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"急進(Dart)"&"殺し屋(Slaughter)"

"緑青丸(the Blue-green blade)"

分類名槍名槍名剣
語意・語源
系統アルスター伝説群
主な出典◇「ウシュナの息子たちの運命」("Fate of the Sons of the Usna")
古代ケルト文化研究者として名高いP.W.ジョイス(Patrick Weston Joyce, 1827-1914 本職はアイルランドの音楽教育家らしい)の『ケルトのロマンス(Old Celtic Romances)』(David Nutt, 1879; The Devin Adair, 1962)所収の、いわゆるディアドラの物語(ただし、"Fate of the Sons of the Usna"が加わったのは1907年版から)。ディアドラの物語は、紀元前1世紀から紀元後1世紀にかけてアイルランドに実在したとされるコノール・マクネッサ大王の存命中かその直後に成立したとされ、12世紀中葉になって初めて文字に書き留められた。写本『レンスターの書(The Book of Leinster)』(1160頃)中の「ウシュナの子の追放(Longes mac nUsnig―Exile of the Sons of Usliu)」がそれで、19世紀まで5つ以上の版が保存されている。ジョイスの再話は、『レンスターの書』より数世紀遅れて作成されたらしい稿本(ダブリン・トリニティーカレッジ所蔵)にもとづいている。また、民間の伝承ではアイルランドだけで80話以上が採集され、イエイツ(William Butler Yeats, 1865-1939)やシング(John Millington Synge, 1871-1909)といった20世紀を代表する文豪もこれを劇化している。(小辻・三宅(1978/2000解説))
参考文献 ◇フィオナ・マクラオド(松村みね子訳)『かなしき女王』沖積舎、1989.9(1925.3)
◇八住利雄編『世界神話伝説体系40 アイルランドの神話伝説〔1〕』名著普及会、1981.2(1929.3)
◇三宅忠明『スコットランドの民話』大修館書店、1975.12
◇三宅忠明『アイルランドの民話と伝説』大修館書店、1978.5
◇フィオナ・マクラウド(荒俣宏訳)『ケルト民話集』筑摩書房、1991.9(1983.2)
◇井村君江『ケルトの神話』筑摩書房、1990.3(1983.3)
◇健部伸明と怪兵隊『虚空の神々』新紀元社、1990.5
◇小辻梅子訳編『ケルト幻想民話集』社会思想社、1993.8
◇小辻梅子訳編『ケルト魔法民話集』社会思想社、1995.6
◇イアン・ツァイセック(山本史郎、山本泰子訳)『図説ケルト神話物語』原書房、1998.6
◇ジョーゼフ・ジェイコブズ編著(山本史郎訳)『ケルト妖精物語1』原書房、1999.9
◇アーサー・コットレル(松村一男ほか訳)『ヴィジュアル版 世界の神話百科』原書房、1999.10
◇フランク・ディレイニー(鶴岡真弓訳)『ケルトの神話・伝説』創元社、2000.9
◇T.オフラナガン、P.W.ジョイスほか(三宅忠明訳)『ウシュナの子』大学教育出版、2000.12
◇A.カーマイケル、J.ジェイコブズ、A.グレゴリー夫人(三宅忠明、森定万里子訳)『デァドリー』大学教育出版、2000.12
◇Lady Gregory, Cuchulain of Muirthemne, John Murray, 1934(1902初版)
◇Tadaaki Miyake, Deirdre : from earliest manuscripts to Yeats and Synge, 大学教育出版、1999.1

◆悲しみのディアドラ

三宅忠明の『アイルランドの民話と伝説』(1978)によれば、アルスター神話群に分類されるいわゆる「デァドラの物語」には、"急進(ダート)"、"殺し屋(スローター)"、そして"緑青丸"という三つの名のある武器が登場する。それは、英雄ク・フーリンが仕えたウラー(アルスター)の王コノール・マクネッサが、息子フィアクラに貸し与えた武器である。「デァドラの物語」自体は三宅や井村君江の『ケルトの神話』(1990)、フランク・ディレイニーの『ケルトの神話・伝説』(2000)所収の再話を読んでいただきたいが、一応、以下に三宅の語る物語を要約した。「読んだことがある」という方は、前半は読み飛ばしていただきたい。

〜「デァドラの物語」:前半
 ある日、赤枝騎士団(レッドブランチ)のために酒宴を催していた語り部フェミリの家に女児が生まれる。ドルイド僧の予言者カファは「この子のためにウラーとエリン全土におびただしい災いがふりかかる」と予言し、その子に「デァドラ(災い、悲しみをもたらすもの)」と名づける。騎士たちの中には「赤ん坊のうちに殺してしまうべきだ」と言う者もあったが、コノール王はこれを制し、「この子は、災いの手の届かぬところで育てさせ、成人して娘になったらわしの妻としよう」と言う。デァドラは乳母とその夫、女詩人ラバーカン以外の人間とは顔を合わせることなく育てられ、やがて国中のどんな娘もかなわぬ美貌の持ち主に成長する。ある時、彼女は夢に見た若者に恋をし、ラバーカンからそれがコノール王配下の騎士、ウシュナの子ニーシャだと知る。彼は弟のアンリ、アーダンとともに赤枝騎士団の中で最も高名をはせた勇者だった。デァドラはこの恋によって悲しみに沈み、それをかわいそうに思ったラバーカンがニーシャと会えるように取り計らう。その結果、二人は愛し合う中となり、王を恐れた二人は、ニーシャの弟たちとともにアルパの国(スコットランド)に逃れる。彼らはアルパ西部地方の王に仕えるが、デァドラの美貌を知った王はニーシャらを殺して彼女を妃にしようと謀る。これを知ったニーシャらは部下とともに荒野に逃れる。(p.158-162)

〜「デァドラの物語」:後半
 ウシュナの子らの労苦を知ったウラーの貴族たちは、コノール王に彼らを許して呼び戻すように言う。王はこれに同意するが、本心では彼らを殺してしまおうと考えていた。王はウシュナの子らの無二の親友であるファーガス・マクロイに彼らを連れ戻すように命じ、王の本心を知らないファーガスは喜んで彼らの元へ行く。デァドラは王を疑うが、ファーガスが彼らの身の安全を保証したため、皆でウラーの首都エメンへと帰還する。しかし、王の企みによってファーガスはどうしてもウシュナの子らのもとを離れなければならなくなり、かわりに自分の息子、金髪のイランと赤毛のブイニを彼らの守りにつける。赤枝騎士団の兵舎に入ったウシュナの子らのもとに、王にデァドラの美貌が以前のままか見てくるように言われたラバーカンが訪れる。彼らは再会を喜びあい、ラバーカンはコノール王の本心を明かして注意を促す。帰ったラバーカンはデァドラの美貌について、今は面影もないと嘘をつく。しかし王はこれを疑い、今度はウシュナの子らに恨みを持っているトレンドーンという男を遣わす。彼がデァドラの変わらぬ美しさを王に伝えると、王は嫉妬に燃え、すぐさま傭兵達をウシュナの子らのいる兵舎に差し向ける。まず立ち上がったのは赤毛のブイニで、彼ははじめ部下を引き連れて傭兵達と戦う。しかし、王が密使を送って領地や地位を与えることを約束するとウシュナの子らを見捨ててしまう。それを知った金髪のイランは、兄の裏切りを嘆きつつ、部下とともに討って出る。(p.162-179)

ここで登場するのが、本項の主役たる武具たちである。以下に該当箇所を引用する。

この戦いがまさにたけなわの時、コノール王は、息子フィアクラを呼んで言った。
「お前は、あの金髪のイランと同じ晩に生まれたのだ。あれが父親の武器を持って戦っているのだから、わしもお前に武器を貸してやろう。この「大海(ルビ:オーシャン)」と呼ばれる楯と「急進(ルビ:ダート)」と「殺し屋(ルビ:スローター)」と呼ばれる二本の槍、それにこの「緑青丸」と呼ばれる剣だ。勇敢に立ち向かえ。お前が負けたらわが軍は全滅だ。」(p.179)

三宅(1978)は、P.W.ジョイスの再話(『ケルトのロマンス(Old Celtic Romances)』所収)を中心に訳出したと述べているが、『デァドラ精選シリーズ1 ウシュナの子』(2000)では、これを多少修正したものを、ジョイス版「ウシュナの子」の翻訳として再録している。上に引用した箇所はほとんど修正されていないが、「緑青丸」に「グリーン・ブルー」というルビが振られているという違いがある(p.63)。なお、ここにあらわれるルビは明らかに英語で、オーシャンは"ocean"、ダートは"dart"、スローターは"slaughter"、そしてグリーン・ブルーは"green-blue"だと思われる。


◆"緑青丸"と"the Blue-Green blade"

念のため、英語版で確かめてみよう。参照したのは、三宅忠明編 Deirdre : from earliest manuscripts to Yeats and Synge (1999)所収、P. W. Joyce による"The Fate of the Sons of Usna"である。

   Then, while the fight was still raging, Conor called to him his son Fiachra, and said to him: "Thou and Illan the Fair were born on the same night: and as he has his father's arms, so thou take mine, namely, my shield which is called the Ocean, and my two spears which are called Dart and Slaugher, and my great sword, the Blue-green blade. And bear thyself manfully against him, and vanquish him, else none of my troops will survive."(p.210)

予想通り、オーシャンは"Ocean"、ダートは"Dart"、スローターは"Slaughter"であった。ただ、グリーン・ブルーは"the Blue-green blade"となっており、"green-blue"ではなかった。「緑青」と「青緑」、微妙な違いだが、この相違には何か意味があるのだろうか?


◆魔の楯"大海"

名称の問題はひとまずおき、これらの武具の具体的な特徴について考えよう。ジョイスの「ディアドラ物語」には残念ながら(?)、三つの武器について特にどのような能力があるのか述べられていない。逆に「大海」の不思議な力は物語の中で大きな役割を果たしている。以下にこの箇所を引用しよう。イランとフィアクラとの一騎打ち。フィアクラ劣勢の場面から。ちなみに、文中の「エリンの三大灘」とは、「アイルランド北岸のトアスの灘、北東岸のラリーの灘、南西岸のクリーナの灘の三つを指す」という(p.180)。なお、引用したのは1978版である。2000版もほぼ同文であるが、言葉遣いに微妙な差異がある(p.63-64)。

フィアクラは父の楯「大海」をもって防戦一方となった。今にも力尽きそうになった時、その楯が突如うめき声を発した。するとそれに和してエリンの三大灘が、うつろなうなり声を発したのである。
   遠く離れた丘の砦にいた勇者コーナル・カーナッフが、フィアクラの楯とトアスの灘のうなり声を聞いてとびあがった。
「大変だ。王が危い。助けに行かねば。」
   彼が風のように走り、エメンの原にかけつけてみると、ふたりの戦士が血みどろの戦いの最中である。楯のかげで防戦しているのはコノール王だと思いこみ、相手をイランとは思わず猛然と襲いかかった。それどころか、致命の一撃を与えてしまったのである。イランはやっとの思いで顔をあげ、最後の息の下から言った。
「何ということだ、コーナルよ。私と気づかなかったとはいえ、何というひどいことをしてくれた。コノール王の謀略にかかって危険にさらされているウシュナの子らを、私がこうして守っているのが分からなかったとは。」
   知らなかったこととはいえ、自分の手で若き親友のイランを傷つけたことを知ると、悲しみはすぐに憤りにかわり、コーナルはその場でフィアクラの首をはねた。そしてそのものすごい形相で、押し黙ったまま、その戦場をあとにした。(p.180)

◆名剣ゴーム・グラス?

イランは結局、息絶えることになる。その後、ウシュナの子らがどうなったのかは、各自、本を読んでいただきたい。ちなみに、三宅が携わっている『デァドラ精選シリーズ』(全10巻:ただし既刊は1、2、7、8巻のみか?)では、ここに挙げたジョイス版だけではなく、複数のディアドラ物語を比較しながら読むことが出来る。オフラナガンらの英訳に基づく『レンスターの書』版「ウシュナ」、1867年にスコットランドの官吏で民話採集家のA.カーマイケル(Alexander Carmichael, 1832-1912)が、当時83歳になるイアン・マクニール(Ian MacNeill)から土着のゲール語で採集した伝承資料「デァドリー」、オーストラリア生まれの民俗学者・歴史学者ジョーゼフ・ジェイコブズ(Joseph Jacobs, 1854-1916)の再話「デァドラ」(『ケルト妖精物語』(Celtic Fairy Tales, 1891)所収)、オーガスタ・グレゴリー夫人(Lady Augusta Gregory, 1852-1932)の再話「ウシュナの子」(『ミュルヘヴネのクホラン』(Cuchulain of Muirthemne, 1902)所収)などだ。

これらのディアドラ物語のうち、『レンスターの書』版、カーマイケル版、ジェイコブズ版に、本項の武具は登場しない。唯一、グレゴリー夫人版に類似した武具が登場するので、これを引用しておこう。

「そちとイランは同じ日に生まれた。あれが父親の武器を持っているのだから、そちにはわしの武器をつかわそう。『大海(ルビ:オーシャン)』と呼ばれるわしの盾、二本の槍と大刀『ゴーム・グラス』と『蒼緑(ルビ:ブルー・グリーン)』だ。勇敢に戦って立派な戦果をあげて来い」(2巻p.116)

ちなみに、この後、「大海」とトアフの灘のうなり声を聞いて、コーナル・キルナ(コーナル・カーナッフ)が駆けつけて来るところもジョイス版と同じである。武具に関して違うのは、二本の槍の名称が明らかになっていないこと、剣の名が「緑青丸(グリーン・ブルー)」ではなく「蒼緑(ブルー・グリーン)」となっていること、そして「ゴーム・グラス」という別の剣が登場していることである。この相違に関しては、節を改めて検討しよう。


◆大槍ヴェノマスと叫ぶオハン

実は、コノール王の武具が登場するのは「デァドラ物語」だけではない。井村(1990)によれば、ク・ホリンの元服の折、コノール王はク・ホリンに二本の槍と盾と剣を与えるが、ク・ホリンがその槍を振りまわすと、柄はたちまち折れくだけてしまう。コノール王はもっと強い武具を次々に与えるが、どれもこれもク・ホリンの力には耐えられない。「そこでついに王は、自分の戦車、二本の槍、剣を与えてみました。これらは特別に作られたものでしたから、さすがに壊れません」(p.172-173)。ということで、元服したク・ホリンは、王の武器を身につけることになるのである。

井村はそれらの武器の名前を明らかにしていないが、ツァイセックの再話『図説ケルト神話物語』(1998)には同様の挿話があり、元服直後のクーフランが用いている槍の名前も登場する。それが大槍"ヴェノマス"である。クーフランの初陣、ネフタシュケーネの三人の息子たち(フォイル、ファンレ、トゥーアヘル)との戦いの場面から引用しよう。

「心配はご無用」とクーフランは言います。「わが国の民に誓って言うぞ。こいつが二度とアルスター人を攻撃できなくしてやろう」こう言ういうとクーフランはクルフーア(引用者注:コノール王のこと)の大槍"ヴェノマス"を手に取り、相手めがけて投げつけました。槍はフォイルの盾を突き破り、あばら骨を三本砕き、心臓をまっすぐに突き抜けました。(p.43)

さらに、ツァイセックは別の箇所で、クルフーア(コノール)の所持する盾の名前も挙げている。「トェン・ボー・クールニュ」(『クアルンゲの牛捕り』)の再話、クルフーア王の率いるアルスター軍と、アリルとメイヴの率いるコナハト軍が直接ぶつかる大詰めの場面。クルフーア王が、「デァドラ物語」以後コナハト側についていたフェルグスに出会ったところから引用しよう。

あわててクルフーアは盾―叫ぶオハンと呼ばれる豪華な盾をかかげました。四本の黄金の角、四つの黄金の覆いがついた目もあやなるオハンは、魔法の盾です。持ち主に危険がせまれば叫んで知らせてくれるのです。満身の力をこめて三度、フェルグスはクルフーアの上に剣を振り下ろしますが、オハンの盾にはへこみひとつできません。それどころか金きり声で絶叫したので、アルスター軍の盾もこぞって叫び始めました。(p.120)

「持ち主に危険が迫ると叫んで知らせる」という点が、上述した魔の楯"大海"とよく似ている。この直後、盾の叫びを聞いたクーフランが戦場に駆けつけるところにも類似が見られるが、同時に叫びを上げるのは海ではなく、他の兵士たちの盾である点が、"大海"とは異なっている。この盾についても次節で検討しよう。



〈考察:魔剣「ゴーム・グラス」と魔楯「オハン」について〉

2005年7月13日、マメ氏から掲示板に興味深い書き込みを頂いた。マメ氏によれば、ゴームgormはゲール語で青、グラスglasは緑という意味らしく、ゴーム・グラスとは魔剣蒼緑のゲール語呼称ではないか、というのである。とりあえず、前田真利子・醍醐文子編著『アイルランド・ゲール語辞典』(大学書林、2003.11)をひいてみたところ、"gorm"は「青色」、"glas"は「緑色、灰色」という意味のあることが確かめられた(p.321, p.314)。

 ◆魔剣「ゴーム・グラス」

しかし、先に引用した日本語訳(森定・三宅訳※1)では、「ゴーム・グラス」と「蒼緑(ブルー・グリーン)」は明らかに別の武器として登場している。そこで、まずはオーガスタ・グレゴリー夫人の再話に直接当たってみた。参照したのは、Cuchulain of Muirthemne (John Murray, 1934)所収の"Fate of the Son of Usnach"である。以下に、先に引用した森定・三宅訳に該当する箇所を引用してみよう。

"By my word," said Conchubar, "it is on the one night yourself and Iollan were born, and as it is the arms of his father he has with him, let you take my arms with you, that is, my shield, the Ochain, my two spears, and my great sword, the Gorm Glas, the Blue Green―and do bravery and great deeds with them."(p.130)

注目すべきは"my great sword"という単語である。英語がロクに読めない私でもこれが単数形であることは分かる。当該部分の森定・三宅訳は「大刀『ゴーム・グラス』と『蒼緑(ルビ:ブルー・グリーン)』」で、私はこれを「大刀ゴーム・グラスと大刀蒼緑」という意味だと思っていたが、「大刀」が単数だとすればこの解釈は間違いだということになる。もう一つの解釈の可能性として、「大刀ゴーム・グラス」と「蒼緑」と解釈することも出来るが、この解釈だと「蒼緑」が剣ではない可能性が生まれ、具体的に何なのかが不明になってしまう。

もう一度英文に戻ろう。私は英語が読めない。読めないが、"my great sword, the Gorm Glas, the Blue Green"は「大刀『ゴーム・グラス』、すなわち『蒼緑』」とは訳せないのだろうか? これが日本語訳として妥当ならば、マメ氏の指摘どおり、「ゴーム・グラス」と「蒼緑」は同じ一つの剣ということになる。私はその可能性が高いと思うのだが、皆さんはどう思われるだろうか?

さらにもう一つ気になるのは、ジョイス版における剣の名称"the Blue-Green blade"と"緑青丸"という訳語との齟齬である。グレゴリー夫人版にある「ゴーム・グラス(Gorm Glas)」が、この剣の名の原語だとすれば※2、その英語訳は「ブルー・グリーン(Blue-green)」、そして日本語訳は「蒼緑」が、最も妥当なのではないだろうか?

 ◆魔楯「オハン」

さらにもう一点、先の引用の中で注目したいのは、"my shield, the Ochain"という箇所である。森定・三宅訳は「『大海(ルビ:オーシャン)』と呼ばれるわしの盾」となっている。ジョイス版では"Ocean"となっていた楯の名が、ここでは"Ochain"になっているのである。この単語の意味が私には分からないのだが、森定・三宅訳を信じるなら、これにも"Ocean"と同様に「大海」の意味があることになる。しかし、この訳は綴りの類似と、ジョイス版など他のディアドラ物語を参照した結果から類推して、行われたものである可能性もあるのではないだろうか? 何故、このような疑問を持つのかというと、この"Ochain"に綴りの似た単語として"ochlán"という単語があるのである。前田真利子・醍醐文子編著『アイルランド・ゲール語辞典』(大学書林、2003.11)によれば、その意味は「ため息、うめき」で、その属格単数・主格複数形は"ochláin"となっている。

で、ここからは単なる憶測なのだが、これに関連する単語に"ochón"があり、これには「悲しみ、嘆き、叫び」といった意味がある。この単語、無理矢理カナ表記にするなら、おそらく「オホン」といったところだろう。ここで、ツァイセックの再話『図説ケルト神話物語』(1998)に登場した盾「叫ぶオハン」を思い出していただきたい。あの「叫ぶオハン」の「オハン」とは、この「叫ぶ」という意味のある"ochón"なのではないだろうか? その名につけられた「叫ぶ」という二つ名は、その名の意味を示しているのではないかと思うのである。もし、このオハンがツァイセックの創作でないとしたら、グレゴリー夫人の再話に登場する"the Ochain"にも、似たような意味のある可能性があるのではないだろうか?

※1 : 『デァドリー』(2000)の解説によれば、グレゴリー夫人の「ウシュナの子」は「まず森定が訳し、その後三宅が多少の手を加えた」という(p.146)。

※2 : 現状では"the Gorm Glas(ゴーム・グラス)"というゲール語表記が、この剣の名称の「原語」だと断定することは出来ない。グレゴリー夫人がデァドラ物語を再話するにあたって、先行するテクストにあった"the Blue-green"という英語表記から、ゲール語表記を独自に類推した可能性も否定できないからである。先行するテクストにこの表記が確認できれば良いのだが…。



〈考察:錯綜する武具の名称〜原語・英訳・日本語訳〉

以上のような疑問を解決するため、最初に武具名の綴りを確認する際に用いた三宅忠明編 Deirdre : from earliest manuscripts to Yeats and Synge (1999)をもう一度参照しよう。この本には、ジョイス版だけでなく、たくさんのディアドラ物語が収録されているのだが、残念なことに全篇英語で書かれているため、英語力に欠ける私には手が出せない。だからこそ、三宅さんに頑張っていただきたいわけだが(〈おまけ1:三宅忠明編『デァドラ精選シリーズ』〉参照)、ともかくもパラパラとめくってみることにする。すると、複数のバージョンで武具名が明らかになっていることが判明した。とりあえず、ここでは二篇だけ紹介することにしよう。引用するのは、武具名が登場する例の場面。前者はTheophilus O'Flanagan(1760-1818)による"Deirdri, or, The Lamentable Fate of the Sons of Usnach (Veesion 2)"(1808)、後者はProfessor Mackinnon(Donald Mackinnon, 1849-1915)編訳の"The Glenmasan Manuscript"(1904-1908)である。

   "By my troth," says he, "it was on the same night that thou thyself and Illan the Fair were born; and as they are his father's arms he hath, take thou my arms with you, namely, the Ocean, the Victorious, and the Cast, and the Blue-green Blade; that is, my shield and my two javelins, and my broad sword, and exert great resolution and valour with them."(p.56)
   Then Conchobar said: 'Where is Fiacha, my son?' said Conchobar. 'Here,' said Fiacha. 'By my conscience, it was on the same night you and Illann were born, and he has his father's arms; and do you bring my arms with you, the Orchain, and the Cosgrach, and the Foga, and my Sword; and fight bravely with them.'(p.87)

詳しい考察は、いずれもう少し英語力がついたら、もしくは日本語訳が出版されたら、ということで…(後者である可能性が非常に高い)。一応、表にまとめることで、お茶を濁しておく。ちなみに、マッキノン版の"the Orchain"、"the Cosgrach"、"the Foga"がそれぞれどのような"arm"なのかは不明だが、一応、他のテクストを参考に、盾と槍に当てはめた。また、とある理由により※3、ジョイス版の"Dart"と"Slaugher"は、原文での登場順とは逆に配置している。

バージョン槍1槍2
オフラナガン(2)版(1808)the Oceanthe Victoriousthe Castthe Blue-green Blade
マッキノン版(1908)the Orchainthe Cosgrachthe Foga(Sword)
グレゴリー夫人版(1902)the Ochain(two spears)the Gorm Glas, the Blue Green
ジョイス版(1907)the OceanSlaugherDartthe Blue-green blade

最後に一言だけ。先に三宅訳のジョイス版における「緑青丸」という訳と原文"the Blue-green blade"との齟齬について指摘したが、この問題にはもう少し続きがある。三宅は、1978年には単に「緑青丸」としていた訳文に、2000年になって「グリーン・ブルー」というルビを振っているのである。原文が"the Blue-green blade"なら、このルビは少々不自然ではないだろうか? 三宅は、上に引用したジョイス版(原文)以外の資料も参照していて、そこには"Green-blue"と書かれていたということももちろん考えられるが、オフラナガン(2)版(1808)までが"the Blue-green Blade"としていることを考えると、次のように考えた方が妥当かもしれない。すなわち、三宅はこの剣の名前を当初(1978年当時)「緑青丸」と訳したが、後に改訂する際、他の武器(「ダート」や「スローター」)と体裁を合わせるためにルビをつけた。しかし、原文ではなく訳語に忠実にルビを振ったため、「緑」と「青」がひっくり返ってしまったわけである。以下、要継続調査。

※3 : ジョイス版の槍名を入れ替えた理由は以下の通り。本ページは2005年7月13日にマメ氏から頂いた書き込みに触発され、大幅な改訂が加えられることになったのだが、同年7月24日に掲示板上に草稿を示したところ、7月31日に再びマメ氏より興味深い情報を頂いた。マメ氏によれば、マッキノン版にある"Cosgrach"という語には、「勝利者」もしくは「屠殺者」という意味があり、"Victorious"及び"Slaugher"に対応するというのである。一方の"Foga"の意味は不明だが、前田真利子・醍醐文子編著『アイルランド・ゲール語辞典』(大学書林、2003.11)によれば、綴りの似た単語"fogha"に「突き、突進」といった意味があるので、「突進、飛ぶように[すばやく]動くこと」の意のある"dart"に対応するのかもしれない。また、"dart"と"cast"には、ともに「投げる」という意味がある。(英単語の意味については、手元の『ライトハウス英和辞典 第2版』(研究社、1991)を参照した)



〈考察:「ディアドラ物語」勝手に比較〉

上述したような様々なディアドラの物語を(日本語で)比較しながら読みたいなら、三宅忠明の『デァドラ精選シリーズ』がオススメである。収録されているのは、1巻がT.オフラナガンらの英訳に基づく『レンスターの書』版とジョイス版、2巻がカーマイケル版、ジェイコブズ版、グレゴリー夫人版だ。以下に、これら5つのディアドラ物語を簡単に比較した一覧表を作ってみたが、「物語の結末が分かってしまうと面白くない」という人のために、比較ポイントの後半は黒系の背景にわざと黒文字で書いている。読みたい方は反転させてお読みいただきたい。

バージョン概要比較ポイント(ネタバレ)
『レンスターの書』版"Longes mac nUsnig―Exile of the Sons of Usliu"
12世紀の写本『レンスターの書』(The Book of Leinster, 1160c)所収(39550行中の284行)。
デァドラは王の下で育てられる。//デァドラはギーサにより、自分を連れて逃げるようニーシャに強要する。//ニーシャはイーガンの大槍で殺される。//一年後にデァドラは馬車から身を乗り出して自殺。
ジョイス版"Fate of the Sons of the Usna"
『レンスターの書』から数世紀遅れて作成されたらしい稿本にもとづく再話。『ケルトのロマンス』(Old Celtic Romances, 1879)所収(ただし1907年版以降)。
デァドラは王の下で育てられる。//二人は愛し合って逃げる。//ファーガスの息子、兄は裏切り、弟は裏切らない。//三兄弟は王にだまされ捉えられて処刑。//デァドラは彼らと同じ墓に入る。
カーマイケル版"Deirdire"
1867年3月16日、外ヘブリディーズのバーラという小島で、当時83歳になるイアン・マクニール(Ian MacNeill)から土着のゲール語で採集した民話。公刊は1887-1888年。
デァドリーは山の中で育てられる。//フィラハ(ファーガス)の息子、長男・次男は裏切り、三男は裏切らない。//三兄弟はドルイドの魔法に倒れる。//デァドラは彼らと同じ墓に入るが、王が引き離す。//墓からは二本の松が生える。
ジェイコブズ版"The Story of Deirdre"
カーマイケル版を省略・翻案した再話。『ケルト妖精物語』(Celtic Fairy Tales, 1891)所収。
基本的にはカーマイケル版と同じ。ただし、子ども向けの「教育的配慮」で、殺戮(戦闘)シーンが大幅にカットされ、フィラハー(ファーガス)の息子は誰も三兄弟を裏切らない。
グレゴリー夫人版"Fate of the Sons of Usnach"
カーマイケル版と『レンスターの書』版にもとづく再話。『ミュルヘヴネのクホラン』(Chuhulain of Muirthene, 1902)所収。
デァドラは山の中で育てられる。//ファーガスの息子、兄は裏切り、弟は裏切らない。//三兄弟は王にだまされ捉えられて処刑。//三兄弟死後、デァドラが嘆く部分が長い。//デァドラはナイフで自殺。//デァドラの死後、コーマックの後日譚あり。

ただし、このディアドラ精選シリーズ、都道府県立の大きな図書館や、大学図書館にしか置いていないかもしれない。そこで、この他に、ディアドラの物語が読める日本語文献を一覧表にした。私の知っているものだけしか挙げていないが、参考にしていただきたい。

バージョン題名・収録書誌情報概要
『レンスターの書』版「デァドルー―ウスリューの子たちの追放」
  三宅忠明訳『アイルランドの民話と伝説』(1978)
翻訳。デァドラ精選シリーズとほぼ同じ。
「悲しみのディアドラ」
  井村君江『ケルトの神話』(1983/1990)
再話。簡潔だが、物語とは別に他のバージョンへの言及もある。文庫本になっているので入手が容易。
「デルドレとウシュネの息子たち」
  フランク・ディレイニー『ケルトの神話・伝説』(2000)
再話。ストーリーはほとんど改変されていないが、登場人物の心理描写が詳しくなっている(=民話らしさには欠ける)。
「不幸な姫」
  八住利雄編『アイルランドの神話伝説〔1〕』(1929/1981)
再話。原本不詳※4。別バージョンを既に読んでいると、色々な意味でなかなか楽しめる。
ジョイス版
「デァドラの悲運」
  三宅忠明訳『アイルランドの民話と伝説』(1978)
翻訳。デァドラ精選シリーズとほぼ同じ。
カーマイケル版「デァドリー」
  三宅忠明訳『スコットランドの民話』(1975)
翻訳。デァドラ精選シリーズとほぼ同じ。
ジェイコブズ版「ディアドラの悲話」
  小辻梅子訳『ケルト幻想民話集』(1993)
翻訳。訳者あとがきでジェイコブズ版とジョイス版との比較が行なわれている。時折不思議な訳アリ(逐語的?)。文庫本だが、残念なことに絶版。
「デルドレーの物語」
  山本史郎訳『ケルト妖精物語1』(1999)
翻訳。ジェイコブズの『ケルト妖精物語』の完訳。ジェイコブズ自身による「序文」も訳されている。

※4 : 原本不詳だが、内容は『レンスターの書』版とジョイス版を混合したものと考えられるので、一応この場所に配置した。その特徴は以下の通り(前掲表の比較ポイントに順ずる)。デーズレ(ディアドラ)は王の下で育つ。//ファーガスの息子、一人は裏切り、もう一人は裏切らない。//三兄弟はドルイドの魔法で捕らえられ処刑。//デーズレは一年後に馬車から飛び降りて自殺。//墓からはイチイの木が生える。以上。


〈考察:コルマク・コンリナスの「青緑丸」と「ピサルの槍」〉

本項の槍「殺し屋(Slaughter)」は、トゥアハ・デ・ダナン神話に登場する槍「屠殺者(Slaughterer)」(「屠殺者」の項参照)とよく似ている。「殺し屋(Slaughter)」はアルスター神話に登場するウラー(アルスター)王コノールの槍であり、「屠殺者/殺戮者(Slaughterer)」はトゥアハ・デ・ダナン神話に登場するペルシア王ペザールの毒槍だが、両者には何か関係があるのだろうか? 二本の槍はともにP.W.ジョイスの『ケルトのロマンス(Old Celtic Romances)』を出典としているが、似ているとはいえジョイスは二本の槍に同一の名前を与えていない。そのため、ジョイス自身は二本の槍を同一の槍と見なしてはいなかったものと思われるが、元は一本の槍として伝承されていたものが、ジョイス以前のある段階で別の槍と認識されるようになった可能性もある。「屠殺者」と異なり、「殺し屋」には特徴などの記述がないため確かめようがないのだが、ヒントがないわけではない。それが以下に述べるコノール王の息子コルマクの挿話である。

グレゴリー夫人版には、デァドラ物語の後日譚として、物語の最後にコナハー王の息子コーマック・コンリンギスの挿話が含まれている(p.133-134)。たった2ページ足らずの物語だが、簡単にあらすじを説明すると以下の通り。なお、これ以降は説明上、このコーマックの物語の結末だけではなく、「ディアドラの物語」そのものの結末にも触れざるをえない。知りたくない方はここから先、お読みになりませんように。

コナハー王の裏切りに怒ったコーマック・コンリンギスは、ファーガスらとともにアルスターを去り、ドルイド僧カスバは、コナハーの血族がこれ以後、誰ひとり玉座につけぬよう呪いをかける。コナハーの息子のほとんどは父親より先に死に、コナハーの死期が近づいた時、生き残っていたのは国を離れていたコーマックだけだった。コーマックは王国を継ぐために呼び戻されるが、故国への帰途、アルスターとは敵同士であるコノートの軍勢と鉢合わせしてしまう。一方、たまたま近くに住んでいたハープひきのクレイフタインは、妻のセーンがコーマックに恋してしまったため、彼に嫉妬し激しく憎んでいた。そこで、コノート軍がコーマックを攻撃しようとしているのを知ると、ハープを奏でてコーマックから立ち上がる力を奪ってしまう。そのため、コーマックをはじめ家来のほとんどが殺され、カスバの呪いは現実のものとなったのである。(おしまい)

この物語、グレゴリー夫人の創作かというと、そうとも言い切れないようだ。コットレルの『世界の神話百科』(1999)に、アルスターの王コンホヴァル・マク・ネサ(Chonchobar Mac Nessa)には、コルマク・コン・ロンガス(Cormac Conn Longus 長い(ロンガス)追放の頭(コン)を意味する)と呼ばれる王子がいる、との記述があるのだ。コットレルからコルマクに関する記述を引用してみよう。

あるアイルランド神話が語るところによれば、彼は父王がデルドレの夫ノイシュを裏切って殺害したり、退位したアルスター王フェルグス・マク・ロイヒの追放を画策したことを嫌ったという。瀕死の父王が彼を後継者として指名した際に招かれるまで、故国に戻るつもりはなかった。あるドルイド女僧は、彼がアルスターに戻ると殺されると警告したが、結局彼は出立し、途中、魔法にかけられて深い眠りに落ち、戦士の集団によって殺されてしまう。この攻撃は、妻の心をコルマクに奪われた、嫉妬深い夫によって企てられたと言われている。(p.242)

グレゴリー夫人の物語とほぼ一致する内容である。さらに、スコットランドの作家フィオナ・マクラウド(Fiona Macleod, 1855-1905:本名 William Sharp)が、この物語をコルマク・コンリナス(コーマック・コンリンギス)を主人公にして再話している。それが荒俣宏訳『ケルト民話集』(1983)所収の「クレヴィンの竪琴」("The Harping of Cravetheen")である(松村みね子訳『かなしき女王』での題名は「琴」)。訳者の荒俣によれば、出典はマクラウドの短編集『罪を食う人(The Sin-Eater)』(1895初版)。マクラウド(シャープ)は若い頃からケルトの民話を聞き集めていたそうだが、この物語がどの程度民話に忠実なのか、私には分からない。しかし、注目すべきは、ここに「青緑丸」と呼ばれる魔剣が登場することである。しかも、その所持者は、「北方エールの全域にわたってコルマク・コンリナスの名で知られる、ネサの子コノールのそのまた子コルマク」(p.11)なのだ。この剣について、マクラウドは次のように書いている。

 人々は、かれのみごとな槍さばきや剣のわざ、そして怒りのときの恐ろしさ、戦を愛する心のはげしさ、その笑い声と明るい気分、また剣が鳴りをひそめたときにかれのくちびるにほとばしる歌について、あれこれ噂をしあう。コルマク・コンリナスが名づけた〈青緑丸〉という剣―人によってはこれを〈ささやき丸〉とも呼んでいたが―その剣に手をふれることのできる人間は、ひとりもいないぞ、と。〈青緑丸〉という名の由来は、かれがその剣をふるうと、まるで稲光が走るように青みどり色にかがやくところにあった。それに、この剣は渇くと、なにごとかささやきはじめ、赤い血の飲みものをやらないと渇きはしずまらないのだった。アルトニア人を恐れ憎む人びとのうちで赤い血を沸きたたせる者が出てくると、剣はかならずささやいた。ネサの子コノールのそのまた子であるコルマクの影を追いしたがう別の影がある―と、剣はからなずささやいた。そういうわけで、コルマクの死を願っている人びとのあいだでも、虹色の霧がかかるなかにすわって鍛冶の仕事を永遠につづけるレン神がきたえたといわれるその剣は、ふしぎなささやきを発するというので大いに恐れられた。(p.12)

この剣を松村は「香vと訳しているが、ジョイスの"the Blue-Green blade"、グレゴリー夫人の"the Blue Green"と同一の剣であると見て間違いないだろう。マクラウドはコルマクについて、アルトニア人(アルスターの住民)の恭順のしるしとしてコネリイ・モールのもとへ送られた十人の人質の一人だったといい、「青緑丸」の名はコルマクがつけたものとしているが、ディアドラ物語の多様性を考えれば、民話におけるこの程度の異同は、それほど問題にはならないと思われる。注目すべきは、アルスターの王コノール・マックネサと英雄コルマク・コンリナスの父子が同じ「青緑」という剣を持っていることだ。そして、この事実をより一層興味深いものにするのは、マクラウド語るところのコルマクが「ピサルの槍」と呼ばれる槍をも持っていることである。これは明らかにアイルランドの神話に登場するペルシア王ペザール(ピサール)の槍ではないだろうか(詳細は「"屠殺者"」の項参照)。

ここで、先の名槍「殺し屋(Slaughter)」の話を思い出していただきたい。英雄コルマク・コンリナスの持っていた「ピサルの槍」が、ペルシア王ピサールの槍「屠殺者(Slaughterer)」だとすれば、話のツジツマが見事に合う。つまり、ペルシア王ピサールの槍は、長腕のルーの命により、ペルシアからエリンにもたらされた。それがのちにアルスター王のものとなっていても不自然ではないだろう。そして、英雄コルマクは、父コノール・マックネサ王の武具であった名槍「急進」・名槍「殺し屋」・名剣「緑青丸」のうち、ピサルの槍「殺し屋」と「緑青丸(青緑丸)」を受け継いだのである。そう考えれば、コノール王の名槍「殺し屋」は、ピサールの毒槍「屠殺者」と同一の槍だと考えることが十分に可能なのだ。



〈おまけ1:三宅忠明編『デァドラ精選シリーズ』〉

デァドラ物語だけを集めたシリーズ本である。こんな本が売れるのだろうか?と心配してしまうが、売れないからこそ、未だ10冊中4冊しか刊行されていないのだろう(私はとても欲しいが…三宅忠明さん、頑張ってください!)。しかし、こういうシリーズが出版されているという事実こそが、私に「日本ってすごいな〜」と感じさせる。はるか異国の、2000年近い歴史を持つ物語に興味を持つ人間がそれだけいるということ。日本が「先進諸国」と呼べるとすれば、まさにそういう「文化的余裕」みたいなものが許容されていることによると思うのだ。

最近、「文学部は役に立たないから要らない」という話をあちこちで聞く。確かに文学部で学ぶようなことはお金儲けや実生活はなんの役にも立たないだろう。しかし、(私のような)文学部生は「役に立たないこと」に誇りを持っている。役に立つこと、お金や便利さや効率だけを追い求めるような、そんな貧しい人生はこっちから願い下げである。せっかく日本に生まれたのだ。「役に立たないこと」が出来る幸せを満喫しなければ、申し訳が立たないだろう。

ちなみに、私はジョイス版の「ウシュナ」が好きだ。コノール王の威厳がある程度保たれているし、私の好きなファーガスも格好良い(面子を保っている)。そして、物語全体が運命的で逃れられないものであることを感じさせる。例えば、カーマイケル版では狩人が物語を動かす重要な働きをし、「こいつがこれをしなければ上手くいったのに」と思わせる。そのため、読者から見て狩人は「悪人」に見える。それではダメなのだ。誰かが特別悪いわけではなく、皆が止むに止まれず進んでいった先が悲劇だった、という方が、最初に予言が語られ、それが実現していく物語としては美しいと思うのである。

また、本項の武具が出てくる先の引用箇所は特に好きな場面である。なぜなら、登場人物が皆、非常に格好良いからだ。父の約束とウシュナの子らを守るため、王の懐柔をはねつけて戦う金髪のイラン(その最期)。王への忠誠心のために戦場にかけつけ、イランに致命傷を負わせてしまうコーナル・カーナッフ(その苦渋)。そして、コノール王の息子フィアクラ。特にフィアクラは、敵役で今ひとつ目立たないものの、同情すべき勇士であると私は思う。コノール王に「勇敢に立ち向かえ。お前が負けたらわが軍は全滅だ」(この台詞も好き。王の威厳が感じられる)と言われ、無言で戦場に向かい、イランとほぼ互角の闘いを演じる。しかし、突然あらわれたコーナルにあっさり首を取られてしまうのである。彼もイランと同じ。父に忠実に従っているだけなのだ。それなのに台詞の一つも貰えず、敵役として、やられる時はあっさりやられてしまう。そう考えると、同情せずにはいられないのである。



〈おまけ2:フィオナ・マクラウド『ケルト民話集』〉

ジョイス版が好きな理由は他にもある。それはいかにもケルトっぽい道具立てである。三宅の言う魔の楯「大海」は、いかにもケルトっぽい。危機が迫ると楯自身がうめき声をあげるとともに、三つの海が声をあげる。これが「大海」の名の由来なのだろう。そういう声を上げる、生きている器物、「聖的」というより「魔的」で妖しげなものがケルトの魅力の一つだと館長は考える。血を求めてささやくマクラウドの「青緑丸」も同じだ。魔剣はこうでなくてはならない。

フィオナ・マクラウドの『ケルト民話集』は暗い! 「ウェールズのケルトは余裕がある。アイルランドのケルトは楽天的だ。しかしスコットランドのケルトだけは昏く悲しい」とマクラウドが言っている通りだ。しかし、先に言及した「クレヴィンの竪琴」などは、なんとも言えない趣のある話で、私はかなり気に入っている。特に英雄コルマクが恋人エイリイに対して歌う歌が素晴らしい。おそらく荒俣宏氏の訳の巧さも大きく影響しているだろう。「わが心の女よ、われに来よ!  われに来よわが心の女よ」。余談だが、荒俣宏という人物を館長はかなり尊敬している。この学問の細分化した時代に「博物学者」と呼べるのはこの人くらいのものだろう。あの守備範囲の広さと深さはちょっとマネできない。


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2004/09/05:初版
2004/10/27:「◆大槍ヴェノマスと叫ぶオハン」を追記
2005/08/17:〈考察:魔剣「ゴーム・グラス」と魔楯「オハン」について〉ほか大幅に増補・改訂
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