchain, and the Cosgrach, and the Foga, and my Sword; and fight bravely with them.'(p.87)

形状の明らかではない三つの"arms"、"the Orchain"、"the Cosgrach"、"the Foga"、そして名前の明らかではない剣(Sword)が登場している。ここまで見てきた他の版から"the Orchain"を盾と見なすと、"the Cosgrach"と"the Foga"が槍の名称である可能性が高い。問題はその意味で、これらはいずれも英語ではない。とすれば、"Orchain"と同様、15世紀の写本に残る槍の名前を原語そのままにあらわしたものと考えられる。

そこで、先にも引用した Royal Irish Academy, Dictionary of the Irish Language :based mainly on old and middle Irish materials, 1983 を再び参照すると、"cosgrachと"綴りの類似した"cosc(a)rach"に"victorious, triumphant"という意味のあることが分かる(p.153)※11。一方、同書の"foga"の項には"A small spear, a javelin"との説明があり、前田真利子・醍醐文子編著『アイルランド・ゲール語辞典』(大学書林、2003.11)によれば、綴りの類似した単語"fogha"に「突き、突進」といった意味がある※12。これらを勘案すると、"Cosgrach"が"Victorious"に、"Foga"が"Dart"に対応する可能性が指摘できるだろう。一方、剣の名が明らかになっていない点はハル版と一致している。ここから、"Glenmasan Manuscript"は剣の名前を明記していなかったものと考えられる。

最後に見るのは、J. M. Flood(1882-1964)の"The Fate of the Sons of Usnach"(1916)である(以下、フラッド版と表記)※13。 引用するのはこれまで同様、武器名への言及がある件の場面である。

Conchobar armed against Illan his own son Fiacha, giving him his two spears Dart and Slaughter and his shield Ocean, which moaned when its owner was in danger.(p.173)

楯と槍に関しては、ジョイス版とまったく同じ名前を使用している。"Dart and Slaughter"という登場順も同じ("Glenmasan Manuscript"に拠るというハル版・マッキノン版では逆だった)で、ジョイス版との密接な関係を伺わせる。その一方、剣がまったく登場しない点で、ジョイス版とは相違している。これまで見てきたすべての版が、たとえ名前には言及せずとも、剣の存在自体は示していたことと比べると、これは注目すべきことかも知れない。

ここまでをまとめつつ、個々の版の底本、そして四つの武具の典拠について少し考えてみよう。まずは各版の武器名を表に整理した。

バージョン槍1槍2
オフラナガン(2)版(1808)the Oceanthe Victoriousthe Castthe Blue-green Blade
シガーソン版(1897)Oceanmy victordartsmy green glaive
ハル版(1898)The Bright-rimthe Victoriousthe Gapped spear(my sword)
グレゴリー夫人版(1902)the Ochain(two spears)the Gorm Glas, the Blue Green
ジョイス版(1907)the OceanSlaughterDartthe Blue-green blade
マッキノン版(1908)the Orchainthe Cosgrachthe Foga(Sword)
フラッド版(1916)OceanSlaughterDart
ジョイス・三宅訳(1978)大海殺し屋急進緑青丸

楯の名は取り上げた総ての版で見ることが出来たが、槍や剣の名は登場しない版も存在した。二本の槍(らしきもの)の名が明らかになっているのは、オフラナガン(2)版・ハル版・ジョイス版・マッキノン版・フラッド版の5つのバージョンである。また、剣の名前(らしきもの)に関しては、オフラナガン(2)版・シガーソン版・グレゴリー夫人版・ジョイス版の4つのバージョンに登場している一方、フラッド版では剣自体が登場していなかった。

この中で底本が最も明確に分かるのは、15世紀の写本"Glenmasan Manuscript"にもとづくというハル版とマッキノン版である。マッキノン版が、この写本の忠実な英訳だとすれば、そこには剣を除く三つの武具、すなわち、名楯"Orchain"、名槍"Cosgrach"、名槍"Foga"が登場しているはずである。一方、名剣"Gorm Glas"の典拠は、"Glenmasan Manuscript"とは別に求める必要がある。

剣の名が英訳ではない"Gorm Gras"という表記であらわれているのは、グレゴリー夫人版だけである。このグレゴリー夫人版の典拠について、三宅は『デァドラ精選シリーズ2 デァドリー』(2000)の解説で、「(1)カーマイケルの原話、(2)十二世紀の写本『レンスターの書』の資料、(3)夫人自身の創作部分、の三要素」としている(p.143)。しかし、(1)にも(2)にも登場しない「ゴーム・グラス」を含む武具の名は、これまでの考察から(3)夫人の創作だとは考えにくい。とすれば、それは別の写本や伝承資料に基づく可能性が高い。

その最有力候補は、エレノア・ハルが"Glenmasan Manuscript"と近似するバージョンであるとした、オフラナガン(2)版とその底本である。三宅忠明は、このオフラナガン(2)版(及び同じ本に収録されたもう一つのバージョン、すなわちオフラナガン(1)版)の原典稿本の所在について「今だに不明である」とする一方で、Herbert Fackler※14を引いて「これによれば O'Flanagan の2原話は現在 Trinity College, Dublin に保管されている資料 H. 1. 13 および G. 138 に準拠しているとあるが、目下のところ未確認である」と述べている(三宅忠明「Douglas Hydeによる物語詩“Déirdre”およびその歴史的意義について」『就実英学論集』第5号, 1987, p.63, 87)。

三宅はその後、オフラナガンの原典稿本の所在を確認したようで、『デァドラ精選シリーズ1 ウシュナの子』(2000)の解説では、「ダブリンのトリニティー・カレッジ図書館に所蔵されていた『レンスターの書』の原本と、少し後の時代のものと見られる草稿の二点」をその原典として挙げている。また、この二点のうちの後者が1907年のジョイス版の底本にもなっているという(p.80-81)。先に述べた通り、オフラナガン(2)版とジョイス版は同一の写本にもとづくのである。四つの武具の名前が揃って登場するのは、オフラナガン(2)版とジョイス版だけであり、両者が底本にしたこのトリニティー・カレッジ所蔵写本に、本頁で扱った四つの武具が揃って登場していたことはほぼ間違いないものと思われる。問題はその原語名だが…その確認は今後の課題としたい※15

※6 : O'Flanagan, Theophillus. trans. & ed. Deirdri or the Lamentable Fate of the Sons of Usnach. Dublin: Gealic Society, 1808. 5-135. (Miyake 1999, p.63) ちなみに、表題では"THEOPHILUS"と綴られている訳者のファーストネームが(p.42)、ここに挙げた末尾の書誌情報では"Theophillus"となっている(すなわち"L"が一つ多い)。

※7 : Sigerson, George. tras. "The Fate of the Sons of Usnach" Bards of the Geal and Gall. 2nd ed. London: T. Fisher Unwin, 1897, 1907. 125-8, 383-90. (Miyake 1999, p.153)

※8 : グレイヴ(glaive)について、市川定春著『武器と防具 西洋編』(1995)などでは、円月刀のような刃を持つ鉾槍と説明しているが(p.125)、ここでは単なる「剣」の意味に解した。The Random House Dictionary of the English Langage, Second Edition Unabridged, 1987 で"glave"を引くと、"Archaic. glaive."とあり(p.810)、その"glaive"の項には、"Archaic. a sword or broadsword."とあるからである(p.809)。また、『研究社新英和大辞典』第6版(2002)で、同じく"glaive"を引くと「《古》剣、(中世の)長刀(なぎなた)」との訳語が載っている(p.1035)。つまり、"glave"は「剣」の古語だというわけである。

※9 : Hull, Eleanor. trans. "The Tragical Death of the Sons of Usnach" The Cuchullin saga in Irish Literature. 1898; rpt. New York: AMS, 1972. 22-53. (Miyake 1999, p.198)

※10 : Mackinnon, Professor. ed. & trans. "The Glenmansan Manuscript" The Celtic Review. 1904-08. 13-7, 105-31, 209. (Miyake 1999, p.88)

※11 : "Cosgrach"という語に「勝利者」もしくは「屠殺者」の意味があり、"Victorius"及び"Slaughter"に対応する、と最初に本サイト掲示板で教えてくれたのは、マメ氏である。註2でも述べたとおり、本頁は2005年7月13日にマメ氏から頂いた書き込みに触発され、大幅な改訂が加えられることになったのだが、同年7月24日に掲示板上に草稿を示したところ、7月31日に再び書き込みをいただいた。その内容が上掲した"Cosgrach"の意味に関する情報である。

※12 : "Foga"に"A small spear, a javelin"という意味があるとすると、これは元々固有名詞ではなく、単なる槍を指していた可能性がある。これがどの時点で固有名詞化したのかは不明だが、もしかしたら、"Cosgrach"を説明するためについていた単語が、後に別の武器とみなされるようになったのかも知れない。

※13 : Flood, J. M. "The Fate of the Sons of Usnach" Ireland: Its Myths and Legends. 1916; rpt. Port Washington, NY/ London: Kennikat, 1970. 56-70. (Miyake 1999, p.174)

※14 : Herbert Fackler, That Tragic Queen : The Deirdre Legend in Anglo-Irish Literature (Salzburg, Austria : Universität Salzburg, 1978), 3. (三宅忠明1987, p.87)

※15 : オフラナガン(2)版は、もともと原語と英語との対訳形式で刊行されているので、その原典稿本に"Gorm Gras"の名が挙がっていれば、これにもとづいてグレゴリー夫人が自身の物語に"Gorm Gras"という名を登場させることは可能になる。

   最後に、ほとんど余談になるが、先にも引用したイアン・ツァイセック(山本史郎、山本泰子訳)の再話『図説ケルト神話物語』(1998)所収「トェン・ボー・クールニュ」に、コンホヴァル王の槍が登場しているのでこれを紹介しておく。クーフラン(クー・フリン)の元服の折、クルフーア(コンホヴァル)王は彼に二本の槍と楯と剣を与えるが、クーフランがその槍を振り回すと、柄はたちまち折れ砕けてしまう。クルフーア王はもっと強い武具を次々と与えるが、どれもこれもクーフランの力には耐えられない。そこで王は特別に作られた自身の武具をクーフランに与えるのである。元服したクーフランは王の武具を身につけ、初陣としてネフタシュケーネの三人の息子たち(フォイル、ファンレ、トゥーアヘル)と戦う。その場面を引用しよう。

「心配はご無用」とクーフランは言います。「わが国の民に誓って言うぞ。こいつが二度とアルスター人を攻撃できなくしてやろう」こう言ういうとクーフランはクルフーアの大槍"ヴェノマス"を手に取り、相手めがけて投げつけました。槍はフォイルの盾を突き破り、あばら骨を三本砕き、心臓をまっすぐに突き抜けました。(p.43)

   "ヴェノマス"はおそらく「有毒な」「悪意に満ちた」を意味する英語"venomous"である(この指摘はマメ氏による。本サイト掲示板2006年9月17日付け書き込み)。これが本項で扱った武具とどのように関係するのか(またはしないのか)は、これもまた今後の課題である。



〈おまけ1:「デアドラ物語」勝手に比較〉

上述したような様々なデアドラの物語を(日本語で)比較しながら読みたいなら、三宅忠明の『デァドラ精選シリーズ』がオススメである。収録されているのは、1巻がT.オフラナガンらの英訳に基づく『レンスターの書』版とジョイス版、2巻がカーマイケル版、ジェイコブズ版、グレゴリー夫人版。まずは、これら5つのディアドラ物語をまとめ、簡単に比較してみよう。

バージョン概要比較ポイント(ネタバレ)
『レンスターの書』版"Longes mac nUsnig―Exile of the Sons of Usliu"
12世紀の写本『レンスターの書』(The Book of Leinster, 1160頃)所収(39550行中の284行)。
デァドラは王の下で育てられる。//デァドラはギーサにより、自分を連れて逃げるようニーシャに強要する。//ニーシャはイーガンの大槍で殺される。//一年後にデァドラは馬車から身を乗り出して自殺。
ジョイス版"Fate of the Sons of the Usna"
『レンスターの書』から数世紀遅れて作成されたらしい稿本にもとづく再話。『ケルトのロマンス』(Old Celtic Romances, 1879)所収(ただし1907年版以降)。
デァドラは王の下で育てられる。//二人は愛し合って逃げる。//ファーガスの息子、兄は裏切り、弟は裏切らない。//三兄弟は王にだまされ捉えられて処刑。//デァドラは彼らと同じ墓に入る。
カーマイケル版"Deirdire"
1867年3月16日、外ヘブリディーズのバーラという小島で、当時83歳になるイアン・マクニール(Ian MacNeill)から土着のゲール語で採集した民話。公刊は1887-1888年。
デァドリーは山の中で育てられる。//フィラハ(ファーガス)の息子、長男・次男は裏切り、三男は裏切らない。//三兄弟はドルイドの魔法に倒れる。//デァドラは彼らと同じ墓に入るが、王が引き離す。//墓からは二本の松が生える。
ジェイコブズ版"The Story of Deirdre"
カーマイケル版を省略・翻案した再話。『ケルト妖精物語』(Celtic Fairy Tales, 1891)所収。
基本的にはカーマイケル版と同じ。ただし、子ども向けの「教育的配慮」で、殺戮(戦闘)シーンが大幅にカットされ、フィラハー(ファーガス)の息子は誰も三兄弟を裏切らない。
グレゴリー夫人版"Fate of the Sons of Usnach"
カーマイケル版と『レンスターの書』版にもとづく再話。『ミュルヘヴネのクホラン』(Chuhulain of Muirthene, 1902)所収。
デァドラは山の中で育てられる。//ファーガスの息子、兄は裏切り、弟は裏切らない。//三兄弟は王にだまされ捉えられて処刑。//三兄弟死後、デァドラが嘆く部分が長い。//デァドラはナイフで自殺。//デァドラの死後、コーマックの後日譚あり。

もちろん、このシリーズ以外でも日本語でデアドラ物語を読むことは可能である。私が実見したものだけだが、下記の表にまとめたので、参考にしていただきたい。どれがお好みだろうか。

バージョン題名・収録書誌情報概要
『レンスターの書』版「デァドルー―ウスリューの子たちの追放」
  三宅忠明訳『アイルランドの民話と伝説』(1978)
T・キンセラの英訳などから重訳。デァドラ精選シリーズとほぼ同じ。
『レカンの黄書』版「デアドレの悲話」
  土居敏雄 『紀要 言語・文学編』第11号(1978)
Vernam Hullによる校訂本(1949)から翻訳※16。原文テキストも脚注とともに掲載。大学紀要なので入手は手間?
ジョイス版「デァドラの悲運」
  三宅忠明訳『アイルランドの民話と伝説』(1978)
デァドラ精選シリーズとほぼ同じ。
カーマイケル版「デァドリー」
  三宅忠明訳『スコットランドの民話』(1975)
デァドラ精選シリーズとほぼ同じ。
ジェイコブズ版「ディアドレ」
  木村俊夫・山田正章訳『ケルト民話集Ⅰディアドレ』(1989)
収録書はジェイコブズの『ケルト妖精物語』・『続ケルト妖精物語』を全三巻で全訳したものの第一巻。
「ディアドラの悲話」
  小辻梅子訳『ケルト幻想民話集』(1993)
訳者あとがきでジェイコブズ版とジョイス版との比較が行なわれている。時折不思議な訳アリ(逐語的?)。
「デルドレーの物語」
  山本史郎訳『ケルト妖精物語Ⅰ』(1999)
ジェイコブズの『ケルト妖精物語』の完訳。ジェイコブズ自身による「序文」も訳されている。
ロールストン版「不幸な姫」
  八住利雄編『アイルランドの神話伝説〔Ⅰ〕』(1929/1981)
『世界神話伝説大系』ケルト民族編に収められたT・W・ロールストンによる再話(1911)の翻訳※17
その他「悲しみのディアドラ」
  井村君江『ケルトの神話』(1983/1990)
『レンスターの書』版などに近いが、物語とは別に他の版への言及もある。文庫本になっているので入手が容易。
「ウシュナの子どもたち」
  フランク・ディレイニー『ケルト―生きている神話』(1993)
前半はジョイス版、後半はカーマイケル版に近い。全10頁と短め。
「デルドレとウシュネの息子たち」
  フランク・ディレイニー『ケルトの神話・伝説』(2000)
『レンスターの書』版などに近いが、登場人物の心理描写が詳しくなっている(=民話らしさには欠ける)。

※16 : 土居によれば、その底本は「ハーバードのハル教授(Vernan Hull)がMLAのMonograph Series 第16集として1949年に出版した Longes Mac n-Uislenn 」に載る英訳で、それは「「レカンの黄書」(Yellow Book of Lecan)と大英博物館所蔵のEgerton本から遡って、12世紀はじめに書写された「レンスターの書」(The Book of Leinster)を併せ、厳密に再構された校訂版」であるという(p.102)。この土居の論考について三宅忠明は、「Vernam Hull, ed. Longes Mac n-UishlenThe Yellow Book of Lecan を中心に The Book of Leinster その他の文献を加えて編纂したもの)の邦訳および解説」と注している(「「デァドラ伝説」研究用書誌第Ⅱ部(国内篇)」『就実英学論集』第7号, 1989, p.163)。

※17 : 八住利雄編『世界神話伝説大系40 アイルランドの神話伝説〔Ⅰ〕』(改訂版1981)には、底本への言及はないが、三宅忠明によれば、T. W. Rolleston. "Deirdre and the Sons of Usna" Myths and Legends of the Celtic Race. 1911. 196-201 の邦訳だという(「「デァドラ伝説」研究用書誌第Ⅱ部(国内篇)」『就実英学論集』第7号, 1989、p.165)。これは、Irish Renaissance 運動に当初から加わっていたT・W・ロールストン(T. W. Rolleston, 1857-1920)が、『世界神話伝説大系』全14巻のうちケルト民族編を担当した際、その中に収めたもので、創作色が濃い。具体的な特徴は以下の通り。 デーズレ(ディアドラ)は王の下で育つ。//ファーガスの息子、一人は裏切り、もう一人は裏切らない。//三兄弟はドルイドの魔法で捕らえられ処刑。//デーズレは一年後に馬車から飛び降りて自殺。//墓からはイチイの木が生える。



〈おまけ2:コルマク・コンリナスの「青緑丸」

スコットランドの作家フィオナ・マクラウド(Fiona Macleod, 1855-1905:本名 William Sharp)の「クレヴィンの竪琴("The Harping of Cravetheen")」(荒俣宏訳『ケルト民話集』(1983)所収)には、「青緑丸」と呼ばれる魔剣が登場する。興味深いのは、その剣の持ち主が、「北方エールの全域にわたってコルマク・コンリナスの名で知られる、ネサの子コノールのそのまた子コルマク」(p.11)であること。すなわち、「ゴーム・グラス」の所持者コンホヴァル・マク・ネサの子、コルマク・コン・ロンガスが、「青緑丸」という名の魔剣を持っているのである。コルマクとこの剣について、マクラウドは次のように書いている。

 人々は、かれのみごとな槍さばきや剣のわざ、そして怒りのときの恐ろしさ、戦を愛する心のはげしさ、その笑い声と明るい気分、また剣が鳴りをひそめたときにかれのくちびるにほとばしる歌について、あれこれ噂をしあう。コルマク・コンリナスが名づけた〈青緑丸〉という剣―人によってはこれを〈ささやき丸〉とも呼んでいたが―その剣に手をふれることのできる人間は、ひとりもいないぞ、と。〈青緑丸〉という名の由来は、かれがその剣をふるうと、まるで稲光が走るように青みどり色にかがやくところにあった。それに、この剣は渇くと、なにごとかささやきはじめ、赤い血の飲みものをやらないと渇きはしずまらないのだった。アルトニア人を恐れ憎む人びとのうちで赤い血を沸きたたせる者が出てくると、剣はかならずささやいた。ネサの子コノールのそのまた子であるコルマクの影を追いしたがう別の影がある―と、剣はからなずささやいた。そういうわけで、コルマクの死を願っている人びとのあいだでも、虹色の霧がかかるなかにすわって鍛冶の仕事を永遠につづけるレン神がきたえたといわれるその剣は、ふしぎなささやきを発するというので大いに恐れられた。(p.12)

同じ物語が、松村みね子訳『かなしき女王』(1925/1985)では「琴」と題されて収録されているが、松村はこの剣を「香vと訳している。これは、ジョイス版の"the Blue-Green blade"、グレゴリー夫人版の"the Blue Green"、すなわち「ゴーム・ゴラス」と同一の剣と見て間違いないだろう。荒俣によれば、この物語の出典はマクラウドの短編集『罪を食う人』(The Sin-Eater, 1895初版)である。マクラウド(シャープ)は若い頃からケルトの民話を聞き集めていたそうだが、この物語がどの程度民話に忠実なのか、私には分からない。しかし、物語のプロット自体は、マクラウド以外の文献にも見ることが出来る。例えば、グレゴリー夫人版「デアドラ物語」の最後には、コナハー(コンホヴァル)王の息子コーマック・コンリンギス(コルマク・コン・ロンガス)の挿話が含まれている(p.133-134)。たった2ページ足らずの物語だが、以下、簡単にあらすじを紹介しよう。

コナハー王の裏切りに怒ったコーマック・コンリンギスは、ファーガス(フェルグス)らとともにアルスターを去り、ドルイド僧カスバ(カトヴァド)は、コナハーの血族がこれ以後、誰ひとり玉座につけぬよう呪いをかける。コナハーの息子のほとんどは父親より先に死に、コナハーの死期が近づいた時、生き残っていたのは国を離れていたコーマックだけだった。コーマックは王国を継ぐために呼び戻されるが、故国への帰途、アルスターとは敵同士であるコノート(コナハト)の軍勢と鉢合わせしてしまう。一方、たまたま近くに住んでいたハープひきのクレイフタインは、妻のセーンがコーマックに恋してしまったため、彼に嫉妬し激しく憎んでいた。そこで、コノート軍がコーマックを攻撃しようとしているのを知ると、ハープを奏でてコーマックから立ち上がる力を奪ってしまう。そのため、コーマックをはじめ家来のほとんどが殺され、カスバの呪いは現実のものとなったのである。(おしまい)

さらに、アーサー・コットレル(松村一男ほか訳)の『世界の神話百科』(1999)には、アルスターの王コンホヴァル・マク・ネサ(Chonchobar Mac Nessa)には、コルマク・コン・ロンガス(Cormac Conn Longus 長い(ロンガス)追放の頭(コン)を意味する)と呼ばれる王子がいる、との記述がある。以下、同書からコルマクに関する記述を引用してみる。

あるアイルランド神話が語るところによれば、彼は父王がデルドレの夫ノイシュを裏切って殺害したり、退位したアルスター王フェルグス・マク・ロイヒの追放を画策したことを嫌ったという。瀕死の父王が彼を後継者として指名した際に招かれるまで、故国に戻るつもりはなかった。あるドルイド女僧は、彼がアルスターに戻ると殺されると警告したが、結局彼は出立し、途中、魔法にかけられて深い眠りに落ち、戦士の集団によって殺されてしまう。この攻撃は、妻の心をコルマクに奪われた、嫉妬深い夫によって企てられたと言われている。(p.242)

グレゴリー夫人の物語とほぼ一致する内容である。マクラウドはコルマクについて、アルトニア人(アルスターの住民)の恭順のしるしとしてコネリイ・モールのもとへ送られた十人の人質の一人だったといい、「青緑丸」の名はコルマクがつけたものとしている。とすれば、グレゴリー夫人及びコットレルと、マクラウドの依拠した民話・伝承は、(それが存在するとすれば)同じエピソードの異なるバリエーションだったのだろう。グレゴリー夫人やコットレルが参照したのがアイルランドの伝承、マクラウドが依拠したのがスコットランドの民話・伝承だとすれば、それもある意味当然と言える。そして、もし本当にスコットランドに、コルマク・コン・ロンガスは「青緑」という名の剣を持っている、という伝承があったのなら、それはとても興味深い。それは間違いなく、父親コンホヴァルの持っていた「ゴーム・グラス」に当るはずだからだ。

なお、マクラウド語るところのコルマクは、「青緑丸」に加えて「ピサルの槍」と呼ばれる槍も持っている。これは、神話物語群の『トゥレンの息子たちの最期』に登場するペルシア王ぺザールの槍のことだと思われるが、だとすれば、「屠殺者/殺戮者(Slaughterer)」と呼ばれるこの槍と、本項で扱っている「殺し屋(Slaughter)」との関係が気になるところである。もし両者が同じ槍だとすれば、この槍は、ペルシア王ぺザール→トゥレンの息子たち→ルグ・マク・エトネン→//→コンホヴァル・マク・ネサ→コルマク・コン・ロンガスと伝来してきたことになる。

詳細は「"屠殺者"」の項に譲るが、結論から述べれば、両者は本来、別種の伝承に属する、別の槍だったと思われる。コルマクがピサルの槍を所持することに、本項で取り上げた「殺し屋(Slaughter)」の存在がどの程度影響しているのかはよく分からない。ただ、英訳名もよく似た「殺し屋(Slaugher)」と「屠殺者(Slaugheterer)」が、どこかで混同された可能性もあるのではないだろうか。


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2004/09/05:初版
2004/10/27:「◆大槍ヴェノマスと叫ぶオハン」を追記
2005/08/17:〈考察:魔剣「ゴーム・グラス」と魔楯「オハン」について〉ほか大幅に増補・改訂
2009/09/23:全体の構成を変更、〈おまけ2:コルマク・コンリナスの「青緑丸」〉など一部修正
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