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リュシング & フィティング

分類名剣名剣
語意・語源????
系統その他の北欧伝説
主な出典◇サクソ『デンマーク人の事績(ゲスタ・ダノールム GESTA DANORUM)』第七の書
デンマーク中世の歴史家サクソ・グラマティクス(1150頃-1220)が、ラテン語によって著した史書。中世デンマーク史は言うに及ばず、古代北欧の神話、英雄伝説を研究するものにとり、不可欠の文献とされる。サクソは、ルンドの大司教もつとめたコペンハーゲンの健都者アブサロン(1128-1201)の書記で、このデンマーク史の編著もアブサロンから依頼されたものである。全十六巻からなり、(1)一〜九巻は伝説的な先史時代で、王国の建設者であるダン王からゴルモ王までの異教時代、(2)十〜十三巻はハラルド青歯王からニルス王までの歴史時代の数世紀、(3)十四〜十六巻は現代、すなわちエーリク・エムネス王の即位、アブサロンの大司教叙任から、クヌート六世によるヴェルンド族征服(1185)までを扱う。なお、グラマティクス(「学者」の意)は姓ではなく、仇名である。(谷口(1993))
参考文献 ◇サクソ・グラマティクス(谷口幸男訳)『デンマーク人の事績』東海大学出版会、1993.9


◆『ゲスタ・ダノールム』に登場する名剣たち

本ページで紹介するのは、サクソの『ゲスタ・ダノールム』に登場するノルマン人の王レグナルドの剣である。「リュシング」と「フィティング」というその名が現れるのはかなり後になるが、剣を関わる部分に谷口幸男訳『デンマーク人の事績』(1993)からの引用文を交え、物語のあらすじを追ってみよう。まずは祖国デンマークの状況から…。

繰り返される戦によって、当時、デンマーク王家の血筋はほとんど根絶やしにされていた。生き残っていたのは、シガル王の子アールブと、イェートランド王シーヴァルドの娘アルヴィルダとの間に生まれた娘グリータのみ。デンマーク人たちは、王国の支配を民衆に移し、スコーネはオストマルに、シェランはフンディングに、フューネンはハノに、ユトランド(ユラン)はローリクとハテルにその管理を任せることにした。


◆ノルマン人の王レグナルドの剣

一方、スウェーデン人グンナルは、敵対していたノルウェーに攻め入り、ヤーテルの国に侵入して住民を殺戮をした。民衆は彼の残酷さを恐れて降伏。ノルマン人の王レグナルドは高齢に達していたが、グンナルのことを聞くと、人工の洞窟をつくって娘のドロータを隠し、召使と食料とを手配した。

鍛冶屋の精巧な仕事によって飾られた剣も王家の什器といっしょに同じように洞窟の中にしまった。自分で使えないと思った剣を敵に残して使われないようにしたのだ。(p.317)

その後、レグナルドは出陣したが、老齢により馬から下りて戦うことも出来ず、戦はグンナルの勝利で終わった。グンナルはノルウェー王として犬を立て、犬にかしずかせることで、ノルウェー人たちの高慢さを打ち砕いた。また、王女ドロータが何処かに閉じ込められていると聞くと、探し出し、召使たちを斬り殺して、そこに隠されていた戦利品とともにドロータを引き出した。

娘はそこに隠された戦利品といっしょに穴から引き出された。ただ非常に慎重に父の剣だけはもっと秘密の隠し場所の保護にまかせた。(p.318)

グンナルはドロータを無理やり妻とし、二人の間には息子ヒルディゲルが生まれる。しかし、彼は父グンナルに輪をかけた残酷な性格で、人殺し以外のことは頭になかったため、父によって追放された。しかし、まもなくスウェーデン王アルヴェルから支配権を与えられ、一生涯武器を取って過ごした。追放されてもその残酷な性格は変わらなかったのである。

一方、ボルカルは王女ドロータがグンナルによって望まない結婚を強いられていることを聞くと、グンナルを殺してドロータと結婚した。ドロータはこの結婚を拒みはしなかった。父の復讐者を抱擁するのは、正当なことだと思ったからだ。二人の間の息子がハルダンだった。この頃、ロシアのヴァイキング、レートが略奪と残虐の限りを尽くしていたが、これを見かねたボルカルは彼に対抗。ボルカルとレートは互いに戦ってともに滅んだが、この戦いでハルダンも重傷を負い、特に口に受けた傷は化膿していつまでも消えなかった。


◆ハルダンの求婚とグリータの拒絶

その頃、アールブの娘グリータは、誰一人として高貴さで自分に匹敵する者はいないと考え、平民から夫を迎えるよりは、夫を持たない方がましだと考えて、貞潔の誓いを立てた。また、その部屋は選りすぐりの戦士の一団によって警護された。ハルダンがグリータを訪れた時、戦士団はたまたま不在で、彼はグリータに求婚する。しかし、グリータは彼の血筋の低さと、口の傷による顔の醜さを非難してこれを拒絶。ハルダンは、武勲を立ててこの汚点を拭い去るまでは戻ってこないと言い、確かな情報で彼が帰ってきたか、死んだかを知るまでは、他の誰とも床をともにしないよう懇願する。

戻ってきた戦士団は、以前兄弟の一人をハルダンに殺されていたこともあって、彼がグリータと話をしたことに怒り、去っていくハルダンを馬で追跡する。ハルダンは従者を追い払い、自分ひとりで戦士たち十二名を相手にして、樫の木を切り取ってつくった棍棒によって彼らの命を奪った。

彼らを殺した後、彼はそのような輝かしい武勲に満足せず、もっと大きな手柄を打ち立てるために、ひとつはリュシング、もうひとつはフィティングと、見事な作りのために名付けられた祖父の剣を、母からうけとった。(p.320)

ハルダンは、スウェーデン王アルヴェルとロシアの間に戦端が開かれたことを知ると、ただちにロシアへ向かい、アルヴェルの臣下ヒルディゲルの挑む一騎打ちを、ロシアの戦士たちに代わって受けて立った。ヒルディゲルは、ハルダンが血を分けた兄弟であることを知っていたので、初めは理由をつけてこの挑戦を退ける※1。しかし、ヒルディゲルに代わってハルダンに立ち向かった戦士たちが次々に打ち殺されたので、結局二人は決闘することになる。ヒルディゲルは敗れるが、最期に自分がハルダンの兄であることを明かしてから死ぬ。しかし、デンマーク人の間では、ハルダンがヒルディゲルに殺されたという噂が広まる。

一方のグリータは、サクソーニアの貴族シーヴァルに求婚される。しかし、彼女はハルダンの方に心を寄せていたため、バラバラになったデンマーク王国を再統一することを結婚の条件として提示する。シーヴァルは、これを果たすことは出来なかったが、後見人を買収して結婚を認めさせる。ハルダンはこれを聞くと、大急ぎで海を渡り、婚約者を剣で刺し殺してグリータを妻とした。(第七の書、第10節はここで終わる)

※1 : ヒルディゲルはグンナルとドロータとの子、したがってハルダンは異父弟にあたる。この時、ヒルディゲルは「七十名もの戦士を制圧した名誉ある男(自分)が未経験な者(ハルダン)を相手に戦うことはあるまい」と言ってハルダンの挑戦を退けたが、サクソによれば、ヒルディゲルは「父がハルダンの父に打たれたことを思い出し、父への復讐の念と、兄弟愛の二つの情につき動かされながら、大きな罪を背負いこむよりも挑戦をしりぞける方がよいと考えたのだ」と言う(p.321)。これは、先の「人を殺すことだけしか頭にな」いというヒルディゲルの評価とはかなり印象が異なる。父への復讐と兄弟愛との間で葛藤するヒルディゲルは、現代人から見ても非常に人間的な人物と映るのではないだろうか?



〈考察:リュシングとフィティング〉

さて、本題のリュシングとフィティングだが、これらの剣に関する直接の情報は、すでに引用した通り、「見事な作りのために名付けられた祖父の剣」で、ハルダンが「母からうけとった」ものということしかない。「祖父」に該当するのは、ボルカルの父(名前は未詳)と、ドロータの父レグナルドだが、剣が母=ドロータから受け取ったものだとすれば、ここで言われる「祖父」とは、レグナルドの方だと見て間違いないだろう。そして、レグナルドが、娘ドロータとともに自らの剣を隠していること、その剣も「鍛冶屋の精巧な仕事によって飾られ」ていたことを考えると、これがリュシングとフィティングであったと解釈するのが妥当だと思われる。

また、文脈から考えれば、ヒルディゲルと戦った際にハルダンが用いたのも、この二本の剣のうちのいずれかだったのだろう。そうでなければ、剣を母から受け取った意味がなくなってしまう。サクソによれば、ヒルディゲルは「呪文により剣をなまくらにすることができた」というが、ハルダンは「ボロ切れで包んだ剣」をもちいて彼に致命傷を与えた(p.321)。この剣こそが、(おそらく)名剣リュシング、もしくはフィティングであったものと考えられるのである。



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2005/03/19:初版
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