分類 | 名剣 |
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表記 | ◇アルマス(井上, 坂, 有永, 神沢ほか), ◇アルマッス(佐藤), ◇アルマース(有永1970, 神沢), ◇アルミュス(小川) ◇Almace(有永1970), ◇Almuce(小川) |
◇Almace(O v.2089), ◇Almuce(V4), ◇Almicem(K), ◇Almice(C, V7) | |
語意・語源 | ?? |
系統 | シャルルマーニュ伝説 |
主な出典 | ◇『ロランの歌』 (La Chanson de Roland)
中世フランスの叙事詩を代表する武勲詩(現存するのは凡そ83篇)の中でも、最も代表的な傑作で、フランス文学史全体の中でも最も古い作品の一つ。皇帝シャルルマーニュの家臣として勇名を馳せた名将ロラン伯と、スペインの地を統べる異教の王マルシルとの激烈な合戦をうたう。
最古の写本であるオクスフォード写本(オクスフォード大学付属ボドレイ図書館蔵)は1170年頃のものと推定され、原作は1100年頃のものと思われる。ただし、原作の年代決定にはなお異論も多く、古くて1000年ごろ、新しくて1158年という説がある。その物語の骨子をなすのは、シャルル大帝によるスペイン回教徒討伐の一挿話であって、778年8月15日、大帝の軍がスペインから帰還するに当たって、その後衛軍がピレネー西方の国境ロンスヴォーの峠で、その地方の住民バスク人の襲撃を受けて大損害を蒙った事件である。(有永) |
◇コンラート師 『ローラントの歌』 (Pfaffe Konrad, das Rolandslied, 1170頃)? | |
参考文献 |
◇井上勇, 昇曙夢編 『神話傳説大系 第九卷 佛蘭西・露西亞篇』 近代社, 1928.4 ◇井上勇編 『世界神話伝説大系26 フランスの伝説』 名著普及会, 1980.6(1928.4) ◇坂丈緒, 相良守峯訳 『世界文學全集古典篇 第三卷 中世敍事詩篇』 河出書房, 1952.5 ◇鈴木信太郎ほか訳 『世界文学大系65 中世文学集★』 筑摩書房, 1962.9 ◇佐藤輝夫ほか訳 『ローランの歌/狐物語 中世文学集 II 』 筑摩書房, 1986.10(1971.12) ◇有永弘人訳 『ロランの歌』 岩波書店, 1965.1 ◇佐藤輝夫 『ローランの歌と平家物語 前編』 中央公論社, 1973.3 ◇佐藤輝夫 『ローランの歌と平家物語 後編』 中央公論社, 1973.6 ◇鷲田哲夫 『世界の英雄伝説5 ローランの歌 フランスのシャルルマーニュ大帝物語』 筑摩書房, 1990.3 ◇新倉俊一, 神沢栄三, 天沢退二郎訳 『フランス中世文学集1 ―信仰と剣と―』 白水社, 1990.12 ◇原野昇編 『フランス中世文学を学ぶ人のために』 世界思想社, 2007.2 ◇有永弘人 「『ロランの歌』の注釈とその問題点(上)」 『東北大学文学部研究年報』第20号, 1970.8 ◇原野昇 「異文化接触としての『ロランの歌』」 (『フランス中世の文学』 広島大学出版会, 2005.3所収) ◇土肥由美 「ローラント―十二世紀ドイツの英雄像」(『剣と愛と 中世ロマニアの文学』 中世大学出版部, 2004.8所収) ◇小川直之 「サラディンを倒したイスラムの名剣マルグレ」 (『続 剣と愛と 中世ロマニアの文学』 中世大学出版部, 2006.11所収) |
アルマスは、ランスの大司教であり、フランス王シャルルマーニュ麾下の武将でもあるチュルパンの愛剣である。有永弘人によれば、(史上の)チュルパンは、Turpinus または Tylpinus ともいい、774年に教皇ハドリアヌス一世からパリオム(教皇下賜の綬)を贈られたランス Reims 大司教。789年と794年の間に死去したらしく、後継者の一人、Hincmar (845-882)の作った墓碑銘が現存するという。一方、武勲詩にたびたび登場するチュルパンは常に従軍の僧であり、スペイン遠征でも活躍、『カルル大王のサガ』では、十二臣将の一人にも数えられている※1(以上「『ロランの歌』の注釈とその問題点(上)」(1970)(以下「注釈」)p.189-190, 『ロランの歌』(1965)(以下「文庫」)後注p.252より)。
アルマスの名は、最古の写本オクスフォード本(O本)を訳出した有永弘人訳『ロランの歌』では、2089行にのみ登場する。戦いは既に終盤。オリヴィエもすでに亡く、フランス勢で生き残っているのは、ロランとチュルパン、それにリュムのゴーチエだけ。そのゴーチエも殺された後、
ランスのチュルパン、打ち落とされしを覚りしとき、
身体は矛四本に貫かれたれど、
さすがは勇将、逸早く身を起こして、立ち上り、
ロランを見きわめ、その許(もと)へ駈けより、
一言いう、「われ、負けしにあらず。
まことの勇士たるもの、生き身のままに降参はせじ。」
彼、刃金輝くおのが剣アルマスを抜き放ち、
密集せる大軍に分け入って、千回以上も討ちまくる。 (p.132, 156節2083行〜2090行)
重傷を負ったチュルパンは、ロランが戦場で集めたオリヴィエをはじめとする戦友の遺骸に罪障の消滅を宣して十字を切る。戦友、特にオリヴィエの死を見て気絶したロランに水を与えようと、チュルパンは象牙の角笛を持って小川を目指すが、幾らも行かないうちに力尽き、そのまま息絶える(2242行)。
こうして、フランス勢の生き残りはロランただ一人となるわけだが、12世紀の写本が伝えるラテン語の『偽テュルパン作年代記』では、彼自ら語るロンスヴォーの戦で最後まで生き残り、救援に到着したシャルルの前でミサを行ったという(注釈p.190)。なお、有永はアルマスの登場する2089行に次のように注している(注釈p.62)。
Il trait Almace, s'espee d'acer brun. チュルパンの愛剣の名は、V 4ではAlmuce, K ではAlmicem, CV 7ではAlmice等少しく綴りが異なる。ゴーチエによれば、この剣にも様々な伝説があるという。
文中の略号、V4、C、V7は、それぞれO本とは異なる『ロランの歌』の写本をあらわしている。「デュランダル」の項でやや詳しく紹介しているが、V4本とV7本はヴェネチアのマルキアナ図書館所蔵、C本はシャトールーの市立図書館所蔵で、C本とV7本とは非常に近い関係にあるという(ここでも綴りが同じなのはおそらくそのため)。また、Kは『ロランの歌』のドイツ語版で、1170年前後にコンラート師 Paffe Konrad によって書かれた『ローラントの歌』(das Rolandslied)のこと※2。全9094行で、4002行のO本の倍以上の長さを持つ。当時既に様々なヴァージョンの流布していた『ロランの歌』の、どのヴァージョンをコンラートが底本に使ったのかは、まだ明らかになっていないという(以上、『ローラントの歌』については土肥由美「ローラント」『剣と愛と 中世ロマニアの文学』(2004)所収による)。
なお、ゴーチエ(おそらくレオン・ゴーチエ Léon Gautier)の言う、この剣の「様々な伝説」というのが、何を指すのかは不明。要継続調査。
※1 : 「十二臣将」について、有永は「「臣将」と意訳した Per(Pairs)はもと「対等の者」の意であり、幕僚を意味する」と注している(注釈p.196)。オクスフォード本『ロランの歌』では、ロラン、オリヴィエ、イヴォン、イヴォワール、オトン、ベランジエ、サンソン、アンセイス、ジェラン、ジェリエ、アンジュリエ、ルシヨンのジェラールの十二人。『カルル大王のサガ』では、アンセイスとジェラールに代わって、チュルパンとゴーチエが入り、『ロランの歌』の他の写本でも多少の異同が見られるという(文庫p.252-253、注釈p.196)。なお、「十二臣将」という訳語は、坂丈緒訳(1941?/1952)が使い、有永訳(1965)、神沢栄三訳(1990)もこれを踏襲している(『ロランの歌』の邦訳については下記「おまけ」を参照)。一方、佐藤輝夫訳(1962)は「十二人衆」と訳しており(p.10, ちくま文庫ではp.27)、鷲田哲夫訳(1990)は「十二勇将」としている(p.49)。いずれが正確な訳なのか、原文の読めない私には判断できないが、「十二臣将」は護法神の「十二神将」を思わせる語感で、悪くないと思う。
※2 : 有永の略記号の使い方は、冒頭の「はしがき」に載っているので、ここでのKがドイツ語の『ローラントの歌』を示すことは間違いない。その一方で、佐藤輝夫が引用するエビシェ(Paul Æbischer)は、Kの略記号をノルウェー本、すなわち、『カルル大帝のサガ』(「カルラマグナス・サーガ」)の原典となった写本(アングロ=ノルマン語で書かれていたと推定される)に当てている(『ローランの歌と平家物語 前編』1973, p.96)。佐藤は同書中でコンラッドの『ルオランデス・リイト』(『ローラントの歌』)を紹介する際、その略記号を示しておらず、同書における佐藤自身の略記号Kの用法は少々曖昧である。ただし、『世界文学大系65 中世文学集★』(1962)所収の佐藤輝夫訳「ローランの歌」「テキスト解題」には、「コンラッド『ルオランデス・リート』(Ruorlandus Liet)略号〔K〕」との記述がある。なお、O、V4、C、V7、P、L、Tなど、他の写本の略記号については、有永、佐藤、そして神沢も含め、その用法に食い違いはない。
先に『ロランの歌』のアルマス登場箇所を引用する際には、有永弘人の邦訳を使用したが、『ロランの歌』には、この他にも複数の邦訳が存在する。O本においてアルマスが登場するのは僅か一箇所であり、当該箇所の同定も容易なので、ここでは「おまけ」として、各邦訳のアルマス登場箇所を読み比べてみたい。
原野昇編『フランス中世文学を学ぶ人のために』(2007)所収の「フランス中世文学作品邦訳リスト」によれば、『ロランの歌』 La Chanson de Roland の邦訳は2007年の時点で少なくとも五つある。先に引用した岩波文庫の有永弘人訳に加え、戦前の坂丈緒訳、ちくま文庫に入っている佐藤輝夫訳、子ども向けに書かれた鷲田哲夫訳、最も新しい神沢栄三訳の五つである。ここでは、先に引用した有永訳を除き、井上勇による訳(再話)を加えた五つの訳を引用してコメントを付した。ただし、私自身はフランス語の原典を知っているわけではないので、訳の正しさについて検討する気はまったくないことを最初にお断りしておく。
テュルパンはと見れば、楯(たて)は裂(さ)け、鎧(よろひ)はつらぬかれ、身體(からだ)には四ヶ所までも投(な)げ槍(やり)をうけておりました、又、彼の乘つてゐる馬も、全身に矢傷(やきず)を受けて、血は河のやうにしたたり、やがてどつと横倒(よこだふ)しに倒れてしまひました。馬上のテュルパンも何條(なんでう)耐(たま)りませう。馬諸共(うまもろとも)に地上に投げ出されてしまひました。然しさすがは豪勇(がうゆう)の名の高いテュルパンの事なれば、直(ただ)ちに身體(からだ)を立て直し、ロオランのありかや、如何にと眼(め)で探(さ)ぐるや、重圍(ぢうゐ)を切り開いてひたすらにその方へと驅(か)けよりました。やがて友の傍(かたはら)まで辿(たど)りつくと、彼はたつた一言、
『わしはまだ生きてゐるぞ、これしきの事に力は落(おと)さぬ』とロオランを安心(あんしん)させるために、己れの身の傷手(いたで)も忘れて勵(はげ)ますのでありました。彼は血に染つた愛劔(あいけん)アルマスを引き拔いて、縱横無盡(じうわうむじん)に切りまくつて居りました。(p.161)
『ロランの歌』を日本に最初に紹介した文献が何なのか、私には十分に知識がないが、1928年に出版されたこの井上の邦訳(再話)が、かなり初期のものであることは間違いない。完全な散文訳になっているが、内容自体は有永訳とほぼ同一である。井上は冒頭で「成る丈け話の筋を追つて譯してみたい」(p.74)と述べているが、この部分に関しては、有永訳よりも叙述が詳しくなっている。物語の雰囲気に、旧字と旧仮名遣いがよく合っている、と感じるのは私だけだろうか。これで全篇読むのは大変かも知れないが。
ちなみに、この「シャルルマアヌ皇帝とロオランの傳説」を含む井上勇編「佛蘭西傳説集」は、1980年に名著普及会から、井上勇編『世界神話伝説大系26 フランスの伝説』として改訂版が出版されている。改訂にあたっては、旧字・旧仮名遣いをはじめとして表記がかなり直されているようで、この箇所は以下のようになっている。上記引用と比較していただきたい。
テュルパンはと見れば、盾は裂け、鎧は貫かれ、身体には四か所までも投げ槍を受けておりました。また、彼の乗っている馬も全身に矢傷を受けて血は河のようにしたたり、やがてどっと横倒しに倒れてしまいました。馬上のテュルパンも何条堪りましょう。馬もろともに地上に投げ出されてしまいました。しかし、さすがは豪勇の名の高いテュルパンのことなれば、直ちに身体を立て直し、ローランの在所やいかにと眼で探るや、重囲を切り開いてひたすらにその方へと駆け寄りました。やがて友の傍らまでたどりつくと、彼はたった一言、
「わしはまだ生きているぞ、これしきのことに力は落さぬ」
とローランを安心させるために、おのれの身の傷手(いたで)も忘れて励ますのでありました。彼は血に染まった愛剣アルマスを引き抜いて、縦横無尽に斬りまくっておりました。(p.147-148)
改訂後の方が確かに読みやすくなってはいるが、個人的には改訂前の方がしっくり来るような気がする。改訂版に何となく違和感を感じるのは、文章そのものは古いままなのに、表記のみ新しくしたからだろうか。古い葡萄酒は古い革袋に入れたままの方が良い、ということなのかも知れない。ちなみに、剣の名アルマスは変わっていないが、オリヴィエの剣オートクレールは、『神話傳説大系』では「オオトクレエル」、改訂版では「オートクレール」と、カナ表記が変化している。
ランスのテュルパンは、四本の槍をその身に受け、馬を倒されて地に落ちると見るや、忽ちにすっくと立ち直り、ロオランを認めてそのかたわらに走り寄り、ただ一言「愚僧は生きていますぞ。もののふは生ある限り、いっかな退くのことではござらぬ」と言いもあえず、名刀アルマスの氷の刃の鞘を拂って、ひしめく敵に走りかかり、當るをさいわい切り倒す。(p.45, 155節2083行〜)
『ロランの歌』の(節番号を明示したような)厳密な邦訳は、この坂丈緒訳がおそらく最初のものである(ただし訳注はない)。私が参照しているのは、河出書房刊の『世界文學全集』(1952)所収のものだが、その初出はアルス社から1941年に出版された『ロオランの歌―回教徒戦争』であるらしい(原野昇2007, p.xxii)。これは戦争文学会編『世界戦争文学全集』の第六巻(全二十五巻、ただし未完)として、大戦前夜の昭和16年1月に刊行されたもの。その出版の意味については、原野昇が「異文化接触としての『ロランの歌』」という論考中で言及しているので、興味のある方は参照していただきたい(『フランス中世の文学』(2005)所収, 初出は『中世ヨーロッパに見る異文化接触』渓水社, 2000)。
訳の内容で注目したいのは、アルマスに付された「氷の刃」という形容である。これはもちろん「氷で出来た剣」という意味ではない。『日本国語大辞典 第二版』で「こおりの刃(やいば)」を引くと、「氷のように冷たくとぎすました刃。氷の剣(つるぎ)。氷の利剣。*浄瑠璃・吉野都女楠(1710頃か)一「氷のやひば一文字、背骨をかけて引きまはせば」」とある(5巻p.510)。「こおりの剣(つるぎ)」では「俳諧・毛吹草(1638)」「浄瑠璃・国性爺合戦(1715)」「浄瑠璃・新うすゆき物語(1741)」が(同p.509)、「こおりの利剣(りけん)」では「浄瑠璃・用明天皇職人鑑(1705)」(同p.510)が用例として挙げられており、17〜18世紀から俳諧や浄瑠璃の世界で使われるようになった言葉であるらしいことが分かる※3。この表現はその後、佐藤訳を経て、最新の神沢訳にまで受け継がれることになる。
ランスのチュルパン、四本の槍を身に受けて、
不覚っ! と感じたれども、
さすがは勇士のことなれば、ただちにすっくと立ち上がり、
ローランはどこと見渡して、そのかたわらに駆け寄って、
「なんの! これしきでは参り申さぬ!
強者たるもの、生ある限り退きはいたさぬ!」と、
かく叫びざま、氷の刃アルマッスを引き抜いて
群がる敵陣に跳りこみ、打ち振うこと一千余度(たび)。 (p.51(文庫p.159), 155節2083行〜2090行)
『ロランの歌』について、日本語では2008年現在でも最も詳細な研究書と目される『ローランの歌と平家物語』(1973)の著者佐藤輝夫による邦訳。これは、ちくま文庫の『中世文学集 II 』(1986)に収録されているが、その巻末の注記に拠れば、1971年12月20日、筑摩書房より刊行した「筑摩世界文学大系10」収録のものであるという。ただし、その初出はさらに遡り、『世界文学大系65 中世文学集★』(1962)所収の「ローランの歌」であると思われる。訳注も付され、原典と行数まで一致させた邦訳は、これが最初のものだろう。
訳の内容を見ると、先に指摘したとおり「氷の刃」という坂訳で用いられた表現が、ここでも採用されている。また、剣の名に「アルマッス」というカタカナ表記を用いるのは佐藤のみの特徴。なお、「不覚!」を初めとして、感嘆符(!)の多用が目を引き、チュルパンの威勢の良さが強調されているように感じられる。井上訳や坂訳にはあった馬が倒される描写がないが、これは有永訳、後述の神沢訳と共通。馬の描写は井上や坂が補足的に加えたものなのかも知れない。
ランスのテュルパンは四本の矛で胴体を突き刺されたが、落馬に気づいた時、この勇士はすぐにふたたび立ち上がった。ローランはいずこと見渡して、彼のもとへ走り寄り、一言だけ言った、
「まだ敗れてはおらぬぞ、勇者たるもの、生きておるかぎり卑怯な真似はせぬわ」
刃がにぶく光る愛剣アルマスを抜きはなち、彼は押し寄せる敵の大軍に千回以上も斬りこんだのである。(p.132)
子ども向けのシリーズ本『世界の英雄伝説』所収の邦訳(再話)。訳注はなく、後半のバリガンエピソードは削られているが、アルマスの登場部分については、有永訳や佐藤訳とほぼ同様の内容を語っている。なお、訳者の鷲田は、佐藤輝夫の著書『ローランの歌と平家物語』(1973)でO本・V4本の比較及び索引の作成を手伝っている(同書後編「あとがき」, p.491-492)。また、鷲田は「おわりに」で、佐藤輝夫を「恩師」と呼んでいるので、佐藤の弟子なのだろう。ただ、その語り方は佐藤とは随分異なり、剣の形容「刃がにぶく光る」も、むしろ有永訳の「刃金輝く」に近いものがある。
一方、鷲田は、主人公であり、歌のタイトルにもなっている「ローラン」の表記について、「おわりに」で「《Roland》というフランス語の表記については、最初は、発音通りに「ロラン」とし、学会でもそれが通用していますが、構成の段階で、中学や高校の教科書をはじめとして「ローラン」の表記がすでにわが国に定着しているとのご指摘があり、また筆者自身の日本語の語感としても「ローラン」の方が英雄として強そうな感じがするので、「ローラン」の表記の方を採用しました」と書いている(p.216)。ここから、鷲田が同書の読者として、中高生を想定しているらしいことが分かるが、「「ローラン」の方が英雄として強そう」というのは面白い。私自身は最初に読んだのが有永の『ロランの歌』だったので、「ロラン」で違和感がなく、このサイトでも基本的に「ロラン」と表記しているが、鷲田には恩師佐藤の『ローランの歌と平家物語』が念頭にあったのかも知れない。
なお、鷲田のこの本は、『ロランの歌』以外のシャルルとロランに関する中世の文献にも多くの頁をさいている。子ども向けとは言いながら、日本語では同書でしか触れ得ない内容もあると思われ、個人的にはとても重宝している。
ランスのテュルパン、四本の槍を身に受けて
深傷とは覚えたれど、
さすがは剛の者なればすっくと立ち、
ロランの方を見やり、その傍に馳せ来たりて、
一言声をかけて曰く、「それがし、負けてはおらぬぞ、
めでたき勇者は生ある限り降参などとは申すまじ」
かくて大司教玉散るばかりの氷の刃アルマスを抜き放ち、
群がる敵に分け入って刃を振ること千余度。 (p.88, 155節2083行〜2090行)
鷲田訳とは一年も違わないが、2008年現在、おそらく最も新しい『ロランの歌』の邦訳である(鷲田訳は3月5日、こちらは12月20日付の発行)。神沢はその解説の中で「現代の日本の読者に対して日常の世界から幾重にも距離を置いた『ロランの歌』を多少ともその距離を意識させ、しかも朗唱に堪えうるようにするには、その語彙・文体を日本の古典特に軍記物語の世界に求めざるをえなかった」(p.530-531)と述べているが、その言葉通り、文体自体は井上訳よりもさらに古風である。
また「氷の刃」という訳語がここでも採用されているが、さらに「玉散るばかりの」との表現が加えられている。先ほどと同様、「たま散(ち)る」で『日本国語大辞典 第二版』を引いてみよう。そこには二つの意味が載っているがここで該当するのはその二つ目、「刀剣の刃が光りきらめくさまにいう」の方である(8巻p.1092)。用例としては「*信長記(1622)一上・光源院殿御さいごの事「得たり賢しと三条吉則、二尺五寸、ぬけば玉ちるはかりなるをもって、和泉が細頸露もためず打落し」*浄瑠璃・嫗山姥(1712頃)一「喜之介鞘口抜き見れば氷の焼刃玉ちるばかり」*読本・椿説弓張月(1807-11)残・六〇回「抜けば玉散(タマチ)る秋の霜、消にし後も子をおもふ親の形見の有がたさ」」とある(同p.1092-93)。神沢の目指した「日常から距離を置くこと」と「朗唱に堪えること」との両立に、浄瑠璃や読本で使われた「玉散る」や「氷の刃」は、好都合な言い回しだったのだろう。坂訳で使われた「氷の刃」は、周囲に一層馴染む形で、神沢訳にも大いに生かされたわけである。
最後に剣名のカタカナ表記について一言。神沢を含めた大部分の訳者が本文中では「アルマス」としているが、別の表記を採用している場合もある。佐藤が「アルマッス」と表記していることはすでに述べたが、神沢も27節346行にある、ガヌロンの剣ミュルグレスに付けた後注で次のように述べている(p.142, なお、引用文中の「以ている」は原文ママ)。
武勲詩の登場人物の佩刀は名前を以ていることが多かった。ロランのそれはデュランダル、オリヴィエのものはオートクレール、テュルパンのアルマース、シャルル王のジョワイユーズ、バリガンはプレシューズを持っていた。
この「アルマース」というカナ表記、実は有永も使っている。文庫(1965)には見えないが、「『ロランの歌』の注釈とその問題点(上)」(1970)の346行に付けた注釈、つまり神沢と同じ箇所に対する注釈で使用しているのである。その全文は以下の通り(p.201)。
武勲詩の英雄は好んで剣に名をつける。後出のように、ロランの名剣はデュランダル Durendal, オリヴィエのはオートクレール Hauteclaire, チュルパンのはアルマース Almace, シャルル大帝のはジョワイユーズ Joyeuse, バリガンのはプレシューズ Précieuse といった。剣が一個の人格を持つほど騎士生活に重要な意味を持ったことは洋の東西を問わない。当代のフランスの剣は、十一、二世紀の印章によってみれば、直刀で、わが奈良朝以前のもののように双刃であった。なお他の武器にも命名されたものがあり、バリガンの矛はマルテ Maltet といった。
有永が何故ここにだけ「アルマース」というカナ表記を使用したのかは分からない。しかし、神沢の方は、この有永の注釈を参照していたために、これに引きずられたのではないだろうか。ちなみに、さらに他のカナ表記の例として、小川直之の論文中に出てくる「戦う大司教テュルパン Turpin」の「アルミュス Almuce」がある(「サラディンを倒したイスラムの名剣マルグレ」『続 剣と愛と』(2006)所収, p.149)。"Almuce"は、すでに引用した有永の注釈によれば、V4写本の綴りである。小川はこれに依拠したのだろう。
※3 : ちなみに、私自身は「抜けば玉散る氷の刃」という言葉を一続きの決まり文句として憶えていたのだが、その記憶が何に拠るのかは思い出せない。googleに聞いてみたところ、ガマの油売りの口上に出てくるというので、室町京之介著『香具師口上集』(創拓社, 1982.11)を参照してみた。同書には「正調伊吹山のガマの油」と「落語のガマの油」の二つが紹介されているが、「抜けば〜」の文句はいずれにも見えず。続いて、興津要編『古典落語』(講談社, 2002.12)所収の「がまの油」を見ると、こちらには登場していた。「ごらんのとおり、ぬけば玉散る氷の刃だ、お立ちあい」(p.354)。何処で聞き覚えたのかは分からないが、落語か時代劇か、まあ、そんなところだろう。
筆者が『ロランの歌』の和訳を岩波文庫から出した際、後注はやむをえず最少量にとどめなければならなかったのは、文庫の性質上という理由にもとづく書店の希望を容れたためであった。(中略)
このようにして他日を期すことにしていた筆者であるから、いま機会を得て、もともと必要不可欠と思われていた注釈を復活し、さらに、問題点の指摘のための筆を補うことができるのを幸いと思う次第である。
私はこれを読んで驚き、そして感動したのである。そこに、研究者の誠実さみたいなものを感じたからだ。これを、自己満足的なこだわり、と見る人もいるかも知れないが、喜んでいる人間が、少なくともここに一人(=私)はいるわけで、決して自己満足には終わっていない。そして、こういう詳しい注釈があることを、もっと多くの人に知ってもらいたいし、有永氏もそう思っているはずだ、との思いから、極力これを紹介するように努めたのである。
この『ロランの歌』のように原典を引用するとき、私はためらわずに他人の訳を引用する。自分で訳した方が、その作品に対する理解が深まるのは間違いないが、私の能力では到底無理だからである。ただ、理由はそれだけではなく、研究者の訳の方が、素人の訳より読者にとって有用だと思うし、ある研究者の訳を引用することは、その訳業を顕彰する意味がある、と信じるからでもある。研究論文の価値評価の基準の一つに、どれだけ多く引用されたか、というのがある。もちろん、こんな辺疆の一サイトが引用したところで、その訳の価値の向上には結びつかないだろう。しかし、「この人が訳している」ということを宣伝することは出来るし、多くの人の目には触れにくい、大学の紀要に書いた注釈を紹介することくらいは出来る。
とはいえ、著作権を無視する気は毛頭無いので、「引用が主」にならないように気を遣ってもいる。このサイトの前身は、私がごく個人的に一太郎で作っていた覚え書きなのだが、それは、原典その他からの引用をメインにしたものだった。しかし、それでは著作権法の言う「引用」に該当しない可能性が高いので、一応公開するにあたって体裁を「研究」という形にし、考察やネット検索、おまけ、といった内容を増やして、文章全体に対する文献引用の割合を減らすようにしたのである。そういう意味では、このページのおまけは逆効果なのだが、まあ、有永氏以外の『ロランの歌』翻訳者の訳業を顕彰する、という意味にとっていただければと思う。私自身は現代英語すらロクに読めないので、他の時代・他の言語の文学その他を邦訳してくれる研究者の方々にとても感謝している。他の分野もそうだが、フランス中世の武勲詩も、日本でもう少しメジャーになり、いつか『ロランの歌』以外のものも邦訳してもらえるようになることを、切に願っている。
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