分類 | 名剣 |
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表記 | ◇グラム(菅原訳1979), ◇Gramr(菅原訳1979) |
語意・語源 | ◇「立腹せる者」(菅原訳1979) |
系統 | ニーベルンゲン伝説 |
主な出典 | ◇『レギンの歌』(Reginsmál) 北欧神話・伝説の重要資料である所謂「エッダ詩」の一つで、1270年頃に書かれた王室写本、及び14世紀の『フラト島の書』(Flateyjarbók)に収録される英雄詩。全176行。フレイズマル及びファーヴニルが黄金を手に入れた経緯、レギンによるシグルズへの剣グラムの贈与、シグルズの仇討ちとフニカル(オージンの別名)の助言などが語られる。10世紀の中頃にノルウェーで成立したともいうが、成立年代や起源について確定的なことは言えないらしい。(谷口1973, グンネル2007)
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◇『ファーヴニルの歌』(Fáfnismál) →詳細は「フロッティ」の項参照。 ◇『シグルドリーヴァの歌』(Sigrdrífumál) →詳細は「グングニル」の項参照。 | |
◇『シグルズの短い歌』(Sigurðarkviða in skamma) 北欧神話・伝説の重要資料である所謂「エッダ詩」の一つで、1270年頃に書かれた王室写本に収録される英雄詩。全565行。その内容は「ブリュンヒルドの歌」とでも言うべきもので、シグルズの死の後、ブリュンヒルドの悲恋、嫉妬、復讐、シグルズと同じ火葬堆の上で死にたいという希望が、彼女の側に立つ詩人によって書かれている。韻律に無理があり、叙述が不自然で繰り返しが多いなど、言語表現上はかなり質が落ちる作品。11世紀末、もしくは13世紀初めにアイスランドで成立したものとされる。(谷口1973, グンネル2007)
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◇スノッリ・ストゥルルソン『エッダ』第二部「詩語法」(Snorri Sturluson, Edda, Skáldskaparmál) →詳細は「ダーインスレイヴ」の項参照。 ◇『ベルンのシズレクのサガ』 (Þiðreks saga af Bern) →詳細は「ナーゲルリング」の項参照。 | |
◇『ヴォルスンガ・サガ』(Vǫlsunga saga)※
民族大移動期の英雄や古代北欧の英雄の冒険談を扱った「伝説的サガ」(もしくは「古代のサガ」)の一つで、『ラグナル・ロズブロークのサガ』と並んでその最高峰とされるサガ。その内容は、早くから北欧に歌の形で伝えられ、エッダ詩中に断片で残されたシグルズ伝承の散文化である。1250-1260年頃にアイスランド、もしくはノルウェーで成立したと推定される。現存最古のテキストは、1400年頃にアイスランドで書かれたと思われる羊皮紙写本で、その約3/4は、エッダ詩集現存最古の写本(王室写本)で伝えられる英雄詩篇と実質的に同一の内容を持つ。ドイツ中世叙事詩『ニーベルンゲンの歌』との比較研究においても得がたい資料を提供する。(菅原1979)
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◇『ノルナ=ゲストの話』(Norna-Gests þáttr) →詳細は「リジル」の項参照。 | |
参考文献 |
◇松村武雄編 『世界神話伝説大系29 北欧の神話伝説〔Ⅰ〕』 名著普及会, 1980.9(初版1927.7) ◇V.G.ネッケルほか編(谷口幸男訳)『エッダ―古代北欧歌謡集』新潮社, 1973.8 ◇菅原邦城訳 『ゲルマン北欧の英雄伝説―ヴォルスンガ・サガ―』東海大学出版会, 1979.7 ◇谷口幸男訳 『アイスランド サガ』 新潮社, 1979.9 ◇菅原邦城 『北欧神話』 東京書籍, 1984.10 ◇石川栄作 『『ニーベルンゲンの歌』―構成と内容―』 郁文堂, 1992.1 ◇佐藤俊之とF.E.A.R 『聖剣伝説』 新紀元社, 1997.12 ◇C・スコット・リトルトン, リンダ・A・マルカー(辺見葉子, 吉田瑞穂訳)『アーサー王伝説の起源』 青土社, 1998.10 ◇藤井康生 『東西チャンバラ盛衰記』 平凡社, 1999.2 ◇谷口幸男 「スノリ『エッダ』「詩語法」訳注」 『広島大学文学部紀要』43特輯号3, 1983.12 ◇菅原邦城試訳 「アイスランド古譚『ノルナ=ゲストの話』」 『世界口承文芸研究』8, 1987.3 ◇藤井康生 「物語における<刀剣>のシンボリズム」 『大阪市立大学文学部紀要 人文研究』第48巻第6分冊, 1996.12 ◇山崎陽子 「翻訳『シズレクス・サガ』におけるニーベルンゲン伝説Ⅰ」 『目白大学人文学部紀要 言語文化篇』第5号, 1999.1 ◇山崎陽子 「翻訳『シズレクス・サガ』におけるニーベルンゲン伝説Ⅱ」 『目白大学人文学部紀要 言語文化篇』第6号, 2000.1 ◇山崎陽子 「翻訳『シズレクス・サガ』におけるニーベルンゲン伝説Ⅲ」 『目白大学人文学部紀要 言語文化篇』第7号, 2001.1 ◇山崎陽子 「翻訳『シズレクス・サガ』におけるニーベルンゲン伝説Ⅳ」 『目白大学人文学部紀要 言語文化篇』第8号, 2002.1 ◇水野知昭 「殺しの武器を供与する賢者たちの群像」 『アジア遊学』No.68(特集 英雄を支えた賢者たち), 2004.10 ◇石川栄作, 野内清香 「『ティードレクス・サガ』における英雄シグルトの物語」 『言語文化研究 徳島大学総合科学部』第12巻, 2005.2 ◇野内清香, 石川栄作 「『ティードレクス・サガ』におけるグリームヒルトの復讐」 『言語文化研究 徳島大学総合科学部』第13巻, 2005.12 ◇テリー・グンネル(伊藤盡訳)「エッダ詩(特集・北欧神話の世界)」 『ユリイカ』第39巻第12号, 2007.10 ◇渡邉浩司 「クレチアン・ド・トロワ『聖杯の物語』におけるトレビュシェットの謎」 『人文研紀要』第62号, 2008.8 |
※ : "ǫ"は、"o"にオゴネクを付けたラテン文字。Unicode:U+01EB。環境によっては表示されないようなので念のため。ちなみに、確認した範囲では、IE7.0、火狐3.0、Opera9.0では表示され、IE6.0では表示されない(いずれもWindows XP)。本文中でも使用しているので、以下同様に表示されない文字がある場合は、(明言は出来ないが)おそらくこの文字であると思われる。
グラムは、ニーベルンゲン伝説の北欧伝承における中心人物、英雄シグルズの愛剣である。その名は「立腹せる者」を意味するといい(菅原邦城訳『ヴォルスンガ・サガ』(1979)訳注p.160)、シグルズ伝承を扱った複数のエッダ詩やスノッリの『エッダ』、伝説的サガに分類される『ヴォルスンガ・サガ』や『ベルンのシズレクのサガ』など多くの作品に登場している。
ここでは、『ヴォルスンガ・サガ』のあらすじに概ね沿うかたちで、名剣グラムに関係する場面を順に紹介したい。その際、エッダ詩やスノッリの『エッダ』、『ノルナ=ゲストの話』、『ベルンのシズレクのサガ』など、同一もしくは類似した場面が描かれる作品を比較対象として随時挙げるものとする。なお、『ヴォルスンガ・サガ』からの引用は、菅原邦城訳『ゲルマン北欧の英雄伝説―ヴォルスンガ・サガ―』(1979)に拠る(引用文中の( )は原則としてルビをあらわす)。
ちなみに、ニーベルンゲン伝説は5、6世紀にライン河畔フランケンの領土で生まれたとされるが、ドイツ本土には『ニーベルンゲンの歌』以前の、伝説の原型を推定させうるような資料は残されていない。一方、北欧にはそれが残っており、エッダ詩やスノッリの『エッダ』、『ヴォルスンガ・サガ』などが古い伝説相を伝えているといわれる。また、第二次伝承とも呼ばれる、より新しい伝説相は『ベルンのシズレクのサガ』に見ることができる。『ニーベルゲンの歌』に描かれるニーベルンゲン伝説は、『ベルンのシズレクのサガ』に見られるそれがさらに発展した後の形なのである※1。
※1 : 以上、ニーベルンゲン伝説については、石川栄作『『ニーベルンゲンの歌』―構成と内容―』(郁文堂, 1992)を参照。石川は同書で、北欧の伝承にもとづいて以下に挙げるような『ニーベルゲンの歌』に至る系図を打ち立てたホイスラー(Andreas Heusler)の研究を紹介している(【A】〜【E】の記号は引用者が付した)。すなわち、ニーベルンゲン伝説の前史は、ブリュンヒルド伝説とブルグント伝説という二つの伝説からなり、【A】と【C】はエッダ詩にほぼそのままの形が、【B】と【E】は『ベルンのシズレクのサガ』やフェロー諸島の譚詩から推定できるという。
ブリュンヒルト伝説 | ブルグント伝説 | |||
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↓ ↓ ↓ ↓ |
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| ||||
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| + |
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ある時、ガウトランドの王シッゲイルが、フーナランドの王でオージン(Óðinn)の子孫であるヴォルスング(Vǫlsungr)に逢いに出かけ、その長女シグニューを自分の妻に求めた。シグニューはこれを嫌ったが、ヴォルスングはシッゲイルとシグニューとの結婚を許した。この結婚のための饗宴が、ヴォルスング王の館で行われた時、帽子を目深に被った片目の老人(オージン)が館に入ってきた。そして、館の真ん中に立っていた木の幹に持っていた剣を突き刺した。彼は、
「この剣を幹から抜きとった者には、これを私(わし)から贈物としてくれてやる。そしてその者は、これに勝る剣を一度として握った験(ため)しのないことを己れで覚(さと)るだろう」(3章/p.6)
と言ってその場を去った。多くの者が失敗する中、これを抜くことができたのは、ヴォルスングの長男でシグニューとは双生児の間柄であるシグムンド(Sigmundr)だった。
この武器は非常に見事で、これと同じほど見事な剣は誰ひとり見たことがないと皆が思う位だった。シッゲイルは、その剣の重さの三倍の黄金をシグムンドに提供しようという。シグムンドが言う。
「御身は、この剣を持つにふさわしかったら、これが突き刺さっていたところで、私が抜いたと同じくらい容易(たやす)くお抜きになれたろう。しかし今は、これが私の手に入ってしまったからには、これを御身は決してわがものにできない。たとえお持ちの黄金をすべて残らず与えようと言われたとて」(3章/p.6)
これを恨んだシッゲイル王は、後に謀ってヴォルスング王を殺し、彼の息子達を捕らえる。彼らは一夜に一人ずつ狼に食べられていくが、シグニューの助けでシグムンドだけは難を逃れる。シグニューは魔法使い女(セイズコナ)と姿を取り替えて森に隠れたシグムンドの元に行き、臥所を共にして彼の子シンフィヨトリ(Sinfjǫtli―「白黒まだらの足(枷)をした者」?)を宿す。シンフィヨトリは、シグムンドの元でヴォルスング一族らしい勇気を示したため、シグムンドはシンフィヨトリと森で暮らす。そして、シンフィヨトリが十分に成長すると、シグムンドは彼を連れてシッゲイルの元へ行き、彼を殺して復讐を果たす。その後、シグムンドは故国へ戻り、父王の後釜に坐っていた王を追い払って王となった。シグムンドはボルグヒルドを妻とするが、彼女の弟がシンフィヨトリと一人の女を取り合ったとき、シンフィヨトリは彼を殺してしまう。ボルグヒルドはこれを恨んで、シンフィヨトリを毒殺し、シグムンドは彼女を追放する。彼は異教時代の最大の勇士であり、かつ最大の王であったと伝えられる。
シグムンド王は、エリュミ(Eylimi)王の娘ヒョルディース(Hjǫrdís)が、どの女にもまして自分に相応しい相手だと聞き、エリュミ王を訪ねる。そこには彼と同じ目的でフンディング王の息子リュングヴィ王も来ていた。ヒョルディースはシグムンドを選び、彼とフンディング一族との間に戦争が起こる。
戦いがしばらく続いてから、帽子を目深にかぶって青黒い上衣を着た男が戦闘の中に入ってきた。男は片目で、手には槍をもっていた。この男はシグムンド王の方に向かってきて、槍を王の先(まえ)で上にあげた。そしてシグムンド王がはっしと斬りつけると、剣は槍に当って、まっ二つに折れた。このあと、戦死者の多寡が逆転し、戦運はシグムンド王を離れ、王の軍勢が多数斃れた。(11章/p.31)
ヒョルディースは、戦いのあと夜に戦死者の横たわる場へと赴き、シグムンド王が倒れている所に来て、王が治る見込みがあるかどうか、尋ねる。しかし王は答える。
「多くの者が、殆どその望みもないのに生き返ることがある。しかし、運は私を離れてしまった。だから私は治してもらいたくない。あの剣が折れたからには、オージンは私が剣を抜くことを欲せぬのだ。オージンが望んでいた間、私は戦闘を行ってきたのだ」
彼女が言った。
「あなたがお治りになって父上の仇を討ってくださいましたら、私はかけたものは何もないと思いますのに」
王は言う。
「それは他の者が当てにされることだ。そなたは男児を身ごもっておる。その児(こ)をよく、また気をつけて育てて欲しい。この男児(こ)は名高くなり、我ら一族第一の者となろう。それから、剣の破片も気をつけて取って置くのだ。これからは名剣がつくられ、グラムと呼ばれよう。これを私たちの息子が身につけて、それで、決して忘れられることのない多くの偉業をなしとげ、そしてこの世のある限り、息子の名は生きつづけよう。」(12章/p.32-33)
「グラム」の名は、ここで初めて登場する。剣を折ったのは、無論、オージンである。菅原は訳注で「シグムンドは戦神オージンから選ばれてこの剣を贈られていた。これが折れたいまは、オージンの館ヴァルホルに赴かねばならない。」(p.160)と書いている。その後、戦いの終わった戦場に、デンマークのヒャールプレク王の息子アールヴ(Álfr)が通りかかり、ヒョルディースは彼のもとに身を寄せる。
ヒョルディースは、アールヴのもとでシグムンドの子シグルズ(Sigurðr―「勝利を守護する者」)を生む。シグルズは行動と体格で並ぶ者はないと言われ、ヒャールプレク王のもとで深い愛情を受けて育てられる。シグルズの養父は、フレイズマル(Hreiðmarr)の息子で、王の鍛冶であるレギン(Reginn―「力ある者」)という男だった。シグルズはレギンの勧めで、王(ヒャールプレクもしくはアールヴ)より馬を一頭貰い受ける。この馬選びにはオージンが知恵を貸し、シグルズはスレイプニル(Sleipnir)の血統を引く最高の良馬グラニ(Grani)を手に入れる。その後レギンはシグルズに、凶悪な大蛇(オルム Ormr)と化して父フレイズマルの財産を独り占めしている兄ファーヴニル(Fáfnir―「抱く者、囲む者」)を殺すように促す。シグルズは次のように答える。
「さあ、あなたの腕をふるって剣を一本こしらえて下さい、ほかにそれと並ぶようなものがないものを。そうしたらぼくは大きな手柄をたてられるかも知れません。もしぼくの勇気が十分にあり、あなたがこの大きい龍(ドレキ)を殺して欲しいのならば」(15章/p.43)
レギンは剣を鍛えるが、シグルズがそれで金床を斬りつけると剣は折れてしまう。シグルズはレギンにもっと良い剣を造るように頼むが、二本目も一本目と同じように折ってしまう。そこで、シグルズは母ヒョルディースを訪ねる。
それから自分の母を訪ねていった。彼女は息子をよろこび迎え、ふたりは一緒に話をし、飲んだ。このときシグルズが言った。
「シグムンド王が二つに折れた剣グラムをあなたに渡されたと、ぼくが聞いていることは、本当でしょうか」
彼女は答える。
「本当です」
シグルズは言った。
「ぼくに渡してください。欲しいのです」
彼女は、息子が名を挙げるのは考えられることだと言って、その剣を与える。こうしてシグルズはレギンに逢い、その材料でできる限りをつくして剣を鍛えるように求めた。レギンは腹をたて、その剣の破片をもって鍛冶場にいき、シグルズめは鍛冶のことには大層やかましいと思うのだった。
さて、レギンは一本の剣を造る。そして、彼が炉から取り出したとき、鍛冶の弟子たちには、まるで刃から炎が燃え上っているように見えた。それからレギンはシグルズにその剣を受けとるように言い、もしこれが折れるようであれば、自分は剣の造り方はわからないと告げるのだった。シグルズは金床に斬りつけ、その底の台まで裂き割ったが、剣は砕けも折れもしなかった。彼はその剣を褒(ほ)め、毛糸の房をもって川に出かけ、それを流れに向って投げ、彼がさっと剣で触れると、その房はまっ二つに切れてばらばらになった。こうして、シグルズは喜んで家に戻った。(15章/p.44-45)
このレギンがシグルズにグラムを与える挿話は、『ヴォルスンガ・サガ』以外の複数の作品に見ることができる。まずは、エッダ詩の『レギンの歌』(10世紀中頃の成立か)から見よう。以下に、谷口幸男訳『エッダ』(1973)から該当箇所、14節に続く散文部分を引用する。
レギンはグラムという剣をシグルズに与えた。この剣はすこぶる鋭くて、ライン河の中に突っ込んで、毛糸の房を流れの上手から流すと、水を切るように一刀両断にしてしまう。この剣でシグルズは鉄敷(かなしき)を真二つに打ち割った。
この後、レギンはファーヴニルを討つようにそそのかした。(p.135)
『レギンの歌』でもシグルズは「シグムンドの子」と呼ばれているが、歌はシグルズがグラニを得るところから始まるため、シグムンドは登場しない。そのためか、レギンは二度の失敗を犯さず、シグルズが父王の剣の破片を母から受け取るといった描写もない。グラムはレギンが独力で鍛えたものとされているのである。また、菅原が『ヴォルスンガ・サガ』の後注(p.167)で指摘しているように、『サガ』では単に「川」とされていた部分が、『レギンの歌』では「ライン河」とされている。
これとほぼ同様の記述がスノッリ・ストゥルルソンの『エッダ』(1220年代前半)の第二部「詩語法」にも登場する。引用は谷口幸男による「スノリ『エッダ』「詩語法」訳注」(『広島大学文学部紀要』43特輯号3, 1983)からである。
それからレギンはグラムという剣を作った。それは,シグルズが流れる水の下手にさげていると,川の流れが剣の刃にむかって流す羊毛のたばを一刀両断にするほど鋭かった。次にシグルズはその剣でレギンの鉄敷を木の台まで真二つにした。(p.48)
スノッリの『エッダ』にもシグルズは「シグムンドの子」との記述はあるが、シグムンド自身は物語に登場せず、剣の破片云々の記述はない。ただし、川の名前が特定されていない点は『ヴォルスンガ・サガ』と同様で、『レギンの歌』とは異なっている。
さらに同様の記述はアイスランド古譚『ノルナ=ゲストの話』にも登場している。主人公ゲストは以前、シグルズの召使をしていたと言い、作中、ゲストによって語られるシグルズの物語の中にグラムの名も見えるのである。当該箇所は以下の通り。引用は菅原邦城試訳「アイスランド古譚『ノルナ=ゲストの話』」(『世界口承文芸研究』8, 1987)からである。
レギンはシグルズのために,グラムという剣を造りました。これはたいそう鋭い刃をつけられていましたので,ライン河にさっと突っこみ,流れにのってくる毛糸の房に斬りつけてそれをまっ二つに裂いたのでございます。そのあとシグルズはこの剣でレギンの金床を裂き割りました。(p.375)
『レギンの歌』、スノッリの『エッダ』と非常によく似た内容である。シグルズはここでも「ヴォスルングの息子シグムンドと,エイリミの娘ヒョルディースとの息子」とされ、「シグムンドはフンディングの息子たちのために戦いで倒れた」との記述はあるが(p.374)、剣の破片云々の挿話はない。河は再び「ライン河」とされている。
1250年頃、ノルウェーで書かれたとされる『ベルンのシズレクのサガ』にもシグルズの伝承が含まれている。『シズレクのサガ』におけるシグルズは、誕生の経緯などが『ヴォルスンガ・サガ』とは大きく異なっているが、ここでは割愛。グラムに関わる場面のみ、引用を交えながら順次紹介することにしたい。まずは、グラム入手の場面である。引用は山崎陽子「翻訳『シズレクス・サガ』におけるニーベルンゲン伝説Ⅰ」(『目白大学人文学部紀要 言語文化篇』5, 1999)から。
生まれてすぐ川に流されてしまったシグルズは、鍛冶屋のミーミルに育てられることになる。シグルズは力が強く手に負えない子で、ミーミルの弟子たちに乱暴するので、ミーミルは森に炭焼きに行くように促す。森には妖術を使い大蛇に変身したミーミルの弟レギンが住んでおり、ミーミルは大蛇にシグルズを殺すよう頼んでいたのである。しかし、森に向かったシグルズは素手で大蛇を殺してしまい、鳥たちの会話からミーミルと大蛇の関係や、ミーミルの意図を知る。シグルズは蛇の頭を持ってミーミルのもとに帰るが、「お帰り」というミーミルに向かって「この頭を犬みたいにかじったらいい」と言い捨てる。
ミーミルは言った。「そんなこと言わないでくれ。むしろわしは、おまえに悪いことをしたので、その償いをしたいのだ。兜に盾、それに甲冑をおまえにやろう。これらの武器は、わしがホルムガルズのヘルトニズに造ってやったもので、すべての武器のうちで最高だ。グラーニという馬もやろう。それはブリュンヒルドの牧場にいるのだ。それから剣もやろう。グラムといって剣のうちで最高のものだ」(p.66)
シグルズはミーミルから兜や甲冑、盾、そして剣を与えられるが、剣を渡された直後、それを使ってミーミルを斬り殺す。その後、ブリュンヒルドの城に向かい、そこでグラーニを手に入れる。
『ヴォルスンガ・サガ』との相違は明らかである。大蛇(龍)は素手で殺されてしまい、グラムの入手はその後になっている。シグルズはやはりシグムンド王の息子だが、シグルズ誕生の際に亡くなるのは母シシベ(この名も『ヴォルスンガ・サガ』とは相違する)で、シグムンド王は死なない。したがって、剣の破片云々の挿話は当然の如く存在しない※2。『レギンの歌』などと共通するのは、鍛冶である養父から入手する点、龍殺しの一種の代償としてもらいうけている点、与えた当人をその剣で斬り殺している点、そして何よりシグムンド王の子シグルズの剣であるという点。この辺りがグラムの基本的性格なのかもしれない(後述)。
※2 : 『ヴォルスンガ・サガ』と『ベルンのシズレクのサガ』との相違については、石川栄作と野内清香の「『ティードレクス・サガ』における英雄シグルトの物語」(『言語文化研究 徳島大学総合科学部』12, 2005)及び「『ティードレクス・サガ』におけるグリームヒルトの復讐」(同13, 2005)が詳しい。
剣が出来上がったため、レギンはシグルズに約束通りファーヴニルを殺すように促すが、シグルズはその前に父の仇討ちをしたいと言う。シグルズは王たちを訪ね、フンディングの息子たちと戦うための大軍を準備してもらう。出航してから数日後、天候が悪化し暴風となるが、フニカル(Hnikarr―「(槍で?)突く者」)と名のる男を船に乗せると風は鎮まる。しかし、フンディングの息子たちの王国に着くと、この男は姿を消してしまう。シグルズの軍勢はその地を荒らし、人々を殺し、人里を焼く。リュングヴィ王は大軍勢を率いてこれに立ち向かい、激烈な戦闘が始まる。
戦闘がこのようにして延々とながく続いてから、シグルズは軍旗の前に進み出て、手には愛剣グラムを握っていた。彼は人も馬も斬って、敵の戦列のなかを割け入り、両手を肩まで血まみれにしていた。(17章/p.48)
その時フンディングの息子たちが彼に向かってくる。シグルズはリュングヴィ王に斬りつけ、その冑と頭、そして鎧をまとった体を割く。そのあと王の兄弟ヒョルヴァルズを二つに斬りとり、それから、生き残っていたフンディングの息子たちを残らず殺し、また彼らの軍勢のあらかたを殺した。(17章/p.49)
シグルズは戦闘に勝利し、夥しい財貨と名声を手に入れて帰国する。それからしばらくしてレギンはシグルズに、再度ファーヴニルを殺すように促す。シグルズは承知し、レギンとともにファーヴニルがいつも水場に行くときに這っていく径に向かう。レギンはシグルズに、溝を一本堀り、その中に隠れて、龍が這ってきたら、その心臓を突き刺して殺せと助言する。シグルズは馬で荒野を進むが、レギンはひどく恐れてその場を立ち去る。シグルズはレギンの助言に従って一本の溝を掘るが、そこにやってきた長い鬚の老人は、それを「よくない勧めだ」と言う。そして、沢山の溝を掘ってその中に血を流し、どれか一つの溝に入って龍の心臓を突き刺すよう助言する。それから老人は見えなくなり、シグルズはこれにしたがって数本の溝を掘る。そこに龍がやってくる。
そして龍が溝の上に這ってくると、シグルズは左の肩胛骨の下に剣を突き立てた。すると剣は柄(つか)のつけ根まで刺さった。このときシグルズは溝からとび出し、ぐいと剣を手もとにひき寄せ、両手はすっかり肩まで血まみれにしていた。巨龍は、それが自分の最期の傷だと判ると、頭と尾を振って打ちまくり、それが当ったものはどれもこれも粉々に壊れてしまった。(18章/p.51)
続いて、瀕死のファーヴニルとシグルズの間に一連の問答が、ファーヴニルの死後には、レギンとシグルズの間に種々の言い争いがある。前者の一部は「フロッティ」の頁の〈おまけ〉に、後者の一部は本頁の〈考察〉で引用しているが、ここでは詳述を避け、グラムの名が登場する部分のみ引用しておく。
一方、シグルズは己れの剣グラムを取って草で拭き、レギンに言った。
「私がこの行為(こと)をやり遂(おお)せたとき、御身は遠くに去って、ここには居なかった。私はこの手で、この鋭い刀を試みたのだ。御身がヒースの灌木の中に潜んでいて、天も地も弁(わきま)えなかった間、私は自分の力で龍(オルム)の力にむかっていたのだ」(19章/p.55)
言い争いの後、レギンはファーヴニルの心臓を焼いて食べさせてくれるようにシグルズに頼む。シグルズは心臓を串に刺して焼くが、焼けたかどうか調べようして心臓に触った指を口に入れたところ、鳥の言葉がわかるようになる。鳥たちはレギンがシグルズを裏切って殺そうとしていること、ブリュンヒルドのこと、レギンが死ねばシグルズが黄金を独り占めできることなどについて話し合っている。
そこでシグルズが言った。
「レギンが私を殺す凶運(オースコプ)はあってはならぬ。それよりも、兄弟どっちにも同じ道を行かせる方がいい」
それから剣グラムを靱から払って、レギンの頭を斬り落すのだった。(20章/p.57)
『ノルナ=ゲストの話』は、ファーヴニル殺しよりも父王の仇討ちを詳しく語っている。そのため、グラムの名はフンディングの息子たちとの戦いの場面に見ることができる。
シグルズはたいそう激しく攻めかけましたので,すべてのものが後退します。剣のグラムが彼らにとって危険千万になったからでございまして,シグルズに勇気はないと咎める必要はございませんでした。(p.380)
シグルズによる父王の仇討ちは先にも引用した『レギンの歌』で触れられているが、記述は簡略で剣の名が挙げられることはない。一方、ファーヴニル殺しを語るエッダ詩は、『ファーヴニルの歌』(10世紀の成立か)である。そのファーヴニル殺害後、レギンがシグルズに語る台詞に、グラムの名が登場している。引用は谷口幸男訳『エッダ』(1973)からである。
レギン
「シグルズ、グラムを草でふきながら、勝利に気をよくして嬉しそうだな。お前はわしの兄に致命傷を与えた。わし自身もいくらか責任はあるが」(25節/p.140)
地の文とレギンの台詞という違いはあるが、シグルズがグラムを草で拭く仕草については、『ヴォルスンガ・サガ』にも言及されていた。これは、エッダ詩と『ヴォルスンガ・サガ』との密接な関係を物語る例と言えるかも知れない。
なお、スノッリの『エッダ』第二部「詩語法」47節には、ファーヴニル殺しは語られるが、仇討ちへの言及はなく、剣の名も取り上げられていない。しかし、文脈から考えれば、当該場面で剣の名に言及しているか否かによらず、『レギンの歌』・『ヴォルスンガ・サガ』・『ノルナ=ゲストの話』における父王の仇討ち、『ファーヴニルの歌』・スノッリの『エッダ』・『ヴォルスンガ・サガ』・『ノルナ=ゲストの話』におけるファーヴニル殺害においては、剣グラムが使用されたと解釈するのが妥当だろう。一方、すでに述べた通り、『ベルンのシズレクのサガ』においては、龍殺しにグラムは用いられない。『シズレクのサガ』における龍レギンは、グラムの入手以前に殺されているからである。また、父王シグムンドは死んでいないので、父王の仇討ちも行われず、そこにグラムの活躍する余地はない。
シグルズはファーヴニルの心臓を食べ、見つけた黄金を馬グラニに積んでその場を去る。そして、長い道のりを進んで楯の砦(スキャルドボルグ)へやって来る。シグルズはその砦の中で完全武装をした人物が眠っているのを見つけるが、頭から冑を取るとそれが女であることがわかった。
女は鎧を着用していて、それは彼女の肉(み)にくい込んでいるかのようにぴっちりしていた。そこで彼は首口から鎧を斬り、その裾まで裂き、それから両袖まで裂いた。鎧はまるで衣服でも切るかのように切れた。シグルズは、彼女はあまりにも永く眠っていた、と言った。彼女は、鎧にくい込むことができる程に強力なものは何ですかと尋ねた―
「そして私の眠りを破ることができた程に。それとも、ファーヴニルの冑をもった、そして彼を殺した剣を手にしたシグルズ・シグムンダルソンがここに来たのでしょうか」(21章/p.58-59)
シグルズは「ヴォルスング一族の者」を名乗り、武装した女性=ブリュンヒルドからルーンの用い方など、様々な教えを受ける。その後、二人は結婚を誓い合う。
鎧は身体にぴったりはりついたようになっていた。そこで彼はグラムをつかって、鎧の首のあきから下にかけ、次に両袖をたてに切り裂き、女から鎧をはぎとった。(p.143)
同じエピソードはエッダ詩の『シグルドリーヴァの歌』にも語られている。『ヴォルスンガ・サガ』では鎧を切り裂いた剣をグラムとは呼んでいないが、『シグルドリーヴァの歌』には上記引用部分のようにグラムの名が見えている。『ヴォルスンガ・サガ』でも、ブリュンヒルドの言う「彼を殺した剣」はグラムを指すと思われるので、文脈から考えれば、ここで用いられたのはグラムであったと考えられる。
シグルズはブリュンヒルドのもとを去るが、ここで『ヴォルスンガ・サガ』は物語の筋を追うのを一旦休み、シグルズの容姿や装備、能力について語っている。ここでは武具に関する記述を抜粋しておく。
彼の楯は幾重ねにもなっていて、山吹色の黄金が張ってあり、一頭の龍(ドレキ)がその上に描かれていた。それは上の方がこげ茶色で、下の方は明るい赤色をしていた。彼の冑も、鞍も鎧羽織も同じ風に飾られていた。彼は黄金の鎧をもち、武器は黄金で装飾されていた。彼の武器全部に龍が描かれているのは、ヴェーリングたちがファーヴニルと呼んでいる巨大な龍(ドレキ)をシグルズが殺したことを聞き知っている人たちの誰もが、シグルズを見たとき、それが誰なのか、判るようにするためだった。彼の武器がすべて黄金で装飾され、その色が茶色なのは、彼が礼儀作法とほとんどすべてのことに関して他の人たちよりもはるかに秀でていたからである。(p.69)
彼の背丈を示すものは、彼が剣グラム―これは七指尺(スパン)の長さだった―を帯びて十分に成長した黒(ライ)麦の畠のなかを通っているとき、剣の鞘尻がまっすぐに立った穂に触れることだ。彼の力は体よりも大きかった。剣を使い、槍(スピヨート)を突き、投槍(スカフト)を投げ、楯をかまえ、弓を引き、あるいは馬に乗ることをよくした。(p.69-70)
この『ヴォルスンガ・サガ』23章について、菅原は訳注で「幾分か整理されているが、『ベルンのシズレクのサガ』二九一章と同一文」であると指摘している(p.178)。山崎陽子訳の「『シズレクのサガ』におけるニーベルンゲン伝説Ⅰ〜Ⅳ」(『目白大学人文学部紀要 言語文化篇』5-8, 1999-2002)から当該箇所を探すと、Ⅱ(6号, 2000)に次のような記述を見つけることができる(以下、同サガの引用はすべて山崎に拠る)。
また七スパンもある剣グラムを腰につけ、実ったライ麦畑を歩くと、剣の先端が穂に触れるので、彼の背の高さがわかるのだった。力は大人より強く、巧みに剣を扱い、槍を投げては構え、盾を持ち、弓を引き、馬に乗り、彼は若くしてあらゆる名声を得た。(中略)若武者シグルズの盾は次のようなものだった。輝くばかりの金を施し、その上部には焦げ茶、下部は赤の竜が描かれていた。兜も旗も鞍も、鎖帷子の上にまとう衣も同様だった。(中略)戦士や領主のうちでもっとも強く、最も誇り高く、もっとも寛大な人物が語られるあらゆる古の物語のなかでも、そのほとんどで彼が群を抜いて誇り高く、気品があり、また優雅であり、それゆえ彼の武器は金色であった。(p.46)
『ヴォルスンガ・サガ』にある「彼の武器全部に龍が描かれている」という記述から考えると、グラムにも龍が描かれていそうなものだが、そのような描写は他にない。龍が描かれていたのは楯及び、それと同様の装飾がされていたという冑(兜)・鞍・鎧羽織(『ベルンのシズレクのサガ』ではこれに旗が加わる)だけだったのかも知れないが、柄や鞘に龍の装飾が付いていた、という想像も悪くない。
グラムについては、シグルズの背の高さを示すために、その長さへの言及がある。菅原は指尺に「spǫnn(複数spannir)には二種あり。拇指と人差し指を拡げての短指尺と、拇指と中指を拡げた長さをいう長指尺と。後者ならば約二〇センチメートル」との訳注を付けている(p.179)。山崎もスパンに註をつけているが、そこには「spann 指尺で親指と小指を張った長さ。20-25cm程度」とある(II p.54)。両者の微妙な違いは、アイスランドとノルウェーの違いだろうか。一指尺が20cmとすればグラムの長さは140cm、25cmなら175cmということになる。
シグルズはその後、ブリュンヒルドの姉ベックヒルドの夫ヘイミルのもとに至り、そこに滞在する。彼はそこでヘイミルとベックヒルドの息子アルスヴィズと親しくなる※3。その頃、ブリュンヒルドは養父であるヘイミルのもとに戻っており、シグルズは彼女に会って求婚する。ブリュンヒルドはシグルズがギューキの娘グズルーンを娶ることを予言するが、シグルズはこれを否定。ブリュンヒルドを妻とすることを神に誓い、彼女に黄金の腕環を与える。(24-25章)
ラインの南に王国を有するギューキは、<魔法使い>グリームヒルドを妻にしていた。ギューキにはグンナル、ホグニ、グットルムという三人の息子があり、娘はグズルーンといった。ある時、グズルーンは不思議な夢を見、夢の中に登場したブリュンヒルドに会いに行く。ブリュンヒルドはこの夢を解き、自らと結婚を誓ったシグルズが彼女のもとに赴くこと、グリームヒルドが毒を混ぜた蜜酒を彼に与え、皆を争いに巻き込むこと、グズルーンはシグルズと結婚するが間もなく彼を失うこと、アトリと再婚すること、兄弟を失くし、アトリを殺すことを予言する。(26-27章)
シグルズはヘイミルのもとを発ち、ギューキ王の館に至る。シグルズはそこで厚いもてなしを受けながら逗留。シグルズとグンナルとホグニは一緒に馬を乗り回したが、どの才芸でもシグルズは二人に優っていた。グリームヒルドはシグルズがブリュンヒルドを愛していることに気がつくが、彼がここに居を定めてグズルーンと結婚したならば、一層大きな幸運だろうと考える。そして、シグルズに魔法の酒を飲ませてブリュンヒルドのことをすっかり忘れさせてしまい、ギューキにグズルーンをシグルズに与えるよう促す。シグルズは二年半そこに滞在し、グンナルからの妹を差し上げようとの申し出を受ける。彼らは義兄弟の誓いを交わし、シグルズとグズルーンは婚礼を挙げる。それからシグルズたちは広く国々を経巡って数多の手柄をあげ、夥しい戦利品を持って帰国。グリームヒルドは息子のグンナルに、ブリュンヒルドに求婚するよう促し、グンナルはこれに同意する。(28章)
グンナル、ホグニ、シグルズの三人はブリュンヒルドの父ブズリ王を尋ねる。ブズリは娘とグンナルとの結婚に同意するが、娘は自分で決めた男しか夫にしないだろうと言う。続いて養父ヘイミルを尋ねると、ここでもブリュンヒルドの結婚相手は彼女自身が選ぶことだと言われ、彼女は自分のいる広間の周りに燃えている火をのり越えてやってくる男だけを夫にする気らしい、と告げられる。三人はその広間と火を見つけ、グンナルは火をのり越えようとするが、馬は火を跳び越えようとしない。また、シグルズの馬グラニを借りてもうまくいかない※4。
そこで、グリームヒルドがシグルズとグンナルに教えておいたように、両人(ふたり)は姿を交換した。その後シグルズが馬を進めるが、その手にはグラムを持ち、足には黄金の拍車を結んでいた。グラニは、拍車をそれと知ると、火にむかって跳んでいく。(p.85)
すると、大地が震動し、炎は天高く舞い上がるが、シグルズは無事にそれをのり越える。そこで一つの美しい部屋を見つけ、そこにはブリュンヒルドがいた。シグルズはブリュンヒルドの誰何にギューキ王の子グンナルと名乗る。グンナル(変身したシグルズ)の求婚にブリュンヒルドは困惑するが、炎を馬で乗りこえた者を夫にするという約束により結局はこれに承知する。
そこに彼は三夜とどまり、彼女と一つ床を共にする。彼は剣グラムを取り、それを抜き身のまま自分たちふたりの間に置いた。それは一体どういうことですか、と彼女が尋ねる。彼は、自分はそのようにして自分の妻と結婚するか、さもなくば死ぬかの運命になっているのだ、と語った。このとき彼は、まえに彼女に与えた腕環〈アンドヴァリの贈り物〉を彼女の手から抜きとって、ファーヴニルの遺産(たから)の中から別の腕環を与えた。(p.87-88)
ここで、以前(25章)シグルズがブリュンヒルドに与えた黄金の腕環が〈アンドヴァリの贈り物〉であったことが分かる。その後、再び火を乗りこえて、二人のもとに戻り、グンナルと再び姿を交換する。ブリュンヒルドは養父ヘイミルのもとに赴き、自分の最初の夫はシグルズだと告げる。ヘイミルは「今となっては、なってしまったままになるだろう」と答える。ブリュンヒルドはシグルズとの間に出来た娘アースラウグをヘイミルに預けて父ブズリのもとへ去る。帰国したグンナルたちはグリームヒルドに歓迎され、シグルズは援助を感謝される。そこにブリュンヒルドを伴ったブズリ王が来着、グンナルとの結婚の宴が開かれる。宴の後、シグルズはブリュンヒルドと交わした誓いをことごとく思い出すが、そのままそっとしておく。(29章)
ちなみに、シグルズが炎を乗りこえる場面で、二連の詩が挿入されている。いずれも本サガでしか知られないものだというが、その二連目は次のようなものである。
シグルズは剣もて
グラニを駆りたてた。
気高き王の御前に
炎は消えゆき
誉れ求むる勇士のまえに
火はことごとくうち鎮まり
むかしレギンの手にありし
物の具はきらめき光った(p.86)
菅原は訳注において、「むかしレギンの手にありし物の具」は、reiði, er Reginn átti. の訳。剣リジルか?」と述べている(p.184)。確かに、レギン殺害後、リジルがシグルズの手に渡っていた可能性はある。しかし、文脈から考えると、これはグラムと解すべきではないだろうか。この問題は後段の〈考察〉で再度触れることにする。
さてシグルズはグラニにとびのると炎をこえた。その晩シグルズはブリュンヒルドと結婚式を祝った。だが二人は床に入ったとき,シグルズは剣グラムを鞘から抜いて二人の間に横たえた。朝になり,彼は起き,服を着ると,花嫁への贈物として,ロキがアンドヴァリからまき上げたあの腕輪をブリュンヒルドに与え,彼女の手から別の腕輪を記念に受けとった。(p.50)
グンナルに姿を変えたシグルズがブリュンヒルドと同衾する際、二人の間に剣グラムを置く、という描写はスノッリの『エッダ』にもある。ただし、『ヴォルスンガ・サガ』では、ブリュンヒルドの手から抜き取られた腕環アンドヴァラナウト(アンドヴァリの贈り物)が、『エッダ』では、逆にブリュンヒルドに与えられている。この相違は、『ヴォルスンガ・サガ』には描かれている、養父ヘイミルのもとでのシグルズとブリュンヒルドとの邂逅が、『エッダ』には描かれていないことと関係するのだろう。この二人の二度目の邂逅が『サガ』が新たに付け加えたエピソードなのか、それとも本来あったものを『エッダ』が省略したのかはよく分からない。なお、この相違は、後段におけるブリュンヒルドとグズルーンとの口論にも小異を生んでいる。
南の国の生れの勇士は、ルーネの彫られた抜き身の剣を二人の間に横たえ、口づけはおろか抱擁もしなかった。彼はうら若い乙女をギューキの子に渡した。(p.154-155)
同様の描写はエッダ詩『シグルズの短い歌』にもあるが、ここにはグラムの名は登場していない。そのかわり、二人の間には「ルーネの彫られた」剣が置かれている。『ヴォルスンガ・サガ』やスノッリの『エッダ』をふまえて、これをグラムと解釈すると、グラムにはルーネが彫られていたことになる。なお、当該箇所に訳者の谷口は、「ルーネ文字の彫られた剣は実際に出土している」との訳注を付している(p.161)。
※3 : シグルズはブリュンヒルドが近くにいることに気がつくと、彼女を思って物思いに沈む。そこで、アルスヴィズが次のようにシグルズを気遣う。
「何故あなたは黙っておられるのですか。このあなたの変わった様子は私やあなたの友だちを心配させます。なぜ愉快にお過ごしになれないのですか。あなたの鷹たちは頭をたれており、馬のグラムもそうしておりますが、私たちはこれをまたすぐに元気にさせられません」(25章/p.72)
ここに「馬のグラム」とある。これは「グラニ」の誤植で、剣の「グラム」とは関係ないとは思うが、念のために指摘しておく。なお、谷口幸男訳の『ヴォスルンガサガ』(『アイスランド サガ』(1979)所収)は同じ箇所を「あなたの鷹も馬のグラニも項垂れています。すぐ右から左にという具合に手助けできないか知れませんが」(25章/p.567)と訳している。
※4 : 馬グラニは自分の主人であるシグルズの言うことしか聞かないらしい。しかし、乗っているのがシグルズであるかどうかを判断する材料は、直後で述べられているように足に付けた黄金の拍車である、というのが面白い。姿かたちで見分けているなら、グンナルの姿をしたシグルズを主人と認識できないためだろう。変身したシグルズとグンナルの違いは、黄金の拍車と、手に持ったグラムのみなのだと思われる。
なお、ここでグンナルが乗っていた馬にはゴティ、ホグニの馬にはホルクヴィルという名前がついている(p.84)。訳注には、「Gotiは「ゴートの馬」の意(中略)。Hǫlkvirは「走るもの」か。普通名詞としてはいずれも詩語で、「駒」の意で用いられる程度」とある(p.183)。グンナルの馬ゴティの名は、スノッリの『エッダ』にも登場している(谷口訳p.50)。
『ヴォルスンガ・サガ』には語られないが、『ノルナ=ゲストの話』には、シグルズと「古代北欧伝説にあって人口に膾炙した豪傑にして詩人」スタルカズ・ストールヴェルクスソン(Starkaðr Stórverksson)との対決が語られている※5。その経緯は次の通りである。
シグルズがギューキの娘グズルーンを妻に向かえた後、ギューキ一族とスウェーデン王シグルズ=フリング(Sigurðr hringr)の姻族であるガンダールヴ(Gandálfr)の息子たちとの間に戦争がおこった。ギューキ一族はシグルズに戦闘に同行してくれるよう頼み、シグルズはこれを引き受ける。彼らは北の国ホルトセトゥランドへ船を進め、ヤールナモージルに上陸、熾烈な戦闘が始まる。その時、敵の軍勢の中に一人の大男がおり、グンナルはこれを攻めてくれるようシグルズに頼む。シグルズがその男に向かっていき、その素性を尋ねると、自分はストールヴェルクの息子スタルカズといって、ノルウェーは北国フェンフリングの出だと答える。今度は逆に尋ねるスタルカズに、シグルズは自分が誰なのか答える。
スタルカズは言いました,『ファーヴニル殺しと呼ばれているのはおまえか』
『その通りだ』とシグルズは言うのでございました。
この時スタルカズは逃げ去ろうとしますが,シグルズは振り返って剣のグラムを宙に投げ,その柄を顎骨に命中させましたので,スタルカズの口から臼歯が2本飛び出したのでございます。それは,片わにする一撃でした。(p.382)
シグルズはスタルカズにその場を立ち去るよう命じ、スタルカズは直ちに立ち去る。その後、ガンダールヴの息子たちも逃亡し、戦争はシグルズたちの勝利に終わる。以上、ここでもグラムが活躍しているが、その柄によって敵を打つ、という描写は面白い。シグルズにスタルカズを殺す気がなかったことをふまえると、柄が当たったのは偶然ではなく、狙い通りだったのかも知れない(時代劇によくある「峰打ち」みたいなもの?)。なお、投げつける剣の使い方は、後述するように『ヴォルスンガ・サガ』でも見られるが、こちらでは敵を斬り殺している。
※5 : 菅原邦城試訳 「アイスランド古譚『ノルナ=ゲストの話』」 『世界口承文芸研究』8, 1987, p.381-383, p.395。菅原の訳注によれば、スタルカズは義兄弟ヴィーカル(Vikarr)王殺しによって知られる歴戦の勇士で、数百年生きたとされる。『ガウトレクのサガ』(Gautreks saga)に詳しく語られているようだが、管見の限り同サガに邦訳はないようである。ただし、スタルカズについては、水野知昭が「殺しの武器を供与する賢者たちの群像」(『アジア遊学』68, 2004)で言及しており(p.100-101)、水野が紹介している挿話(出典は『ガウトレクのサガ』)の再話は、松村武雄編『世界神話伝説大系29 北欧の神話伝説〔Ⅰ〕』(1927/1980)に「運命を授けらるる男」として収録されている。
ある日のこと、ライン川に水浴みに出かけたブリュンヒルドとグズルーンは、水浴みの場所(=位の上下)をめぐって口論になる。そこでグズルーンは、ゆらめく炎を乗り越えたのがシグルズであったこと、その証拠に、その時抜き取った腕環〈アンドヴァリの贈物〉がここにあることを明かす。ブリュンヒルドはそれを見て蒼ざめ、館に戻って塞ぎこむ。翌日、二人は再び口論し、ブリュンヒルドはグリームヒルドのことを非難する。(30章)
その後、ブリュンヒルドは床についてしまう。ブリュンヒルドが病気だと聞いたグンナルは、彼女のもとに来てどうしたのかと尋ねる。はじめは黙っていたブリュンヒルドも問い詰められて、自分の結婚が不本意なものだったこと、炎を乗り越えてきたのがシグルズであったことを告げ、グリームヒルドを非難する。グンナルはグリームヒルドを擁護して、逆にブリュンヒルドを「性悪な女」と罵る。ブリュンヒルドはグンナルを殺そうとするが、ホグニに止められる。ブリュンヒルドは、シグルズを夫に出来なかったことは自分の一番大きな悲しみだと言い、彼女の深い嘆きの声は邸中で聞かれることとなる。グンナル、ホグニがブリュンヒルドに逢いに行くが、何一つ答えてもらえない。
シグルズから、ブリュンヒルドが二人に大変な企みをしていると聞いたグルズーンは不安になり、彼女に逢ってその怒りを和らげてくれるようシグルズに頼む。シグルズはブリュンヒルドに逢いに行き、二人は会話を交わす。シグルズはブリュンヒルドに愛を語るが、ブリュンヒルドはシグルズと自身の死を望む。シグルズは悲しみのうちに立ち去り、グンナルに尋ねられて、ブリュンヒルドは口はきけると答える。グンナルが再度ブリュンヒルドに逢いに行くと、彼女は、自身と姿を変えたシグルズが床を共にした時、グンナルをも欺いたこと、それをすべてグズルーンに話して、グズルーンがそのことで彼女をなじったことを話す。(31章)
ブリュンヒルドはグンナルにシグルズを殺すよう促す。シグルズと義兄弟の誓いをしているグンナルは大いに悩み、ホグニに相談する。ホグニは反対するが、グンナルは弟のグットルムを唆してシグルズを殺させることにする。蛇と狼肉を食べさせられ、黄金と権力を約束されたグットルムはこのシグルズ殺しを引き受け、翌朝、まだ床の中で休んでいるシグルズのもとへ赴く。
グットルムは剣を抜いてシグルズに斬りつけ、剣先はシグルズの下の蒲団まで突き刺さった。シグルズは手負いに目をさますが、グットルムの方は戸口へと進んでいった。このとき、シグルズは剣グラムを取って、彼めがけて投げつけ、それは背中に当って腰のところで真二つに斬った。下半身は戸の方へ、頭と腕はのけぞって部屋の中に倒れた。(p.106-107)
シグルズは死に、グズルーンの嘆きを聞くと、ブリュンヒルドは笑い声をあげた。グンナルはブリュンヒルドを「最悪の人非人」となじるが(32章)、ブリュンヒルドは義兄弟の誓いを無視してシグルズを裏切ったグンナルを非難し、シグルズがグンナルを裏切ってはいなかったことを次のように明かす。
そして、あの方は、私のもとにお出でになったとき、毒で焼きを入れられたあの鋭い刃の剣を私との間にお置きになり、ご自分がいかにして誓いを守ったかをお示しになりました。(p.109)
ブリュンヒルドは、グンナルの制止を無視して自らを剣で刺し、グンナルたちの将来を予言してから、自身の亡骸をシグルズとともに火葬してくれるように願う。
私の片側にこのフンの王さまを置いて、王さまの片側には私の家来たちを、枕もとに二人、足もとに二人、そして鷹を二羽置いて焼かせてください――そのとき、同じに並べていただきます。あの方と私が一つ床にあがって夫婦の名を誓いあった昔と同じように、私たちの間に抜き身の剣を置いてください。私があの方に従って参りましたら、扉があの方のすぐ後で閉じることはないでしょう。(p.111)
シグルズを乗せた火葬の薪の山が勢いよく燃え上がると、ブリュンヒルドはその中に踏み込んで死に、シグルズとともに焼かれて二人の一生は終わる(33章)。
さて、ここまでを一応まとめておきたい。シグルズは死に際してもグラムを使い、自らの復讐を遂げる。シグルズの手によってグラムが活躍するのは、これが最後である。このシグルズの死の直後、ブリュンヒルドによって語られる言葉の中に、上に引用した通り、剣に関する言及が二つある。一つ目の「毒で焼きを入れられたあの鋭い刃の剣」は、文脈から考えれば剣グラムに間違いないだろう(「毒で焼きを入れていた」というのは初耳だが)。
では、シグルズとブリュンヒルドの火葬に際して、二人の間に置かれることを望まれた「抜き身の剣」はどうか。これはグラムだろうか。これがグラムで、かつ、このブリュンヒルドの遺言がそのままに実行されたのだとすれば、グラムはシグルズとともに焼かれて冥界へと旅立ったことになる※6。いずれにしても、シグルズはブリュンヒルドとともに冥界へと旅立ち、『サガ』は以後、グズルーンやグンナル、ホグニたちをめぐって動いていくことになる。
しかし彼らはシグルズと誓いで結ばれていたので,弟のゴットホルムにシグルズを殺すようけしかけた。彼は寝ているシグルズを剣で刺し貫いた。だがシグルズは傷をうけたとき,剣グラムをゴットホルムの後から投げつけたので,それは彼の胴中を真二つにした。(p.50-51)
記述はかなり簡略だが、スノッリの『エッダ』でも話のあらすじは変わらず、シグルズは死に際して、剣グラムにより自らの復讐を遂げている。その後、ブリュンヒルドとともに火葬される点も『サガ』と変わらないが、抜き身の剣については言及がない。結果、シグルズ没後のグラムの行方については、手掛かりすらない。
勇士は仕返しせんものと居間で打ち気にはやり、粗忽(そこつ)者のうしろから〈剣を〉投げつけた。グラムの輝く刃は王の手から空(くう)を切ってグトホルムにむかって飛んだ。
敵は二つになって倒れた。手と頭は前へ、下半身は後ろに倒れた。(p.156)
『シグルズの短い歌』にも同様の記述がある。グットルム、ゴットホルム、グトホルム、と殺害者のカナ表記は様々だが、いずれもグンナルの弟で、同じ人物を指すと見て良いだろう。また、ブリュンヒルドの遺言には『サガ』と同様、次のような剣への言及がある(68節)。
わたしたち二人の間に、輪のついた剣、鋭い刃を横たえてください。以前、わたしたち二人が一つ寝床に上り、名ばかりの夫婦であった頃のように。(p.160)
「以前、わたしたち二人が一つ寝床に上」った時、二人の間にあったのは、グラムだったはずだが、「輪のついた剣、鋭い刃」がグラムを指すのか否か、ここでも明らかではない。もしこれがグラムなら、その形状を示唆する描写となるが、グラムがそのような(例えば、その柄もしくは鍔にリング状の装飾が何かが付いていた、というような)描写は、他に知られていないように思われる。
※6 : スノッリの『エッダ』第一部「ギュルヴィの惑わし」では、オージンの息子バルドルの屍とともに焼かれた黄金の腕輪ドラウプニルが、冥界のバルドルの手元に渡っている(谷口訳p.272-273)。
結局、グラムがシグルズ&ブリュンヒルドとともに火葬され、冥界へと持ち去られたのか否かは明らかではない。しかし、『ヴォルスンガ・サガ』では、シグルズの死後、グラムの名が一度も登場しないため、シグルズとともに冥界へと旅立ったと解釈することも十分可能である。
一方、『ヴォルスンガ・サガ』よりも新しい伝説相を伝える『ベルンのシズレクのサガ』では、シグルズの死後にも、グラムの名が登場し、物語の中で持ち主を変えていく。そのため、以後の物語は、このサガに拠って見ていくことにしたい。なお、『ベルンのシズレクのサガ』では、グンナルの妹でシグルズの妻となる女性の名は、グリムヒルド(Grímhild)になっている。また、グンナルたちブルグント族は、ニフルング族(Niflungar)と呼ばれている。
シグルズ亡き後、スサのアッチラ王がグリムヒルドに求婚するため、甥の大公オシズをニフルンガランドへ使者として遣わす。オシズはニフルンガランドに着くとグンナル王と会見、一向はもてなしを受け、数日の間滞在することになる。ある日オシズはアッチラ王とグリムヒルドとの結婚について、グンナルとその弟であるヘグニ、ゲレノスと話し合いを持つ。結果、グリムヒルドの意向を聞くことになるが、彼女はこの結婚に同意する。
準備が整うと、グンナル王はシグルズのものであった、金をほどこした最上の盾と兜をとって、オシズに手渡した。(Ⅲp.30)
ここで、使者として遣わされたオシズに対して、シグルズの盾と兜が贈られている。シグルズの死後、これらはグンナルのものとなっていたらしい。シグルズの亡骸を見たときのグリムヒルドの台詞に、「ここにある金を施したあなたの盾は無傷だわ。すこしもいたんでいない。それに兜だって壊れていない。あなたがどうしてこんな傷を負ったのです?あなたは暗殺されたのね」というものがあるが(Ⅱp.53)、シグルズの盾と兜は、持ち主の死後も無傷で保管されていたのである※7。
続いて、オシズはフナランドに帰りアッチラに旅のすべてを報告。しばらく後、アッチラは大勢の騎士や小姓を従え、花嫁を迎えるためにニフルンガランドへ赴く。グンナルとヘグニが迎えに出て、それぞれアッチラとシズレク(このサガの中心人物。いわゆるディートリヒ・フォン・ベルン)に挨拶をする。豪華な祝宴が用意され、グンナル王はアッチラ王に妹のグリムヒルドを与える。
別れ際にグンナル王はシズレク王に、若武者シグルズのものであった馬グラニを贈り、大公オシズには剣グラムを贈った。(Ⅲp.30)
宴の後、アッチラ王とシズレク王は帰国することとなるが、この時、グンナル王から大公オシズにグラムが送られている。シグルズの死後、盾や兜と同様、グラムもグンナル王のものとなっていたわけである。こうしてグラムはいわば第二の人生(剣生?)を歩むことになる。
※7 : なお、『ベルンのシズレクのサガ』では、シグルズの殺害のされ方が、『ヴォルスンガ・サガ』やスノッリの『エッダ』とは異なっている。シグルズは、グンナルやヘグニとともに狩に出かけ、小川で水を飲んでいる時に、後ろからヘグニに槍で突き刺されて死ぬのである。この死に方は、むしろ『ニーベルンゲンの歌』の語るそれと近似する(石川・野内「『ティードレクス・サガ』における英雄シグルトの物語」(2005)p.62)。
グリムヒルドはアッチラ王の妻となっても愛するシグルズを思って泣き、彼を殺害した兄たちへの恨みを忘れなかった。グリムヒルドがフナランドへ来て七冬が過ぎたある夜、彼女はアッチラにニフルングの宝について語り、兄たちを宴に招待するよう促す。欲深いアッチラはこれに同意する。
そこで、アッチラ王とグリムヒルドからの手紙を持った使者がニフルンガランドに旅する。宴への招待、そして、一歳の息子アルドリアンが自分で国を治めることが出来るようになるまで代わって国を治めて欲しい、という二人からの手紙を読んだグンナルは、弟のヘグニ、ゲルノス、ギスルヘルを呼んで協議する。ヘグニは反対するが、グンナルは招待を受けることに決める。
グンナル王は一万の家来とともにフナランドを目指す。途中、ヘグニは「二度と戻れない」と予言した水の精を斬り殺し、ライン川の渡し守も殺してしまう。ライン川を渡った先では、ロズィンゲイル辺境伯の家来エッキヴァルズと出会い、伯の城に宿を取ることにする。ロズィンゲイルはグンナルたちを歓迎し、夜が明けると、贈り物として貴公子ギスルヘルに自分の娘を贈ろう、と申し出る。ギスルヘルはこれに「ありがたく頂戴します」と答える。
さらに辺境伯は言った。「ごらんなさい、ギスルヘル殿。剣をひとふり差しあげましょう。これはグラムといい、シグルズが持っていたもの。一行の者が持つ武器のなかでも、きわめてすぐれたものだと思いますよ」
ギスルヘルはこの贈り物の礼を述べ、この旅で示してくれた厚意に対して神のご加護がありますように、と言った。(Ⅲp.36-37)
グンナルたちは伯と勇敢な騎士に伴われて城を出、旅を続けてスサの町に到着する。アッチラの館では盛大な宴が催されるが、グンナルたちは鎖帷子を外さず、武器も手放さなかった。グリムヒルドはシグルズを思って泣く。翌朝、ヘグニと親しいベルンのシズレク王は、国へ帰るまでは気をつけるよう、ヘグニに注意する。
グリムヒルドはヘグニたちに復讐するため、シズレク王、ブローズリン公、アッチラ王に次々に助力を頼むが、何れも断られる。中庭で宴が始まり、グリムヒルドはヘグニたちに武器の引き渡しを要求するが、ヘグニはこれを断って兜の緒をしめる。グリムヒルドはイールング公に助力を願い、イールングはこれを引き受ける。グリムヒルドは息子のアルドリアンにヘグニを殴りつけるようけしかけ、殴られたヘグニはアルドリアンとその養父の首を斬り落とす。アッチラ王はフン族にニフルング族を倒すよう命じ、両者の間に激しい戦闘が始まる。
中庭にはフン族があちこちから押し寄せ、ヘグニ、ゲルノス、ギスルヘルは壁を破って中庭を脱するが、そこにブローズリン公が家来とともにあらわれ、ニフルング族との間に激しい戦いが起こる。シズレク王はこの戦いを悲しみ、フン族とニフルング族の何れにも加勢しない。グンナル王はオシズ公らと戦うが、多勢のフン族にはかなわず、ついに捕らえられる。グリムヒルドはグンナルを蛇牢へ投げ込むよう命じ、グンナルはそこで命を落とす。
ヘグニとゲルノスは、フン族がグンナル王をとらえたと叫んでいるのを耳にした。ヘグニは怒り狂い、門を走り出て通りに行き、両手でこれまでなかったほど激しく敵に斬りかかった。これを見たゲルノスもヘグニのそばにいき、剣が地面にとまることがないほど、両手でフン族に斬りつけた。若きギスルヘルもゲルノスに負けじと、名剣グラムで多くの男を斬りたおした。彼らがこのような働きをしたので、フン族は闘志を失い、もう彼らには刃向かわずにみな逃げようとした。(Ⅳp.35-36)
夜になり、ロズィンゲイル辺境伯はシズレク王の館に行き、ブローズリン公とイールングは家来とともに自分の館に戻る。ヘグニは町の外壁のそばにすべてのニフルング族を集結させる。数えると七百人の家来が残っていた。彼らは町に火を放ってフン族を挑発、夜が明けると再び激しく長い戦いになった。ゲルノスがブローズリン公を斬り殺すと、これを聞いたロズィンゲイル辺境伯は怒りに燃えて家来とともに参戦。イールングはヘグニの足に傷を負わせるが、ヘグニの槍に胸を突き刺されて倒れる。
そのころ一大事が起こった。ロズィンゲイル辺境伯がニフルング族に立ち向かい、つぎつぎと斬りたおしているところに、貴公子ギスルヘルが立ちふさがったのである。ふたりは武器を駆使し戦った。ギスルヘルの名剣グラムの切れ味はすばらしく、盾も甲冑も兜も、布地のように切り裂いてしまう。ついにロズィンゲイル辺境伯はその剣によって深手をおい、ギスルヘルの目のまえでたおれた。それはまさに、かつて彼がギスルヘルに贈った剣である。(Ⅳp.38)
ロズィンゲイル伯の落命を聞いたシズレク王は黙っていられなくなり、家来とともにニフルング族に戦いを挑む。シズレク王はフォルクヘルを、武芸の師匠ヒルディブランドはゲルノスを討ち取り、続いてそれぞれヘグニとギスルヘルを相手にする。ヘグニはシグルズ殺害に関与していないギスルヘルの助命を乞うが、ギスルヘルは兄たち亡き後、一人で生きていこうとは思わないと言う。
ギスルヘルはそう言うと、師匠ヒルディブランドめがけてつぎつぎと剣をふるった。その一騎打ちでは当然のことながら、ヒルディブランドがギスルヘルに致命傷を与え、彼をたおした。(Ⅳp.39)
激しい戦いの末、シズレク王はヘグニを捕らえる。グリムヒルドは生死を確かめようと、燃えている木を兄ゲルノスの口の中に押し込む。ゲルノスはすでに死んでいたが、続いて燃えさしを押し込まれたギスルヘルは、それが元で死んでしまった。この様子を見ていたシズレクはグリムヒルドを非難し、アッチラ王は彼女を殺してくれるよう頼む。シズレクはグリムヒルドを真っ二つに斬り裂き、戦闘は終わる。ヘグニは息子をつくって息絶え、フナランドの高貴な男たちで生き残ったのも、アッチラ王とシズレク王、師匠ヒルディブランドだけだった。
以上見てきた通り、名剣グラムはロズィンゲイル辺境伯からギスルヘルに贈られ、ギスルヘルはこの剣でロズィンゲイル伯の命を奪うことになるのである。グラムがいつ、大公オシズからロズィンゲイル伯の手に渡ったのかは不明。また、ギスルヘル亡き後のグラムの行方も『ベルンのシズレクのサガ』の続きに邦訳がないので、よく分からない。ただし、渡邉浩司によれば、「ギスルヘルの死後、グラムはシーズレク王の師匠ヒルディブランドの手に渡ったよう」だという(「クレチアン・ド・トロワ『聖杯の物語』におけるトレビュシェットの謎」『人文研紀要』62, 2008, p.270. なお、渡邉が参照している『シズレクのサガ』は、クロード・ルクトゥによる現代フランス語訳(2001))。
「名剣グラムを振るったのは誰か?」と聞かれたら、何と答えるべきだろうか。答えはもちろん「英雄シグルズ」だろう。しかし、ネット上には「シグムンド、もしくはその息子シグルズ」とするページが散見される※8。グラムの最初の使い手を、シグルズの父シグムンドとするのである。これは二重の意味で間違い、もしくは妥当ではない説明だと私は思う。その理由を説明することが、この〈考察&先行研究批判?〉の目的である。
さて、本題に入る前にネット上の記述の出典と目される文献を一つ引用しておきたい。それは、世界の神話・伝説に登場する武器を紹介する一般書、佐藤俊之とF.E.A.Rの『聖剣伝説』(1997)中の「グラム」の項である。
その男は「この剣を抜くことができた者は、褒美として剣を自分のものとしてよい」と言い残し、屋敷を去っていった。この男こそ、主神オーディンであり、この剣が、ヴォスルング族に勝利をもたらす聖剣グラムだったのである。(p.100)
『聖剣伝説』の著者は、オージンから贈られ、後に折られる剣と、折られた後、鍛え直された剣を区別せずに、ともに「グラム」と呼んでいる。しかし、本文(戦神オージンから贈られた剣)で見たとおり、「グラム」の名はシグムンドの最期の言葉に初めて登場するのであり、オージンから贈られ、シグムンドが所持していた剣は、正確には「グラム」ではない。彼の持っていた剣は、鍛え直され、息子のシグルズが持つ段階になって初めて「グラムと呼ばれる」ようになるのである。
問題があるとすれば、シグルズがこの折れた剣を母から受け取る際、「シグムンド王が二つに折れた剣グラムをあなたに渡されたと、ぼくが聞いていることは、本当でしょうか」(p.44)と話していることである。これを聞くと、折られた時点でその剣が「グラム」と呼ばれていたようにも解釈出来る。しかし、シグムンドの所持していた時にはその名が言及されず、本文で見たとおり、シグルズの手に入った後になって繰り返し「グラム」と呼ばれていることを考えるなら、その名がつけられたのは、鍛えなおされた後だとみなすべきだろう※9。
さらに、オージンから贈られた剣の挿話が存在するのは、これも本文(シグルズの登場とグラムの入手)で見たとおり、『ヴォルスンガ・サガ』だけである。そこで、私は次のように主張したい。すなわち、「オージンから贈られた剣が折られて鍛え直される」という挿話は後から、例えば、『ヴォルスンガ・サガ』が書かれた13世紀になってから付け加えられたもので、名剣グラムに関する当初の伝承(などというものが想定できるならの話だが)には存在しなかったのではないだろうか※10。
そう考える理由は幾つかある。まずは、『レギンの歌』やスノッリの『エッダ』、『ノルナ=ゲストの話』のグラム入手の場面に、シグムンドの影がまったく見えないこと。さらに、シグルズとグラムの伝承はドイツ発祥とされるが、『ヴォスルンガ・サガ』における「シグルズが誕生するまでのヴォスルング一族の系譜は,ドイツからの伝承というよりも北欧で生成発展した部分が多く,より北欧的であると言ってよい」という石川栄作の指摘(前掲石川栄作著書1992, p.39)。物語へのオージンの関与をはじめとする北欧神話的傾向の強さは、『サガ』の特徴だと石川は言うが、剣グラムへのオージンの関与も『サガ』独自の改変である可能性がある。少なくとも、オージン&シグムンドの話がドイツにはなく、北欧で付け加わったものである可能性はかなり高いと思われる。そして、にもかかわらず、スノッリの『エッダ』や『ノルナ=ゲストの話』にそれが見られないのは、その付加部分がそれほど広く人口に膾炙しなかったことを示しているのではないだろうか。
さらにもう一つ。本文(グズルーンとの結婚とブリュンヒルドとの同衾)でも引用した『サガ』でのみ知られる二連の詩。エッダ詩と『サガ』との関係を考えるなら、この詩も『サガ』本体より古いと考えるのが妥当だと思うが、ここに言及されている「むかしレギンの手にありし物の具」は、文脈上、名剣グラムだと考えられる※11。グラムが本来、レギンが独力で鍛えたものだとすれば、「むかしレギンの手にありし」と形容されたとしても何ら不自然ではない。また、ファーヴニル殺しの後に行われるシグルズとレギンとの次のようなやり取りも、グラムの鍛造・贈与に関わったのが、本来はレギン一人であったことを示唆するのではないだろうか。引用は谷口訳『エッダ』(1973)から、『ファーヴニルの歌』である。
シグルズ
「わたしが鋭い剣をファーヴニルの血で紅に染めている間、お前は遠くに行っていたな。お前がヒースの中に横になっていた間にわたしは龍と力の限り戦っていたのだぞ」
レギン
「わしが手ずからこしらえたあの鋭い剣を使わなければ、あの老巨人を草の中に横たえることはできなかったろうよ」
シグルズ
「勇士の戦うとき、剣の力よりは勇気のほうが大事だ。勇士が戦い、なまくらの剣で勝つのをよく見ているから。
戦いでは臆病より勇気のあるほうがよいし、何が起こっても意気阻喪しているよりは元気なほうがよい」(p.140-141)
つまり、ファーヴニル殺しの成功が、剣(グラム)の鋭さのお陰か、それとも、使い手の勇気の故かで口論をしているわけである。剣の鋭さのお陰=それを鍛えたレギンのお陰、ということになるわけだが、『ヴォスルンガ・サガ』のように、剣の鍛造にシグムンドの折れた剣を使わなければ成功しなかったなら、レギンの手柄はその分、割り引いて考える必要が生じ、この言い合いの意味は随分薄れてしまうだろう。シグルズも「剣がうまく出来上がったのは、お前一人の手柄じゃない」と反論しそうなものである。元来は、レギン一人の力で剣を鍛えていたからこそ、このような対話が成り立ったのだと考えられる。そもそも、レギンについては、エッダ詩『レギンの歌』の冒頭に、「彼は誰よりも器用で、身の丈は小人であったが、頭がよく、厳しく、魔術に長じていた」(谷口訳, p.133)とある。オージンのグングニルが小人の作であるように、北欧において優れた器物を作るのは、(神々ではなく)小人の役割である。グラムの作り手として、より相応しいのは、オージンではなくレギンだろう※12。
以上、『ヴォスルンガ・サガ』においてシグムンドの剣は「グラム」と呼ばれていないこと、シグムンドの剣を鍛え直すという挿話が後からの付加である可能性、の二つを指摘した。最初に「二重の意味で」といったのは、この二つに由来する。本文(グズルーンとの結婚とブリュンヒルドとの同衾)で見たように、名剣グラムは、愛馬グラニがそれで乗り手を主人と認識するほどに、シグルズとの強い結びつきを示す剣である。「名剣グラムを振るったのは誰か?」と問われたなら、「英雄シグルズ」というのが、もっとも明快で妥当な答えだと私は思う。
ただし、グラムの使い手はシグルズだけ、というわけではない。本文(辺境伯ロズィンゲイルと若きギスルヘル)で見たように、シグルズの義弟にあたるギスルヘルも、グラムによって戦功を挙げているからである。この『ベルンのシズレクのサガ』にのみ見られる挿話は、明らかに後から付け加わったものだと考えられるが、そこにはすでにシグルズの影はない。
この挿話の主眼は、若き(=シグルズ殺しに責任のない)ギスルヘルが、結婚相手の父親である辺境伯ロズィンゲイルを、その辺境伯から贈られた剣で殺してしまう、という悲劇の演出にあると思われる。そこで使われる剣はグラムでなくても良かったはずだが、これがわざわざグラムとされたのは、この剣が「剣のうちで最高のもの」(鍛冶屋のミーミルの言)だったからだろう。ギスルヘルはまだ若いこともあり、グンナルやヘグニのような力はない。それでも辺境伯に勝利出来たのは「名剣グラムの切れ味」の素晴らしさゆえなのである(伯が娘の婚約相手に対して手加減をした、とも解釈出来ようが、そのような記述は『サガ』にはない)。その証拠に、ギスルヘルは、シズレク(ディートリヒ)の師匠ヒルディブランドとの一騎討ちではあっさり敗北しており、その結果について「当然のことながら」とも言い添えられている。どんなに剣が素晴らしくても、師匠の技には勝てなかったわけである。
つまり、名剣グラムが持っていたシグルズとの結びつきは、ここではほとんど無視されている。これは、『ニーベルンゲンの歌』における「バルムンク」と比較するとまた興味深いのだが、それはバルムンクの頁で詳述することにしたい。何故なら、私の理解では「グラム」と「バルムンク」は"別の剣"だからである。
※8 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「グラム(北欧神話)」の項(2008年11月18日版を参照)や、『風臥』の「グラム」の項が顕著。また、『はてなキーワード』の「グラムとは」、『4Gamer.net 剣と魔法の博物館』「第十四回 グラム(Gram)」、『神話用語事典 Mythology Biblio』の「グラム」の項、『西洋ファンタジー用語ナナメ読み辞典 Tiny Tales』の「グラム/バルムンク/ノートゥンク」の項なども、シグムンドの剣を補足説明なしに「グラム」と呼んでいる(以上、2008年11月23日現在)。
※9 : 「グラム」の名が鍛え直された後に付されたものだとすれば、折れた剣を「グラム」と呼ぶシグルズの台詞は、矛盾とは言わないまでも、不自然なものと言わざるを得ない。このような台詞が生まれた背景に、後段で述べるような、シグルズとグラムとの強い結びつきを想定することは、それほど的外れではないだろう。『サガ』の書かれた時点で、シグルズの剣はグラムという名である、という知識が読み手に広く共有されていたとすれば、この台詞を読み手が不自然に感じることもなかったはずだからである。
※10 : 「私は〜主張したい」などと偉そうに言っているが、おそらくこの程度のことはすでに誰かが指摘しているだろう。先行研究を十分に収集できていないため、勝手なことを言っているに過ぎない。また、仮にこのような説が従来存在しないのだとすれば、私の主張が(史料等の不足に拠る)見当違いのものだという可能性をまず考えなければならない。
ただし、この挿話が本当に13世紀の挿入なら、シグムンドがオージンから剣を授けられる件も、同様に13世紀になって付け加えられたものということになる。とすれば、「選ばれたものだけが剣を引き抜くことが出来る」というモチーフに関するエクスカリバーとの前後関係は、当然、グラムの方が後になる。スコット&マルカーは、その先後関係について、「確定することは恐らく将来とも不可能であろう」と述べていて(『アーサー王伝説の起源』(1998訳)p.202)、それはそれでもっともなのだが、アーサー王伝説の広範な伝播を考えると、アーサー王伝説からニーベルンゲン伝説へ、という流れの方が、その逆よりもより自然だと私は思う。
※11 : 前述のように、菅原がこれを「リジルか?」とするのにも理由はある。それは想像するに、リジルがレギンの剣であり、「むかしレギンの手にありし」という文言に相応しいことと、ファーヴニルの心臓を切り取る際、そのリジルがすでにシグルズの手に渡っていることだと思われる。シグルズは直後にレギンを殺しているので、リジルはシグルズの手元に残った可能性が高い。しかし、レギンの死後、『サガ』がリジルに言及せず、シグルズがリジルを所持していることが確かめられないこと、「ファーヴニルの心臓を切り取るシグルズ」が、『ファーヴニルの歌』には見られず、物語としての不自然さも指摘できること(詳しくは「リジル」の頁を参照)から、ここでは「むかしレギンの手にありし物の具」をグラムとみなした。
※12 : 藤井康生は、剣グラムについて、「エクスカリバーがアーサーを救うことができなかったように、シグルドを救うに至らなかった」と述べ、その理由を作り手であるレギンが「邪心の持ち主」であったことに帰しているが( 「物語における<刀剣>のシンボリズム」『大阪市立大学文学部紀要 人文研究』48-6, 1996, p.29/『東西チャンバラ盛衰記』(1999), p.246)、これはかなり的外れな指摘であると私は思う。
まず、北欧の神話・伝説において、作り手の道徳的な正しさと作られたものの性能との間に、相関関係があるとは思えない。前述したとおり、北欧の神話・伝説において、魔法の器物を作り出すのはドヴェルグ(小人・侏儒)の役割だが、彼らはしばしば「神々に敵対する存在」としても登場するのである(菅原邦城『北欧神話』(1984)p.73)。また、道徳的な正しさによって素晴らしい道具が出来るなら、オージンの息子バルドルあたりが作り手として最も優秀なはずだが、魔法の道具づくりのエピソードがあるのは、むしろ奸計に長けたロキの方である(「レーヴァテイン」の頁参照)。
藤井は別の箇所で、シグムンドの剣がオージンによって折られた理由を、妹のシグニューとの近親相姦に帰するような解釈を行っているが(藤井前掲論文p.324/著書p.244)、これも同様に的外れだと思う。オージンがシグムンドの剣を折ったのは、戦士・英雄として絶頂にあるシグムンドを死なせ、オージンの館ヴァルホルに迎えるためだろう。ヴァルホルに迎えられた死せる戦士たちは、世界の終わりに神々に味方して巨人たちと戦うため、その時が来るまで日々闘いに明け暮れ、ヴァルキュリャ(「戦死者を選ぶ女」)たちに給仕されて酒宴を楽しむことが出来るのである。だからこそヴァイキングたちは、病気や老衰による死ではなく、戦死・武器による死を望む。もちろん、敗北より勝利を望む彼らは、オージンにそれを願い、敵の戦死者をオージンに捧げたのである。そうした戦士たちにとって、勝利を与えられずに戦場で命を落とすことは、オージンの裏切りと見なされ、それは彼の「気まぐれ」によるものと受け取られたという(以上、菅原前掲書p.92-105)。いずれにしても、人間の側の道徳的落ち度に対する罰などではないのである。むしろ、ヴァルキュリャではなく、オージンその人によって選び取られたことは、シグムンドにとって誇るべきことだとさえ言えるのではないだろうか。シグムンドに死を与えることが出来たのは、剣を与えたオージンだけだったのである。
話が長くなったが、結局何が言いたいのかというと、この物語をキリスト教的、もしくは現代的価値観に基づいて解釈しても得るものは少ない、ということである。現代の道徳観や価値観で過去の英雄を断罪することに大した意味はないだろう。
シグルズの話に戻るなら、藤井が「シグルドを救えなかったグラム」という時、その具体的な意味は、シグルズがグットルムに殺されたことを指しているようである。しかし、これはほとんど言い掛かりであると私は思う。グラムは最期までシグルズを裏切っていない。逃げるグットルムを真っ二つにし、自らの復讐を果たすことが出来たのは、グラムのお陰でもあるはずだからである。藤井はシグルズがどうであったなら「救われた」と見なすのだろうか。人は100%の確率で死ぬのである。そして、いかなる死が望ましいかは、人によって、時代によって、地域によって変化する。英雄シグルズと、それを生み出した人々の価値観はおそらく現代日本に生きる我々と違っている。それを無視して「救い」を論じるなどということは、到底出来ないのではないだろうか。([付記]に続く)
[付記] :
最後に、本ページで紹介した『ヴォルスンガ・サガ』について感想めいたことを少しだけ。このサガで私が特に面白いと思う場面の一つに、31章で交わされるシグルズとブリュンヒルドとの対話がある。かつては恋人同士だったが、今はともに別の相手と結婚した男女が二人きりで話をする、というこの場面は、その状況設定を聞いただけでも、面白さの一端は理解されるものと思う。ただ、そこに垣間見える現代との死生観の違いみたいなものが、この対話をより興味深いものにしている、と私は思う。
日本の中世に生きた人々もそうであったと思うが、サガの時代の人々にとって死はすべての終わりではない。例えば、現世における生が終わった後、より良い生を得るために、宗教的に正しい行為が推奨される、という仕組みは、洋の東西でそれほど変わらないだろう。中世を生きた人々にとっての所謂「死後の世界」は、現代に生きる我々が考えるよりも、はるかにリアルなものだったと思うのである。
ブリュンヒルドがここで望んでいるのは、シグルズと自身の死である。現世においてグンナルと結婚してしまったブリュンヒルドが、名誉を失わずにシグルズと一緒になるには、死後を待つしかない。ブリュンヒルドは元々、戦死者を選び、彼らが集うヴァルホルで給仕を務めるヴァルキュリャなので、相手が戦死者であることは、むしろ都合が良いとも言える。
一方のシグルズにもそれは分かっている。それを最もよくあらわしているのが、次のやり取りである。
ブリュンヒルドは答える。
「私の悲しみのうちもっとも心が痛むのは、鋭い剣があなたの血で朱(あけ)に染まることを実現できないということです」
シグルズが答える。
「そんな風にお気づかいなさるな。鋭い剣が私の心臓に突き刺さるまで、そう長く待たなくてよいかも知れぬ。私の死んだ後そなたは生き存(なが)らえないだろうから、これ以上悪いことはお望みになれますまい。私たちの余命はいくばくもないだろう」(p.100)
さらに、次の台詞には、シグルズの本音が最もよく現れていると思う。
「もっと真実(まこと)なのは別のことだ。私はこの身以上にそなたを愛しているのだ、あの欺きにはまりはしたが。このことは、今となっては変えようがない。自分の心をよくよく見る時はいつも、私は、そなたが私の妻にならなかったことを悲しんだ。しかし私は、王の館にいるので、自分をできるだけ抑えたのだ。それでも、私たちが皆いっしょにいることを喜んでおった。前に予言されたことは起こらなければならないのかも知れない。だが、そのことを私は心配しない」(p.101)
シグルズは予言として自らの運命を聞かされていた。「そのことを私は心配しない」とは、予言を信じていない、という意味ではなく、死ぬことを恐れないという意味だろう。シグルズは自分の死を覚悟しているのである。ただ、ブリュンヒルドと違い、シグルズは人間なので、自分の死は恐れずとも、ブリュンヒルドの死は心情的にどうしても受け入れがたいのだと思われる。対話の後半で、悲しみのあまり「そなたが死ぬ位ならば、そなたを妻にしてグズルーンは捨てよう」(p.102)とまで言い出すシグルズの心情も、そう考えれば理解できなくもない。シグルズは、かつて愛し、今も大切に思っている女性の死を、ほとんど無理だと分かっていながら、何とか食い止めようと必死なのである。結局は、苦し紛れの悪あがきにすぎなかったとしても、その真剣さはブリュンヒルドへの思いの強さを感じさせる。
本文中で示したように、シグルズはベッドの上で殺されるが、グリーピルに自らの運命を予言されている上、ブリュンヒルドに命をねらわれていることを自覚しているシグルズが簡単に隙を見せたのも、一方で死を望んでいたからではないだろうか。後を追うブリュンヒルドはシグルズとともに火葬されることを望み、「私があの方に従って参りましたら、扉があの方のすぐ後で閉じることはないでしょう」と語る。それは冥府へ至る扉の前で(もしくは扉を過ぎたところで?)、シグルズが待っていてくれる、という意味だろう。二人は手を取り合って、冥府(ヴァルホル?)への扉をたたくわけである。『サガ』の後半で凄惨な殺し合いを演じ、酷い殺され方をするグンナルたちに比べ、死後結ばれた二人は、遙かに「幸せ」だったように私には感じられる。その意味で、シグルズは「救われている」というのが、私の解釈である。
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