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リジル(Riðill

分類名剣
表記◇リジン(谷口訳エッダ), ◇リディル(松谷訳エッダ), ◇リジル(菅原訳サガ, 谷口訳サガ, 菅原訳ゲスト), ◇レヴィル(谷口訳スノリ)
◇Riðill(菅原訳サガ
語意・語源??
系統ニーベルンゲン伝説
主な出典◇『ファーヴニルの歌』(Fáfnismál
北欧神話・伝説の重要資料である所謂「エッダ詩」の一つで、1270年頃に書かれた王室写本に収録される英雄詩。全279行。英雄シグルズがファーヴニルを殺し、レギンをも殺して、莫大な黄金と宝物を手に入れて立ち去るまでを描く。内容の大半を占めるのは、シグルズと瀕死のファーヴニルとの対話、シグルズとレギンとの対話、そしてシグルズに対する四十雀たちの忠告である。10世紀にノルウェーもしくはアイスランドで成立したともいうが、成立年代や起源について確定的なことは言えないらしい。(谷口1973, グンネル2007)
◇スノッリ・ストゥルルソン『エッダ』第二部「詩語法」(Snorri Sturluson, Edda, Skáldskaparmál, 1220年代前半)
   詳細は「ダーインスレイヴ」の項参照。
◇『ヴォルスンガ・サガ』(Vǫlsunga saga
民族大移動期の英雄や古代北欧の英雄の冒険談を扱った「伝説的サガ」(もしくは「古代のサガ」)の一つで、『ラグナル・ロズブロークのサガ』と並んでその最高峰とされるサガ。その内容は、早くから北欧に歌の形で伝えられ、エッダ詩中に断片で残されたシグルズ伝承の散文化である。1250-1260年頃にアイスランド、もしくはノルウェーで成立したと推定される。現存最古のテキストは、1400年頃にアイスランドで書かれたと思われる羊皮紙写本で、その約3/4は、エッダ詩集現存最古の写本(王室写本)で伝えられる英雄詩篇と実質的に同一の内容を持つ。ドイツ中世叙事詩『ニーベルンゲンの歌』との比較研究においても得がたい資料を提供する。(菅原1979)
◇『ノルナ=ゲストの話』(Norna-Gests þáttr
14世紀頃に成立したと推定されるアイスランド古譚。主人公ノルナ=ゲストは、ノルウェー王オーラヴ・トリュッグヴァソン(995-1000)を訪れて彼と問答を交わした後、キリスト教を受け入れて、自ら進んで運命のろうそくを燃やし尽くし、三百年の人生を終える。作中、ゲストによって語られる英雄シグルズの伝説などから、作者はエッダ英雄詩を、我々が知っているそれとほぼ同一の形で知っていたものと考えられている。(菅原1987)
参考文献 ◇松谷健二訳 『エッダ/グレティルのサガ 中世文学全集Ⅲ』 筑摩書房, 1986.12(1971.12)
◇V.G.ネッケルほか編(谷口幸男訳)『エッダ―古代北欧歌謡集』 新潮社, 1973.8
◇菅原邦城訳 『ゲルマン北欧の英雄伝説―ヴォルスンガ・サガ―』 東海大学出版会, 1979.7
◇谷口幸男訳 『アイスランド サガ』 新潮社, 1979.9
◇谷口幸男 「スノリ『エッダ』「詩語法」訳注」 『広島大学文学部紀要』43特輯号3, 1983.12
◇菅原邦城試訳 「アイスランド古譚『ノルナ=ゲストの話』」 『世界口承文芸研究』8, 1987.3
◇テリー・グンネル(伊藤盡訳)「エッダ詩(特集・北欧神話の世界)」 『ユリイカ』第39巻第12号, 2007.10

※ : "ǫ"は、"o"にオゴネクを付けたラテン文字。Unicode:U+01EB。環境によっては表示されないようなので念のため。ちなみに、確認した範囲では、IE7.0、火狐3.0、Opera9.0では表示され、IE6.0では表示されない(いずれもWindows XP)。


◆ファーヴニルの心臓を切り取る

リジルはニーベルンゲン伝説の北欧伝承に登場する剣である。エッダ詩『ファーヴニルの歌』に登場する他、スノッリ・ストゥルルソンの『エッダ』第二部「詩語法」、『ヴォルスンガ・サガ』、『ノルナ=ゲストの話』にその名を見ることが出来る。リジルが登場する場面を、まずは、菅原邦城訳『ヴォルスンガ・サガ』(1979)によって見てみよう。物語のあらすじは次の通りである。

 〜『ヴォルスンガ・サガ』〜

シグムンド王の子シグルズは、養父レギンにレギンの兄ファーヴニルの殺害を依頼される。それは、ファーヴニルが二人の父フレイズマルを殺して財宝を独り占めしたからで、ファーヴニルは凶悪な大蛇(オルム)もしくは龍(ドレキ)と化してその財宝を守っていたのである。シグルズは鍛冶でもあったレギンに剣の製作を依頼して、このファーヴニル殺しを引き請ける。しかし、レギンの打った剣はシグルズの力に耐えられず折れてしまったため、シグルズは母ヒョルディースのもとに父王シグムンドの折れた剣を貰い受けに行く。レギンはこれを材料に名剣グラムを造る。グラムを手に敵を討ったシグルズは、次いでファーヴニルと戦い、心臓を突き刺して殺す。ファーヴニルが死ぬと、その場を離れていたレギンがあらわれる。

 それからシグルズは、リジルという剣で龍から心臓を切りとった。そしてレギンがファーヴニルの血を飲んで言った。
 「御身にとってとるに足らない願いを一つきいてください。心臓を火のところに持っていって焼いて、私に食べさせてください」(p.56)

ちなみに、同じ箇所を谷口幸男は次のように訳している(引用は谷口幸男訳『アイスランド サガ』(1979)から)。

 それからシグルズはリジルという剣で竜から心臓を切りとった。それからレギンはファーヴニルの血を飲んで、いった。
「ちょっとした頼みをやってくれ。心臓を火のところにもって行って、炙って、わしに食べさせてくれ」(p.560)

シグルズは言われた通りに心臓を焼くが、焼け具合を確かめるために心臓にさわった指を口の中に入れる。すると、鳥たちの言葉が分かるようになり、その話し声から、レギンが自分を裏切ろうとしていることを知る。シグルズは鳥たちの言葉に従って、剣グラムでレギンの頭をはねる。(『ヴォルスンガ・サガ』については「グラム」の項も参照のこと)

 〜『ファーヴニルの歌』〜

同様の場面がエッダ詩の一つである『ファーヴニルの歌』にもあるので、続いてこれを見よう。引用は谷口幸男訳『エッダ』(1973)から。引用箇所は26節後の散文部分と27節である。

 それからレギンはファーヴニルの近くに歩みより、リジンという剣で彼の心臓を切り取り、傷口から血を飲んだ。
 レギン
「シグルズ、まあかけなさい。わしはねようと思う。ファーヴニルの心臓を火にあぶってくれ。血を飲んだあとで心臓を食べさせてくれ」(p.140)

この引用部分に限定すれば、サガとの相違点は次の二点である。まず、剣のカナ表記が「リジン」になっていること。そして、リジル(リジン)を使ってファーヴニルの心臓を切り取る人物が、シグルズではなくレギンになっていること。前者は、底本の綴りの違いだろうか。松谷健二訳の『ファーヴニルの歌』では「リディル」(『中世文学全集』Ⅲ, 1986, p.100)となっているので、単純にサガとエッダ詩の違いとも言い切れない。ちなみに、松谷訳と谷口訳では節番号もずれているが、これは底本の違いによるものと思われる(松谷訳の底本はブール編のもの、谷口訳はネッケル/クーンの刊本第三版(1962))。また、後者については、後でやや詳しく考察を加えることにする。


◆レギンが鍛えたレギンの剣

 〜『ノルナ=ゲストの話』〜

冒頭で述べた通り、リジルという剣はアイスランド古譚『ノルナ=ゲストの話』にも登場している。作中、主人公ゲストによって語られるシグルズの物語(ゲストは以前、シグルズの召使をしていたと言う)の中にその名が見える。引用は菅原邦城試訳「アイスランド古譚『ノルナ=ゲストの話』」(1987)から。

 次にお話しすべきことは、シグルズがフンディングの息子たちに対して戦いの準備をしたことでございます。シグルズは数がおびただしい、またよく武装した軍勢を従えました。レギンはその軍勢のために大いに戦略を練りました。彼はリジルという名の剣を持ち、自分で鍛えたものでした。シグルズは彼にこの剣を貸してくれるよう求め、彼は求め通りにしまして、シグルズがこの遠征から帰国した暁にはファーヴニルを殺すように求めたのでございます。シグルズはその約束をしました。(p.377)

ここで、リジルはレギンの剣であり、かつレギン自身が鍛えたものであることが分かる。また、この物語では、シグルズが父の仇であるフンディングの息子たちを倒すためにリジルを借り、その代わりにファーヴニル殺しを引き受けたことになっている。シグルズはこの時点で、すでにグラムを手に入れているので、さらにリジルまで求めるのは不思議で、実際、戦いの場面ではリジルの名は出てこない。フンディングの息子たちとの戦闘でシグルズが振るうのは、借り受けたリジルではなく、グラムの方である(該当箇所はグラムの頁に引用している)。

 〜スノッリ・ストゥルルソン『エッダ』第二部「詩語法」〜

また、レギンの所持している剣については、スノッリの『エッダ』第二部「詩語法」にもその名が見えている。谷口幸男訳「スノリ『エッダ』「詩語法」訳注」(1983)によれば、「黄金が「ファーヴニルの洞穴または住居」あるいは「グニタヘイズの金属」または「グラニの荷」と呼ばれることについて」の物語の中に「レギンはレヴィルという剣をもっていた」(p.47)との文言がある。その名は「レヴィル」となっているが、これは間違いなくリジルのことだろう(該当箇所は「フロッティ」の頁で引用しているので、そちらを参照のこと)※1

なお、スノッリがこの場面でレギンの剣に言及する理由は今ひとつよく分からない。フレイズマルからファーヴニルへと渡った剣フロッティが出てきたので、ついでに言及したのだろうか。それにしても、やや唐突な印象を受ける。詩作のための知識として、レギンの剣の名も必要だったということか。

※1 : ネット上におけるこの剣のカナ表記について一言。2007年10月2日現在、googleで検索すると、「リジル」は約696件、「リディル」は約23,900件がヒット。「リジル」で一番にヒットするのは本サイトだが、以下、北欧神話に関係するようなページは見当たらず、星の名前や化学物質か何かに関係する「リジル」ばかり。「リディル」の方は、テレビゲーム『ファイナルファンタジーXI』(PS2・MMORPG・スクウェアエニックス・2002-)に関係するページが多くヒットし、同ゲームに「リディル」という名前の剣が登場していることが分かる。これは間違いなく、このページで扱っている「リジル」を元にしたものだろう。本サイトからもリンクしているウェブサイト『幻想世界神話辞典』や『風臥』が「リディル」で項目を立てていることもあり、2007年10月2日現在、ネット上ではこの「リディル」が一般的な表記らしい。なお、『Wikipedia』の「架空の武器」のページには「リジル」と表記されているが、個別記事は立っていない。また、「リジン」では約524,000件、「レヴィル」では約13,500件がヒットするが、前者はアミノ酸のリシン(リジン)が、後者では人名が多くヒットしているらしく、両者の件数の多さと剣の「リジル」の間には、ほとんど関係がないようだ。

追記 : 上記のように書きながら、更新をさぼっているうちに『Wikipedia』にも「リジル」のページが出来てしまった。履歴を見ると、2007年10月29日に作成されたらしい。2008年11月23日現在、googleで検索するとヒット数は約2,090件。一番にヒットするのは『Wikipedia』の当該ページで、本サイトは二番目になった。ちなみに、「リディル」では約34,600件がヒット。


〈考察:ファーヴニルの心臓を切り取ったのは誰か?

さて、ここではリジルを使ってファーヴニルの心臓を切り取った人物が、『ヴォルスンガ・サガ』(以下「サガ」)と『ファーヴニルの歌』(以下「エッダ詩」)で異なる理由について考えてみたい。はじめに本文で見たことを確認しておくと、心臓を切り取る役目は、サガではシグルズ、エッダ詩ではレギンが担っている。一方、スノッリの『エッダ』「詩語法」にも、『ヴォルスンガ・サガ』などと同様の場面が描かれているので、まずはこれを引用しておく。引用は谷口幸男訳「スノリ『エッダ』「詩語法」訳注」(1983)からである。

 ファーヴニルが水を飲みにはい出してきたとき、シグレズは剣でその胴中を刺し貫き、それがファーヴニルの最期であった。するとそこへレギンがやってきて、彼の兄を殺したな、といい、その償いにファーヴニルの心臓をとって火で焼くよう命じ、自分は身体をのばして、ファーヴニルの血を飲み、ゴロリと横になってねた。(p.48)

ここには心臓を切り取る場面は描かれず、リジルの名も登場していない。その上、心臓をどちらが切り取ったのかも、この訳文からは明瞭には分からない※2。レギンの命じ方、この後訳文が「そしてシグルズは心臓をあぶり」と続くことを考えると、シグルズがレギンの命を受けて心臓を切り取ったようにも取れるが、レギンが自ら心臓を切り取ってシグルズに差し出した可能性もある(レギンがファーヴニルの血を飲んだのは心臓を切り取る時ではなかったか)。

以上をふまえて、早々に結論を述べてしまうと、ここはレギンがリジルを使って心臓を切り取った、とする方が自然だと私は考える。サガの記述には納得のいかない点が少なくないからである。まず、サガにおいて、シグルズはリジルを使って心臓を切り取っているが、「詩語法」や『ノルナ=ゲストの話』によれば、リジルはレギンの剣である。これをレギンから借り受けたとする記述はサガの中にはないし、借り受ける理由も見当たらない。シグルズは自らの剣グラムを持っているからである※3。また、シグルズがレギンに頼まれる前に心臓を切り取っている点も不可解である。シグルズが自ら進んで心臓を切り取る理由はなさそうに思える。それとも自分で食べるつもりだったのだろうか。

一方、エッダ詩の語る物語進行は、サガに比べるとはるかに自然である。サガ・エッダ詩・「詩語法」のいずれでも、レギンはファーヴニルの血を飲んでいるが、レギン自身が自分の剣でファーヴニルの心臓を切り取り、その傷口から血を飲んだと考えた方が、その行動を一連のものとして理解しやすい。レギンは切り取った心臓をシグルズに渡して、それを焼くように命じ、自分は横になって寝てしまう。血を飲んだレギンにも鳥の話し声は聞こえていそうなものだが、寝ていたためにこれに気がつかず、あえなくシグルズに殺されてしまった、というわけである。

それでは、サガにおけるこの混乱はどうして生じたのだろうか。ここからはテリー・グンネルのエッダ詩に関する概説(伊藤盡訳「エッダ詩」『ユリイカ』39-12, 2007)を参照しつつも、かなり勝手な推測を重ねるので、話半分以下に聞いていただきたい。

まず、エッダ詩とサガの成立年代だが、一般にエッダ詩の方が古く、サガの方が新しいとされている。しかし、エッダ詩が新しい要素を少しも含まない、というわけでもない。グンネルによれば、複数の詩を集めて詩集を作る際、その詩選集の編者は「物語詩の詩節の代わりに散文を用いたり、主題的な全体像を形作るために詩の断片を取り除いたり付け足したりすること」がしばしばあったという。そして、そのようなことが行われたと考えられる作品として、『レギンの歌』や『ファーヴニルの歌』を挙げている(p.123)。そこで、あらためて『ファーヴニルの歌』の「リジン」登場場面を確認すると、訳者の谷口はこの箇所に詩節番号を付していない。この部分は韻文中に挿入された散文部分なのである。それは、この一文が元の詩には含まれず、後世に編者によって付加されたものである可能性を示唆する。

一方、グンネルは『ファーヴニルの歌』など四つのエッダ詩の写本の余白に、語り手への注意書きが発見されたことから、これらの作品が当時の写字生たちに、フランスなどで書き残された未発達の戯曲と同種のものと見なされていた可能性を指摘している。さらに、『ファーヴニルの歌』の現存のテクストでは、肝心のファーヴニルを殺すシグルズの行動が無視されている。つまり、詩文中では語られず、冒頭の散文中でのみ語られていることから、かなり慎重な言い回しをしながらも「これは言葉ではなく動作で表現されることが意図されているのではないか」と述べている(p.134)。つまり、『ファーヴニルの歌』は、単に吟唱されるのではなく、演じられるべき作品だったのではないか、というのである。そしてそれは、異教の通過儀礼に根を持つ可能性もあるという。

話をファーヴニルの心臓が切り取られる場面に戻そう。すでに見た通り「詩語法」にはこの場面が描かれていないが、これはスノッリの参照したエッダ詩に、その場面を語る詩文が存在しなかったことを示すのではないだろうか。そして、この部分が元の詩文に存在しなかったとすれば、それはファーヴニル殺しと同様、言葉ではなく、動作で表現されるものだったのかも知れない。それが、王室写本やサガなど、文字で書き記されるようになった後のある時点で、物語の進行を補足するために、それまで動作であらわされていた内容が書き加えられた、と考えるのである。

この時、王室写本、もしくはそれに先行する小詩選集の編者は、物語の進行上、無理のない補足を加えたと評価できる。一方、サガの編者が行った補足は、多くの矛盾を含むものだった。これは何故だろうか。実際に儀礼を演じていた頃から年月が経ち、物語の筋を十分に理解しないままに散文化したせいだろうか。儀礼が形式化して物語進行の整合性がそれほど重視されなくなれば、シグルズが心臓を切り取るバージョンが演じられたこともあったのかも知れない※4

いずれにしても、ファーヴニルの心臓を切り取る人物が変わってしまった原因は、もとの詩文にその部分が明確に書かれていなかったためだ、というのが本頁の結論である。『ファーヴニルの歌』は本当に儀礼として演じられていたものなのか、その儀礼はいつ頃まで行われていたのかなど、不確かな部分も多く、推論に推論を重ねすぎたようにも思うが、素人の戯れ言ということで勘弁願いたい※5

※2 : その他、スノッリの『エッダ』が、サガやエッダ詩と異なっている点として、まず、ファーヴニルの心臓を焼くことが兄殺しの「償い」になっていることが挙げられる。ファーヴニル殺しをシグルズに依頼したのはレギン自身なのだから償いも何もないような気がするのだが、これはスノッリの独自解釈なのかも知れない。また、レギンがファーヴニルの血を飲むのに「身体をのばして」いることも他のテクストにはない描写である。些細なことかも知れないが、身体をのばせばファーヴニルの屍体に届く範囲にレギンがいた、と見なされているのだとすれば、レギンが心臓を切り取った、とスノッリ自身は考えていたのかも知れない。

※3 : 上述したように、『ノルナ=ゲストの話』では、シグルズはグラムを持っていながらリジルを借り受けているが、このリジルは使われることがない。この挿話の意味が分かれば、ここで考察している問題を考えるヒントが得られる可能性もあるのだが…。

※4 : これに関連して一つ気になるのは、サガにおけるレギンの存在感の低下である。例えば、レギンはエッダ詩では独力でグラムを鍛えていたが、サガではシグムンドの折れた剣がなければシグルズを満足させる剣を鍛えることが出来ない。このようなレギンの役割の矮小化にともなって、心臓を切り取る役目も、レギンからシグルズに委譲されてしまったのかも知れない。

※5 : 戯れ言ついでに最後にもう一言。本サイトの興味・関心から、私がもう一つ疑問に思うのは、心臓を切り取る人間が変化したにも関わらず、使われる剣の名前が変化しなかったのは何故か、ということである。シグルズが心臓を切り取るなら、使われる剣がグラムになっても良さそうなものではないだろうか。「ファーヴニルの心臓を切り取る」という動作と、剣の名「リジル」には、何か特別な繋がりがあったのか。
 単純に、サガの編者がいいかげんな性格だった、という解釈ももちろん可能である。ただ、この物語が儀礼の中で演じられていた、という先の推定を信じるなら、その儀礼の中で使われる剣が二振りあり、ファーヴニルを殺す剣と、ファーヴニルの心臓を切り取る剣が区別されて使用されていた可能性も考えられる。もちろん、前者がグラム、後者がリジルである。この想定はかなり面白いが、そんなことがあり得るものなのか。また、あり得たとして証明することは可能なのか、といった話になると、最早私の能力では戯れ言さえ言えそうにない。
 ただ、注意すべきなのは、「グラム」の頁を参照していただければ明らかなように、『ベルンのシズレクのサガ』では、ファーヴニルにあたる竜は剣によって殺されていないことである。つまり、二本の剣が登場するこの「儀礼」は、ドイツには遡らず、(もし存在したとしても)北欧独自のものであった可能性が高い、ということだけは言えそうである。


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2006/02/09:フォルダ構成の変更ついでに体裁を修正
2007/06/15:「表記」欄を追加、「主な出典」欄など細部を修正
2008/12/30:本文に加筆、考察を大幅に改訂、おまけは削除(一部は「グラム」のページへ移管)
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