| 分類 | 名剣 |
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| 表記 | ◇リジン(谷口訳エッダ), ◇リジル(菅原訳サガ, 同ノルナゲスト), ◇レヴィル(谷口訳スノリ) ◇Riðill(菅原訳サガ) |
| 語意・語源 | ?? |
| 系統 | ニーベルンゲン伝説 |
| 主な出典 | ◇『ファーヴニルの歌』(Fáfnismál)
北欧神話の重要資料である韻文のエッダ、いわゆる「エッダ詩」の一つで、シグルズによる龍ファーヴニル退治を描く。10世紀にノルウェーもしくはアイスランドで成立したものとされる。シグルズの龍退治は、スウェーデンのセーデルマンランドに岩に描いた絵が残っているが、これはルーネ文字のついた岩絵で1020年頃に彫られたものである。従って龍退治の物語は1000年頃にはスウェーデンで知られていたことになる。(谷口1973)
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| ◇スノッリ・ストゥルルソン『エッダ』第二部「詩語法」(Snorri Sturluson, Edda, Skáldskaparmál, 1220年代前半)
→詳細は「ダーインスレイヴ」の項参照。 | |
◇『ヴォルスンガ・サガ』(V lsunga saga)
民族大移動期の英雄や古代北欧の英雄の冒険談を扱った「伝説的サガ」(もしくは「古代のサガ」)の一つで、『ラグナル・ロズブロークのサガ』と並んでその最高峰とされるサガ。その内容は、早くから北欧に歌の形で伝えられ、エッダ詩中に断片で残されたシグルズ伝承の散文化である。1250-1260年頃にアイスランド、もしくはノルウェーで成立したと推定される。現存最古のテキストは、1400年頃にアイスランドで書かれたと思われる羊皮紙写本で、その約3/4は、エッダ詩集現存最古の写本(いわゆる「国王写本」13c後期成立)で伝えられる英雄詩篇と実質的に同一の内容を持つ。ドイツ中世叙事詩『ニーベルンゲンの歌』との比較研究においても得がたい資料を提供する。(菅原1979)
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| ◇『ノルナ=ゲストの話』(Norna-Gests þáttr)
14世紀頃に成立したと推定されるアイスランド古譚。主人公ノルナ=ゲストは、ノルウェー王オーラヴ・トリュッグヴァソン(995-1000)を訪れて彼と問答を交わした後、キリスト教を受け入れて、自ら進んで運命のろうそくを燃やし尽くし、三百年の人生を終える。作中、ゲストによって語られる英雄シグルズの伝説などから、作者はエッダ英雄詩を、我々が知っているそれとほぼ同一の形で知っていたものと考えられている。(菅原1987)
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| 参考文献 |
◇V.G.ネッケルほか編(谷口幸男訳)『エッダ―古代北欧歌謡集』 新潮社, 1973.8 ◇菅原邦城訳 『ゲルマン北欧の英雄伝説―ヴォルスンガ・サガ―』 東海大学出版会, 1979.7 ◇谷口幸男 「スノリ『エッダ』「詩語法」訳注」 『広島大学文学部紀要』43特輯号3, 1983.12 ◇菅原邦城試訳 「アイスランド古譚『ノルナ=ゲストの話』」 『世界口承文芸研究』8, 1987.3 |
リジルはシグルズ伝承群に登場する剣である。エッダ詩『ファーヴニルの歌』に登場し、その他、スノリの『エッダ』「詩語法」、『ヴォルスンガ・サガ』、『ノルナ=ゲストの話』にその名を見ることが出来る。リジルは、シグルズによって殺されたファーヴニルの心臓を切り取る際に用いられたが、菅原邦城訳『ヴォルスンガ・サガ』(1979)によれば、物語のあらすじは次の通りである。
シグムンド王の子シグルズは、養父であるレギンにファーヴニル殺しを依頼される。それは、レギンの兄であったファーヴニルが二人の父フレイズマルを殺して財宝を独り占めしたからで、ファーヴニルは凶悪な大蛇(オルム)もしくは龍(ドレキ)と化してその財宝を守っていた。シグルズは鍛冶でもあったレギンに剣の製作を依頼して、ファーヴニル殺しを引き請ける。はじめレギンの打った剣は、シグルズの力に耐えられず折れてしまうが、シグルズは折れた父王シグムンドの剣を母ヒョルディースから貰い受け、これを材料にレギンは名剣グラムを作る。これを持って父の敵を討ったシグルズは、次いでファーヴニルと戦い、心臓を突き刺して殺す。このファーヴニル殺しについて、レギンが「兄を殺した」とシグルズを非難したり(自分で依頼しておきながら!)、剣グラムの手柄(=レギンの手柄)か、使い手(=シグルズ)の手柄かで口論になったりするが、その後にリジルの登場場面が来る。
それからシグルズは、リジルという剣で龍から心臓を切りとった。そしてレギンがファーヴニルの血を飲んで言った。
「御身にとってとるに足らない願いを一つきいてください。心臓を火のところに持っていって焼いて、私に食べさせてください」(p.56)
シグルズは言われた通りに心臓を焼くが、焼け具合を確かめるために心臓にさわった指を口の中に入れると、鳥たちの言葉が分かるようになり、レギンが自分を裏切ろうとしていることを知る。シグルズは鳥たちの言葉に従って、グラムでレギンの頭をはねるのだが、それはともかく、同様の場面が「エッダ詩」の一つである『ファーヴニルの歌』にもあるので、これも見ておこう。引用は谷口幸男訳『エッダ』(1973)から。
それからレギンはファーヴニルの近くに歩みより、リジンという剣で彼の心臓を切り取り、傷口から血を飲んだ。
レギン
「シグルズ、まあかけなさい。わしはねようと思う。ファーヴニルの心臓を火にあぶってくれ。血を飲んだあとで心臓を食べさせてくれ」(p.140)
あらすじは変わらないのだが、剣のカナ表記が「リジン」になっており、心臓を切り取る主体が、シグルズではなくレギンになっていることが分かるだろう。また、レギンの口調・態度が少々異なり、『歌』の方が偉そうに見えるが、これは訳し方の問題だろうか? それとも原文の相違か? ささいな問題ではあるが、後ほど詳しく考察することにしよう。
さらに、リジルはアイスランド古譚『ノルナ=ゲストの話』にも登場している。作中、主人公ゲストによって語られるシグルズの物語(ゲストは以前、シグルズの召使をしていたと言う)の中にその名が見えるのだが、その箇所を以下に引用しよう(引用は菅原邦城試訳「アイスランド古譚『ノルナ=ゲストの話』」(1987)から)。
次にお話しすべきことは、シグルズがフンディングの息子たちに対して戦いの準備をしたことでございます。シグルズは数がおびただしい、またよく武装した軍勢を従えました。レギンはその軍勢のために大いに戦略を練りました。彼はリジルという名の剣を持ち、自分で鍛えたものでした。シグルズは彼にこの剣を貸してくれるよう求め、彼は求め通りにしまして、シグルズがこの遠征から帰国した暁にはファーヴニルを殺すように求めたのでございます。シグルズはその約束をしました。(p.377)
ここで、リジルはレギンの剣であり、かつレギン自身が鍛えたものであることが分かる。また、この物語では、シグルズが父の仇であるフンディングの息子たちを倒すためにリジルを借り、その代わりにファーヴニル殺しを引き受けたことになっている。シグルズはこの時点で、すでにグラムを手に入れているので、さらにリジルまで求めるのは不思議で、実際、戦いの場面ではリジルの名は出てこない。どうにも位置づけのよく分からない剣である。また、レギンの所持している剣については、スノリの『エッダ』第二部「詩語法」にもその名が見える。谷口幸男訳「スノリ『エッダ』「詩語法」訳注」(1983)では、その名は「レヴィル」(p.47)となっているが、これは間違いなくリジルのことだろう(該当箇所は「フロッティ」の項で引用している)。
さて、ここではリジルを使ったのが、レギンとシグルズ、どちらなのか検討してみよう。もちろん、史実を明らかにするわけではないので、レギンかシグルズか、どちらが正しいかを決めるわけではない。どちらの方が物語として妥当かを検討するのである。はじめに、スノリの「詩語法」にも、『ヴォルスンガ・サガ』などと同様の場面が描かれているので、これを引用しておこう(引用は谷口幸男訳「スノリ『エッダ』「詩語法」訳注」(1983)から)。
ファーヴニルが水を飲みにはい出してきたとき、シグレズは剣でその胴中を刺し貫き、それがファーヴニルの最期であった。するとそこへレギンがやってきて、彼の兄を殺したな、といい、その償いにファーヴニルの心臓をとって火で焼くよう命じ、自分は身体をのばして、ファーヴニルの血を飲み、ゴロリと横になってねた。(p.48)
ここにはリジルは登場していないが、これを読む限り、どうもレギンが偉そうな理由は、シグルズが自分の兄を殺したことを非難している点にあるようだと分かる(文中の「シグレズ」は、もちろんシグルズのこと)。自分が依頼したことを棚に上げている点は、この際、脇へ置こう。レギンはシグルズの養父でもあるので、シグルズに対して「命じる」立場にあっても、それ自体は自然なことであると言える。そうすると、シグルズに心臓を切り取らせて、自分は「横になって」寝ている方が、二人の関係から考えると妥当であると思われる。つまり、リジルを振るったのはシグルズということになる。
しかし、シグルズはこの時、自分の剣グラムを持っているのである。リジルがレギンの剣であるとすると、これをわざわざ借りる必要性が分からない。リジルは短剣で、心臓を切り取るといった作業に、グラムより適していた可能性もあるが、それでも違和感が残る。何故なら、レギンはここで「ゴロリと横になって」いるだけではなく、「ファーヴニルの血を」飲んでいるからである。自分で心臓を切り取って、その傷口から血を飲むなら何の問題もないが、シグルズにやらせている場合、どうやって血を飲んだのかが問題になるのである。殺しも心臓の切り取りもシグルズにやらせているとすれば、ここまでレギン自身はファーヴニル(の屍体)に触れていないと見た方が、状況としては理解しやすい。にも関わらず、何故か『サガ』でも『歌』でも、そしてスノリの『エッダ』でも、レギンは血を飲んでいるのである。
そもそも、この剣の存在自体、中途半端であると言える。ファーヴニル殺しの主役は、誰が見てもシグルズの愛剣グラムであって、リジルは何故名前を持っているのかが謎なほど、大した役割を演じていない。華がないのである。この物語の不自然さは何なのだろう。素人の浅知恵で、グラムに関する物語は新しく付加された要素で、それ以前の物語ではリジルによってファーヴニル殺しが行なわれた、と考えることも出来るが、レギンが血を飲む必然性はこれでも説明できない。どなたかゲルマン伝説に詳しい方、教えてください!
本来はグラムのページで扱うべきところだが、あっちはあっちで書くことがたくさんありそうなので、こちらに書いてしまう。ファーヴニル殺しの後、その手柄は剣グラム(=鍛冶レギン)のものか、それとも使い手(=シグルズ)のものかで二人が口論をすることは、先ほど述べた。これは、なかなか面白い問題である。この場面を『ファーヴニルの歌』から引用してみよう。引用はやはり谷口幸男訳『エッダ』(1973)から、引用部分は先ほどの箇所の直後からである。
シグルズ
「わたしが鋭い剣をファーヴニルの血で紅に染めている間、お前は遠くに行っていたな。お前がヒースの中に横になっていた間にわたしは龍と力の限り戦っていたのだぞ」
レギン
「わしが手ずからこしらえたあの鋭い剣を使わなければ、あの老巨人を草の中に横たえることはできなかったろうよ」
シグルズ
「勇士の戦うとき、剣の力よりは勇気のほうが大事だ。勇士が戦い、なまくらの剣で勝つのをよく見ているから。
戦いでは臆病より勇気のあるほうがよいし、何が起こっても意気阻喪しているよりは元気なほうがよい」(p.140-141)
この場合、グラムの材料が、シグルズの父が軍神オージンからもらったものであることを考えると、レギン自身の役割はそれほど重要ではない。また、実際の戦いの場面を読む限り、シグルズの勇気は大したもので、軍配はシグルズに上がると多くの読者は感じることだろう。しかし、この問題をより一般化して考えた場合、話はそう簡単ではない。一般的に言って、英雄のなした偉業は、英雄自身の力・勇気によるのか、それとも英雄の所持していた武器の切れ味・能力によるのか? さらに言えば、神々の意図による、という場合もあるだろう(シグルズの父シグムンドなどは、その剣を通してオージンの意図が直に反映されている。シグルズも同様だろうか?)。
その答えは、つまらないながら、おそらく「場合による」としか言えないだろう。地域差もあるかもしれない。ただし、武器に名前がある場合と、そうでない場合とを比較すると、そこに若干の相違があるように思われる。すでにお分かりだと思うが、ここで私が言いたいのはこの点である。武器に名前がない場合は、ある場合に比べて、英雄自身の力・勇気の比重が大きい。武器はどうしても英雄に従属するものと捉えられるからだ。これは、その独立性が名前によって保証されていないためだと考えられる。名前の意味はここにもあるわけである。ちなみに、どちらかと言えば、北欧サガでは英雄の力が、中世日本では剣(刀)の力が重く見られているように感じる。いずれ、きちんと比較してみたいものだ。
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