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デュランダル(Durendal

分類聖剣
表記◇デュランダル(坂, 有永, 佐藤ほか), ◇ドゥレンダルト(寺田), ◇デュランダルテ(福井)
◇Durendal(有永1970, 小川), ◇Durandal(佐藤1973), ◇Durendhal(新倉)
◇Durendal(O v.926, 1462, 2143, 2304, 2316, 2344), ◇Durandal(C v.4122, T v.1998), ◇Durendar(V4 v.724), ◇Durindard(V4 v.1435), ◇Durindarda(V4 v.2455)
語意・語源不明(有永)
系統シャルルマーニュ伝説
主な出典◇『ロランの歌』 (La Chanson de Roland
中世フランスの叙事詩を代表する武勲詩(現存するのは凡そ83篇)の中でも、最も代表的な傑作で、フランス文学史全体の中でも最も古い作品の一つ。皇帝シャルルマーニュの家臣として勇名を馳せた名将ロラン伯と、スペインの地を統べる異教の王マルシルとの激烈な合戦をうたう。 最古の写本であるオクスフォード写本(オクスフォード大学付属ボドレイ図書館蔵)は1170年頃のものと推定され、原作は1100年頃のものと思われる。ただし、原作の年代決定にはなお異論も多く、古くて1000年ごろ、新しくて1158年という説がある。その物語の骨子をなすのは、シャルル大帝によるスペイン回教徒討伐の一挿話であって、778年8月15日、大帝の軍がスペインから帰還するに当たって、その後衛軍がピレネー西方の国境ロンスヴォーの峠で、その地方の住民バスク人の襲撃を受けて大損害を蒙った事件である。(有永)
◇『アスプルモンテの歌』(Chanson d'Aspremont, 1190頃
◇『ロンセスバリェスの歌』 (Roncesvalles, 1200-1300頃)
◇『カルル大王のサガ』(Karlamagnussaga, 1240-50頃)?
◇『カルル大帝伝』(1250頃)?
◇『ロンサスヴァルス』(1300-1400頃)?
◇クレチアン・ド・トロワ 『イヴァンまたは獅子の騎士』 (Chrétien de Troyes, Yvain ou Le chevalier au lion, 1177-81頃)
◇ハインリヒ・フォン・フェルデケ 『エネイーデ』 (Heinrich von Veldeke, Eneide, 1185頃)?
参考文献 ◇坂丈緒, 相良守峯訳 『世界文學全集古典篇 第三卷 中世敍事詩篇』 河出書房, 1952.5
◇佐藤輝夫ほか訳 『ローランの歌/狐物語 中世文学集 II 』 筑摩書房, 1986.10(1971.12)
◇有永弘人訳 『ロランの歌』 岩波書店, 1965.1
◇佐藤輝夫 『ローランの歌と平家物語 前編』 中央公論社, 1973.3
◇佐藤輝夫 『ローランの歌と平家物語 後編』 中央公論社, 1973.6
◇鷲田哲夫 『世界の英雄伝説5 ローランの歌 フランスのシャルルマーニュ大帝物語』 筑摩書房, 1990.3
◇菊池淑子 『クレティアン・ド・トロワ『獅子の騎士』―フランスのアーサー王物語―』 平凡社, 1994.11
◇新倉俊一, 神沢栄三, 天沢退二郎訳 『フランス中世文学集4 ―奇蹟と愛と―』 白水社, 1996.4
◇学校法人 上智学院 新カトリック大事典編纂委員会編 『新カトリック事典 第1巻〜第3巻』 研究社, 1996.6-
◇馬杉宗夫 『ゴシック美術―サン・ドニからの旅立ち』 八坂書房, 2003.10
◇有永弘人 「『ロランの歌』の注釈とその問題点(上)」 『東北大学文学部研究年報』第20号, 1970.8
◇有永弘人 「『ロランの歌』の注釈とその問題点(下)」 『東北大学文学部研究年報』第21号, 1972.2
◇寺田龍男 「火を吹くディートリヒ―ディートリヒ・フォン・ベルン研究序説―」 『ノルデン』29号, 1992.11
◇新倉俊一 「剣―伴侶そして分かつもの―」 (『フランス中世断章―愛の誕生―』 岩波書店, 1993.2所収
◇土肥由美 「ローラント―十二世紀ドイツの英雄像」(『剣と愛と 中世ロマニアの文学』 中世大学出版部, 2004.8所収)
◇福井千春 「ロンスヴォーの南へ」(『剣と愛と 中世ロマニアの文学』 中世大学出版部, 2004.8所収)
◇小川直之 「サラディンを倒したイスラムの名剣マルグレ」 (『続 剣と愛と 中世ロマニアの文学』 中世大学出版部, 2006.11所収) )


◆勇将ロランの愛剣

デュランダルは、フランス王シャルルマーニュの甥にして、シャルル十二臣将の一人、勇将ロラン Rollant の愛剣である。『ロランの歌』によれば、主人公ロランはシャルルの妹の息子で、ロランの父の死後、母はガヌロンと再婚している。エギンハルトの『カロロ大帝伝』(Eginhard : Vita Karoli Magni imperatoris.)は、シャルルの軍がピレネー山脈を越える途中、バスク人の襲撃にあって殺された人物の一人として、ブルターニュ辺疆候ロラン(フロドランデュス Hruolandus)を挙げている。しかし、歴史史料からそれ以上のことは分からず、実際のロランはシャルルよりも年長であり、甥でもなかったとも言われる(以上、有永弘人「『ロランの歌』の注釈とその問題点(上)」(1970)p.184, 佐藤輝夫『ローランの歌と平家物語 前篇』(1973)p.250(以下前篇を1973a、後篇を1973bと表記))。

デュランダルの名は、オクスフォード写本(O本)を訳出した有永弘人訳『ロランの歌』(1965)では、926、988、1055、1065、1079、1120、1324、1339、1462、1540(O本では1583)、1870、2143、2264、2304、2316、2344、2780の各行に見ることが出来る。これらのうちから数箇所を以下に挙げてみよう(引用文中の( )は原文にあるルビを示す)。

この剣を見よ、見事ならずや、長からずや。
デュランダルに向かって、これを切り結ばん。
  (75節925〜26行:異教徒トルトローズのチュルジスの台詞。デュランダル初出)

むしろこのまま、デュランダルもて大いに戦わん。
焼刃(やいば)は、〔柄(つか)の〕黄金まで、血ぬられん。
  (84節1055〜56行:ロランとオリヴィエ、角笛を吹くか否かで口論)

君、その槍もて戦え、われはデュランダルもて。
このわが名剣、これ、王の賜いしもの。
われもし死なば、これを手にせん者、いうならん、
さすがは、勇将の剣(つるぎ)なりきと!
  (89節1120〜23行:ロラン、戦闘開始直前のオリヴィエへの台詞)

デュランダルの初出は926行目。開戦前、マルシルの前でその意気込みを語る伯爵、トルトローズのチュルジスの台詞である。数節後、ミュニーグルのシェルニュブルにも「この剣もて、デュランダルを奪い取らん」(79節988行)との台詞があり、その名が異教徒勢にも知れ渡っていたことが分かる(もちろん『歌』の中での話だが)。1056行目は、デュランダルの形状・材質に言及している数少ない詩行。その柄には黄金が使われていたらしい。また、1121行目からは、この剣がシャルル王からロランに下賜されたものであることが分かる。これら、デュランダルの物質的特徴や伝来については、173節・174節でより詳しく語られているので、次節で取り上げることにしよう。

ちなみに、他の写本では、殿軍に就く前に武具に身を固めるロランの姿が描かれる場面で、すでにデュランダルの名が登場している(佐藤1973a, p.219)。以下に、佐藤輝夫が和訳・引用している、ヴェネチアのマルキアナ図書館所蔵写本(所謂V4本)の当該箇所を引用したい。

曾て人の見しことなき見事なる鎧を着し、
強者にいともふさわしき兜の緒を締め、
黄金造りの束もてるデュランダルを腰に帯し、
花型描きたる楯を首(こうべ)に吊したり。 (58節722〜725行)

柄(束)はやはり黄金造りらしい。このV4本は、もとマントゥヴァのゴンザーグ家が所蔵していたもので、筆写年代は1360-69年頃とされる。その内容は、1行から3845行あたりまでは、O本の3681行あたりまでとほぼ同じ。3847行あたりから最後の6011行までの約2100行は、O本とはまったく別の、ナルボンヌ攻略について述べられているという(佐藤1973a, p.84-86)。


◆「折れもせず、こぼれもせず」

173節に至るまでのあらすじは次の通りである。味方の多くを失ったロランは、シャルルの軍を呼び戻すため、力の限り象牙の角笛を吹く。口は血に染まり、こめかみは破れる。その後も戦闘は続き、親友オリヴィエは倒れるが、シャルルの軍が戻ってくるのを高く響く喇叭の音で知った異教徒の軍は敗走を始める。戦場に残ったロランは、戦友の遺体を探し出し、大司教チュルパンはこれに祝福を与える。力尽きてチュルパンも事切れた後、死期の近づいたロランは、丘の上、見事な樹と大理石で作られた四つ標石がある場所で仰向けに倒れ、気絶する。すると、その様子をうかがっていた一人のサラセン人が、

ロランの身体と武具に手をかけ、
一言いう、「シャルルの甥は打ち敗かさる!
この剣、われ、アラビアに持ち去らん。」 (170節2280〜2282行)

しかし、剣が持ち去られるのに気がついたロランは、もう一方の手に持っていた象牙の角笛でこのサラセン人の兜を打ちすえ、その頭を打ち砕く。そして、自分の死後、愛剣デュランダルが敵の手に渡るのを嫌い、石に斬りつけてうち砕こうとするのである。この172節から174節にかけての部分には、先に述べた通り、デュランダルの伝来等々、興味深い内容を多く含むので、少々長いが省略なしで引用させていただく。

ロラン、視覚を失いしを感ず。
力の限りふみしめて、両足にて立つ。
顔は生色を失なえり。
彼の前に、黒ずめる石一つあり。
悲しみと恨みをこめて、そこに十度斬りつく。
刃金きしめり、折れもせず、こぼれもせず。
「ああ!」と伯はいう、「聖母マリアよ、御力を!
やよ! デュランダルよ、愛剣よ、汝(なれ)まことにいたまし!
この身棄つる今となりては、もはや汝のこと案ぜず。
幾多の戦、汝によりて戦場に制し、
幾多の土地を広々と戦いとれり。
みな、髯白きシャルルの領せらるる地なり!
人の前より遁れん者、ゆめ、汝を手にせざるよう!
いともめでたき勇士こそ、汝を長らく手にはせる!
祝宥されしフランスにも、かかる剣はまたとなからん。」 (172節2297〜2311行)

ロラン、縞大理石の標石に斬りつく。
刃金きしめり、折れもせず、こぼれもせず。
到底折ること叶わじと見てとるや、
ロランは心中ひそかに、剣を憐れむ、
「やよ! デュランダルよ、汝(なれ)はいかに美しく、清らに白きことぞ!
陽に映えて、汝はかくも輝く、炎と燃ゆ!
シャルルかつて、モリエーヌの谷にありき。
ときに、神、天より、天使によりて王に伝う、
王、汝を勇敢なる隊長の伯に与うべしと。
かくて心床しき大王は、汝をわれに佩かせたり。
われ汝によりて、王のためアンジューとブルターニュを征し、
汝によりて、ポワトゥーとメーヌを征し、
また、気高きノルマンディーを征服せり。
また、プロヴァンスとアキテーヌを征し、
ロンバルジアとロマニア全土を征せり。
われ、汝により、バヴァリアとフランドル全州と、
ブルゴーニュとプイヤニー全土を征せり。
臣従を王に誓いたるコンスタンチノプルも。
また、サクソニアにては、王は欲する所を行なう。
われ、汝によりてそれを征す。スコットランドも、〔アイルランドも〕、
またイギリスも。王、これを直領と考う。
汝によりて王のため、かくも多くの国々、土地を獲たり。
髯白きシャルル、みなそれを領す。
この剣のため、われ、悲しみと苦しみあり。
これを異教徒の手中に委ねんより、むしろわれ死なん!
父なる神よ、フランスにこの恥与えざらんことを!」 (173節2312〜2337行)

ロラン、黒ずみたる石をめがけて斬りつけたり。
わが諸氏に語るよりなお数多たび、打ち下ろしぬ。
剣はきしりぬ、こぼれもせず、折れもせず。
天に向かいて、宙に跳ね上る。
伯、ついに折り得ずと見てとるや、
心中ひそかに、いとやさしげに、これを憐れむ、
「やよ! デュランダルよ、いかに汝(なれ)は美しく、聖なるや!
その黄金の柄の中、聖遺物あまたあり。
聖者ペトロの歯あり、聖者バジルの血あり、
わが殿たる聖者ドゥニの毛髪あり、
聖母マリアの衣片あり。
異教徒ら、汝をわがものにするは無法なり。
汝は、キリスト教徒によりて奉仕さるべきなり。
卑怯行なう者、汝を持つことなかれ!
汝によりて、われいと広き土地を獲得したり。
みな白髯花と咲くシャルルの領する地なり。
さればこそ皇帝は、勇将なり、権勢あり。」 (174節2338〜2354行)

どんなに斬りつけてもデュランダルは刃こぼれ一つしないのである。なお、この時、斬りつけられた石の末路については、12世紀にラテン語で書かれた『チュルパンの偽書』※123章に「岩ハ頂キヨリ根元マデ真ッ二ツトナリテ、シカモ双刃ノ剣は刃コボレナク引キ抜カレヌ」とあるという(佐藤訳『ローランの歌』脚注p.177)。

※1 : これは文字通り、『ロランの歌』にも登場する大司教チュルパンの作に擬されている文献で、佐藤によれば、「これの第二部すなわち第二十一章から第二十六章までの間に、ロンスヴォーの戦さとローランおよび殿軍の戦死が語られ、第二十七章で戦死者の納棺のことが、そして第二十八章と第二十九章に、その埋葬が語られている」という(佐藤1973前編, p.96-97)。なお、その呼称は諸書によって様々で、有永は『偽テュルパン作年代記』と呼んでいるが(有永1970, p.173)、佐藤の『ローランの歌と平家物語』(1973)では、これを「偽称チュルパンの記録」(Chronique de Turpin)と呼び、「カロロ大帝並びにローランの物語」(Historia Caroli Magni et Rotlandi)という別名でも呼ばれるとする(1973a, p.96)。また、土肥由美によれば、『偽チュルパン年代記』 “Chronique de Pseudo-Turpin” は、『聖ヤコブの書(“Liber Sancti jacobi”)・第四の書』の別名だという(「ローラント」『剣と愛と』(2004)p.183)。


◆天使から?それとも異教徒から?

さて、先の引用箇所で語られたデュランダルに関する諸々について、簡単に振り返っておきたい。まずは伝来から。173節2318〜2321行によれば、デュランダルはモリエーヌの谷で、「勇敢なる隊長の伯に与うべし」と、神、天使からシャルルが賜ったものであり、シャルルがロランに下賜したものだというのである。有永によれば、このモリエーヌの谷とは、「恐らくサヴォワ地方のモリエーヌ渓谷 Maurienne を指すと思われる」という(有永1972, p.69)。

また、鷲田哲夫によれば、『ロランの歌』と同様の筋立てを持つドイツの『カルル大帝伝』(13世紀前半)にもこれと同様の記述がある。『カルル大帝伝』は、「天使たちがみごとな剣と角笛をローランに授け、キリスト教徒解放の使命を果たすようにシャルル大帝のところへやってくるシーンで始ま」り、「天使たちは、シャルル大帝が征服しなければならない国々の名前を数えあげ、それから、名剣デュランダルが不敗であることや、角笛オリファンが異教徒軍の戦意を失わせ退却させるためのものであることを説明」するというのである(『世界の英雄伝説5』(1990)p.207-208)。鷲田によれば、「名剣デュランダルの由来は『カルル大帝伝』や『ローランの歌』よりはるかに古く、九世紀後半にマインツの聖職者がラテン語で書いた『シャルル大帝の夢物語』や、さらにそれ以前の作家ラバン・モールやエジンハルドにさかのぼるものと考えられ」るという。

一方、デュランダル初出の926行に、訳者有永は詳しい後注を付けているが、これとほぼ同じで僅かに詳しい注釈が「『ロランの歌』の注釈とその問題点(上)」(1970, p.233)にも見える。そこに伝来に関する記述も見られるので、まずはその全文を引用しよう。

A Durendal jo la metrai encuntre. ロランの愛剣の名であるが、その意味は不明。(他の武将の剣の名は普通名詞の意味を保つ。)異教徒の武将の口から初めて紹介されるこの名前も、『カルル大王のサガ』 Karlamagnus Saga その他十篇以上の武勲詩に歌われ、鍛工の名作として工匠の名前もそれぞれ取り上げられている。また誰からどこで伝えられたのかの由緒伝来も明らかにされる(二三一八行参照)。また『アスプルモンの歌』はこの名剣の獲得を主題としている。『ロランの歌』では二三二二行以下に、この名剣によって獲得された領土の列挙(一七三節)がある。『歌』で特に有名な指摘は、一七四節に語られるような奇蹟的伝説で、シャルトル本寺の焼絵硝子(十三世紀のもの)に不朽の姿をとどめる。ヴェローナ本寺のロラン像(十二世紀後半)が、楯と共に捧げ持つ剣には、DV RIN DAR DA の文字が彫りつけてあるが、これは像より後代のもの(ゴーチエによる)。(p.233)

鷲田哲夫によれば、『アスプルモンの歌』は12世紀末にシシリー島からカラブリア地方で作られた武勲詩である。第三次十字軍のため、1190年から1191年の冬にかけてシシリー島に滞在していた、フランス国王フィリップ・オーギュストとイギリスの獅子心王リチャードの軍隊の士気を高め、気晴らしのために作られたものらしい。そこには、「若きローランが異教徒王オーモンから名剣デュランダルを手に入れたいきさつや、シャルル大帝によるローランの騎士叙任、教皇ミロンによる祝福、異教徒に対する大規模な戦争などが描かれて」いるという(鷲田1990, p.22)。小川直之も、『アスプルモンテの歌』 Chanson d'Aspremont から、ロランがイスラムの勇者オモン Aumont からデュランダルを得るという挿話を紹介している。また、小川によれば、「デュランダルを打った名匠ガラン Galant は武勲詩のあちこちに名前が引かれる名匠である」という(「サラディンを倒したイスラムの名剣マルグレ」『続 剣と愛と』(2006)所収, p.149)。


◆四つの聖遺物

続く174節2345〜2348行からは、デュランダルの黄金の柄の中に、聖ペトロの歯、聖バジルの血、聖ドゥニの毛髪、聖母マリアの衣片という四つの聖遺物が入っていたことが分かる。佐藤輝夫訳『ローランの歌』(1986)の脚注によれば、「剣の柄の中に聖遺物を納める風習は当時の現実の社会においてもおこなわれていた」という(p.177)。ここに登場する四つの聖遺物、四人の聖人のうち、イエス・キリストの母親である聖母マリア、イエスの弟子で十二使徒の一人、初代のローマ教皇ともみなされる聖ペトロ(ペテロ)については著名なので詳述は避けるが、残る二人については説明が必要だろう。

まずは聖ドゥニから。これは、フランスの守護聖人、パリのディオニシウス(Dionysius, ?-258)のこと。初代のパリ司教で、サン・ドニ(Saint Denis)とも呼ばれる。トゥールのグレゴリウス(538頃-594頃)によれば、3世紀の中頃、ローマ教皇ファビアヌスによってガリアに派遣された七人のうちの一人で、250年頃にパリで首を切られて殉教したという。しかし、9世紀にサン・ドニ修道院長イルデュアンの書いた『聖ドニの物語』の中で、1世紀に生きたアテネ最初の司教アレオパゴスのデオヌシオ(フランス語読みではドニ)、5世紀末から6世紀に生き、『天上の位階論』の著者とされる偽ディオニシウス・アレオパギタの二人と作為的に同一視され、その生涯は伝説化。殉教の場所は文献及び考古学的証拠などから現在のパリ北部、サン・ドニの地とされるが、パリのモンマルトルの丘で首を切られ、その首を持って歩いたという伝説も作られた。また、フランク王ダゴベールⅠ世は、サン・ドニの西にあるエピネーに宮殿を置き、サン・ドニ修道院聖堂を自らの墓所にしたという(以上、『新カトリック大事典 第3巻』(2002)「ディオニシウス〔パリの〕」の項(p.1117, 執筆は橋口倫介)、馬杉宗夫『ゴシック美術』(2003)p.32-41を参照)。

残る一人、聖バジルについては特定できないようで、佐藤訳の脚注には「聖バジールの名のもとに崇められている聖人が二十八人あり、その中のどの聖人の血がここで対象とされているかは不明である」とある(p.177-178)。また、有永は2346行に次のような注釈を付けている(有永1973, p.71)。

La dent seint Perre e del sanc seint Basilie. 殉教者として崇められるバジルに二人あり、Basile d'Ancyre と Basile d'Amassé であるが、ここはそのどちらでもなく、また最も有名な Basile de Césarée のことでもないようである。(このバジルは血を流したことはない。)Tavernier は、バジル崇拝とアンチオキアの勝利(一〇九八年)を結びつけるが、ベディエは、バジル崇拝が一〇四〇年以前からあったことを傍証によって主張する。その一〇四〇年の傍証というのは le Missel de Robert de Jumièges (『ジュミエージュのロベールのミサ典書』)のこと。(「固有名詞索引」)(p.71)

Tavernier(タヴェルニエ?)やベディエの言及するバジル崇拝のバジルは、おそらくは Basile de Césarée (カイサレイアのバシレイオス?)のこと。タヴェルニエは、1098年のアンティオキアの勝利によってカイサレイアのバシレイオスに対する崇敬が盛んになった、だから、1100年頃に書かれた『ロランの歌』に登場するこの聖バジルもカイサレイアのバシレイオス Basile de Césarée のことだ、と主張しているが、ベディエはこれに否定的、ということだろうか?(こちらの知識不足もあって、この理解で合っているのかちょっと自信がない) いずれにしても、結論は出ていないものと思われる。


◆角笛と剣のその後

話を剣に戻そう。オクスフォード本『ロランの歌』では、このデュランダルの挿話の後、ロランは「身体の下に、その剣と象牙の角笛を置き」(175節2359行)、緑の草の上に横たわる。そして、177節末から178節冒頭に至って、ついに臨終を迎えるのだが、剣のその後については十分な言及がない(有永1965)。ただし、ロランの角笛を聴いてロンスヴォーに帰ってきたシャルルは、バリガンの軍勢と戦闘するにあたって次のように命じている。

シャルルは、ラベルとギヌマンを呼び出す。
王、彼等にいう、「諸侯よ、われ、君らに命ず、
オリヴィエとロランの役目、交わりて執れ。
一人は剣を、一人は象牙の角笛を持ちて行け。
まっ先駆けて、馬を進めよ。
君らと共に、一万五千のフランス勢、従わん。
みな若武者にして、わが精鋭中の精鋭ぞ。
彼等のあとに、また同数の者あらん。
これは、ジボワンとギヌマン、指揮とらん。」 (p.188, 218節3014-25行)

佐藤は「この剣がデュランダルであり、角笛がオリファンであることは自ずからにして明らかなようである」としつつも、次のような疑念を表明している(1973b, p.302-303)

それにしても一旦ラベルに与えたオリファンをまた取戻して、「黄金、真黄金つめて」ボルドーのサン=スーランの御堂に寄進するというのもおかしなかことであり、ギヌマンに与えた剣についてはそれがどうなったのか、O本では何も書いていないのである。確かに二一七節の記述と二六七節の記述との間には矛盾めいたものがあり、バリガン・エピソードはやはりエピソードであって、O本の詩人が挿入したものであるかもしれない。

引用文中、「二一七節」とあるのは、すでに引用した218節のこと(有永訳と佐藤訳では節の番号が一つずれている)。オリファンのその後については、有永訳では、268節に次のような記述がある。

帝、〔音に聞こえし〕城市、ボルドーに来れり。
勇士たる聖者スーランの祭壇に、
黄金とマンゴン金貨満たしたる象牙の角笛を安置す。
そこを訪るる巡礼は、今もなおそれを見る。 (p.228-229, 268節3684-87行)

また、バリガン・エピソードとは、ロランの死後、シャルルが異教徒バリガンの軍勢に対して、いわば復讐戦を行ってこれを打ち破る、O本『ロランの歌』の末部の挿話を指す(鷲田がその著書で省略している部分である)。なお、有永によれば、『チュルパン年代記』には、ロンスヴォーの戦いの後、剣は角笛とともにブライユの聖ロマン寺(オクスフォード本でロラン、オリヴィエ、チュルパンが埋葬される場所)に祀られたとの挿話が載るという(有永1965, p.281(3685行聖者スーラン後注))。


◆世の終わりまで泉の底に

一方、オクスフォード本よりも後に成立した種々の写本や外国語で書かれたロンスヴォーの物語には、O本とは異なる挿話が語られている。これについても佐藤が邦訳を示しながら、その著書で取り上げている(1973b, p.303-309)。

まずは、ベリー州の首都シャトールーの市立図書館に保管されているシャトールー本(C本)と、〈manuscrit fr.7〉の番号を持ってヴェネチアのマルキアナ図書館に所蔵される所謂V7本である。前者は、北イタリアはマントヴァの領主ゴンザーグ家の、1407年の蔵書目録に記載されるもので、1300年頃の筆写と推定されているもの(佐藤1973a, p.61)。後者も、1408年のゴンザーグ写本目録に記されるもので、1340-60年の間の筆写と推定されているものである。両者はテキストに多少の異同はあるものの殆ど同一の内容を持っている。そのため、V7本はC本がいまだゴンザーグ家の所有であった頃にこれを模して作られたものとも、同一の親本を持つ別個のものとも考えられている(同p.86-87)。この両本には、折ることの叶わなかったデュランダルについて、次のような記述があるという(佐藤1973b, p.304-305)。

ローラン、これをうち毀つこと能わじと見るや、
半射程ばかり右手の方をうち眺め、
そこに泉を見出でたり。水赤色にして
猛毒にみちみちたり。
モーゼの昔このかた、神の造り給える人間にして、
もしこの水を飲みたれば、死せざる者なし。
毒気立ち昇りて、臭く、底深し。
ローラン、心憤ろしく且つ悲しく、そこに走り近寄りて、
あたりをうち眺むるに、人影なし。
デュランダルをしっかと握りしめ、
その中に投げ入れぬ、蓋し死既に彼を襲いたればなり。
この国の人たちのわれらに断言して申ししは、
書き物に詐りなくは、この剣、
現にいま、確かにこの泉の底にあり
また、世の終りまでそこにあるべしと。 (C本246節4113-27行)

ロランは猛毒の泉にデュランダルを投げ入れ、剣は今もそこにあるというのである。フランシスク・ミシェルがイギリス滞在中にケムブリッジのトリニティー・カレッジの図書館で発見したケムブリッジ本(T本)にもこれに近い記述がある(佐藤1973a, p.78/1973b, p.305)。この写本は、1672年にケムブリッジの僧会員スカッタグッド神学博士からトリニティー・カレッジに寄贈されたもので、16世紀初頭の筆写と推定されているものである(1973a, p.89-90)。

ローラン、その生命きわまりぬと悟りしとき、
燦めく刃のデュランダルを握りしめ、
流れのそばに駈けゆきて、
忿懣やるかたなげの公(デユツク)は、身をかがめ、
泥水の深きが中に、その剣を投げ入れぬ。
鋼の刃は水底に沈み終んぬ
まっ逆しまに、水に呑まれて。 (T本128節1997-2003行)

さらに、13世紀に古ノルド語・散文で書かれたシャルルマーニュの一代記『カルル大帝のサガ』(「カルラマグナス・サーガ」)には、O本とも、C本・V7本・T本とも異なる次のような記述がある(佐藤1973b, p.306)。『カルル大帝のサガ』は、その第八部に「ロンスヴォー戦さの歌」(Saga af Runzivale bardaga)を含み(n本)、その原拠として想定されているアングロ=ノルマン語の写本(K本)は、O本とほぼ同じ年代のものと考えられている(1973a, p.95-96)。

シャルルはロンスヴォーの戦場で、ロランの死を嘆き悲しむが、ネーム公の言葉でわれに帰る。そして、配下の騎士に命じて、ロランの遺骸からその剣を取り上げようとする。しかし、五人の騎士がそれぞれ一本ずつ指を起こそうとしても、剣をその手から引き離すことは不可能だった。王が生前のロランを思い出して再び悲しみに沈むと、ネームは再度、気を確かに持たれるようにと言葉をかける。

シャルルマーニュはその忠言に従って悲しみを振り捨て、どうすれば人々にローランの剣が取れるか、と言って尋ねた。「全能の神にむかって、このことにお手をお貸し下さるようお願いすることが、この場合わたくしには進言できる一番のことかと存ぜられます。さりながら、ローランの剣は、ローランと同等の強者でなければ引き離しえないということを、わたくしは予知しております」と。すると王シャルルマーニュは、長い間自分のために祈願し始めた。そして祈願を終わると、立ち上って、ローランの横たわっているところに出向いて、その剣に手をかけたが、剣はすぐ離れて王の前にあった。ここにおいて王は、ネーム太公の言が正しかったことがわかった。彼は聖体のはまっている柄を外して、刀身は岸から遠く離れた、はるかの水中に投げ入れた。何故ならローランの歿きのち、これを佩くに値するもののたれ一人ないことを知っていたからである。(p.306)

すなわち、デュランダルはロラン自身によってではなく、その死後に、シャルルによって水に投げ入れられたことになっているのである。しかも、聖遺物の込めらている柄の部分は外され、刀身のみが水中へと投じられている。このようなデュランダルの最期について、佐藤は次のように述べている(1973b, p.307)。

ところで北欧の「カルラマグナス・サーガ」の「ローランの歌」の部分は、O本とほぼ同じ内容を含んではいるが、O本よりやや古いと思われる別個の本を元にして翻訳されたものであるので、デュランダルの行方については、O本以前に既にこうした形でその行方が語られていたことがわかるのであって、O本にそのことが何ら誌されていないのは、何らの記述がこの時点における「ローランの歌」の中になかったのではなく、ベディエが述べているように、ここにないのは、「確かに筆記者の過失によるもので、ここかあるいは他の箇所で、一行乃至は数行を書き洩らしたのである」と考えるほかはないようである。

つまり、n本のこの挿話は、最古の写本O本にないからといって、必ずしも新しいとは言えないということである。ここで興味深いのは、アーサー王伝説に見られるエクスカリバーを水中へ投じるエピソードとの関係である。天沢退二郎は、仏語散文で書かれた流布本『アーサー王の死』邦訳の後注で次のように指摘している(『フランス中世文学集4』(1996)p.265)。

愛剣を湖水に投じる挿話についてフラピエは、これはジョフレにもワースにもラヤモンにもないこと、おそらくその材源は『ロランの歌』の失われたヴェルシヨンで、ドイツ語の『カルル大帝サガ』(第八枝篇)および『ランサスヴァルス』が種本としたものであろうとしている。ロンスヴォーへ戻ったシャルルマーニュだけが甥の手からデュランダルを取り外して、川へ(『サガ』)あるいは湖へ(『ランサスヴァルス』)投げ入れる、というのもロラン以後この剣を帯びるに値する人物は誰もいないからだというのである。

ここで、『ランサスヴァルス』と呼ばれているのは、有永が『ロンサスヴァルス』として言及しているプロヴァンス語の詩篇のことだろう。それは14世紀の唯一の写本で伝えられ、400行の欠行があるものの、残存部分1802行は、51の詩節に分けられているという(有永1970, p.173)。鷲田の著書にも「14世紀に書かれたオック語の叙事詩『ロンサスヴァルス』」に言及した箇所があるが(p.185)、詳しい記述はない。そのため、残念ながら今のところ、その記述内容を確認出来ていない。いずれにしても、この問題はいずれ、エクスカリバーの頁で詳しく取り扱うことにしたい。


◆"再び"異教徒のもとへ

剣の伝来及びその後に関しては、さらに別のバリエーションがある。パンプロナで発見された『ロンセスバリェスの歌』 Roncesvalles と呼ばれるわずか100行あまりの断片には、「デュランダルテ」の名でロルダネ(ロラン)の剣が登場しているのだが、ここに剣の伝来とその行方に関する記述が含まれているのである。この断片はスペイン語ナバラ方言で書かれ、メネンデス・ピダルによれば13世紀初頭、ジュール・オランによれば13世紀末の成立だという(福井千春「ロンスヴォーの南へ」(『剣と愛と』中央大学出版部, 2004所収))。剣が登場するのは、自身の甥ロルダネの死を嘆くカルロス(シャルルマーニュ)の独白の一節。福井千春の論考(前記2004)に含まれる邦訳から、当該箇所を引用しておく。

私が年端も行かぬ少年の頃、
わが祖国フランスの宝を探して歩き、
トレドに行って王ガラフレに仕えた。
王はこのデュランダルテを手に入れていた。
私はブライマンテを殺した時イスラム教徒からこれを奪った。
甥よ、お前がお前の手から誰にも渡さないと誓ってくれたので、
私はそれをお前に渡したのだ。
その剣は私がイスラムから奪ったが、お前が戻してしまった。
神よ許し給え、お前はそれ以上は出来なかったのだ。(p.205)

トレドの王ガラフレとの関係がやや不明瞭だが、上記の引用箇所から分かるのは、名剣デュランダルテ(デュランダル)が元はイスラム教徒のものだったこと、カルロスがこれを奪い、後に甥であるロルダネに与えたことである。そして、ロルダネの死後は、再びイスラム教徒に持ち去られてしまったらしい。

ロランの手に帰するまでの剣の伝来に関しては、天使→シャルル→ロランとするO本『ロランの歌』や『カルル大帝伝』とも、異教徒→ロランとする『アスプルモンの歌』とも異なり、両者の折衷とも言える、異教徒→シャルル→ロランという伝来過程が語られているわけである。また、剣のその後については、ロラン自身が水中に投げ入れたとするC本やT本とも、シャルルが投げ入れたとするn本とも異なり、異教徒に持ち去られたという。これは、O本のように水中に投じられる挿話が抜け落ちた後、異教徒からの入手の挿話が影響して生まれた新しい挿話なのかも知れない。

なお、『ロンセスバリェスの歌』の源泉については、メネンデス・ピダルがV4本との類似を指摘する一方、ジュール・オランは『偽チュルパン年代記』を直接の源泉としていると言う。また、カーモディ(Francis J. Carmody)は、スペイン独自の起源を主張していると言い、結論は出ていないらしい(福井2004, p.207)。


◆名剣の代名詞

デュランダルは、中世において相当の知名度を誇ったらしく、シャルルマーニュ伝説を主題としていない作品にも、その名がしばしば登場している。例えば、クレチアン・ド・トロワの作とされる現存するアーサー王物語五作品のうちの一つ、『イヴァンまたは獅子の騎士』(1177〜1181年頃)には、ロラン及びデュランダルに言及した箇所がある。物語の主人公である騎士イヴァンと町を襲った略奪者との戦闘の目撃者が、イヴァンを称える次の台詞である(引用は菊池淑子『クレティアン・ド・トロワ『獅子の騎士』』(1994)から)。

「ご覧なさい、なんてよく剣で戦うのでしょう。デュランダルを持ったローランだって、これほど大量のトルコ人を、ロンスヴォー(Roncevaux)でもスペインでも虐殺はしませんでしたよ!」(p.83)

また、寺田龍男によれば、ハインリヒ・フォン・フェルデケの宮廷叙事詩『エネイーデ』にも、オリヴィエの「アルテクレーレ」などとともに、ローラントの剣「ドゥレンダルト」(おそらくデュランダルのドイツ語訓み)が登場するという(「火を吹くディートリヒ―ディートリヒ・フォン・ベルン研究序説―」(1992)、「ナーゲルリング」のページも参照のこと)。以上、要継続調査。

※アリオストの『狂えるオルランド』については、後日追記予定。



〈ネット検索:「デュランダル」〉

◇調査日:2004/07/20
◇方法:Googleで、4,285,199,774ウェブページから検索
◇対象:ヒット数約 12,900 件、うち上位 100 件を集計

項目HIT内訳
実在の競走馬7675デュランダル牡。鹿毛。1999/05/25生まれ。父はサンデーサイレンス、母はサワヤカプリンセス。馬主吉田照哉、生産者社台ファーム。
デュランダル自作小説に登場する競走馬(上記の競走馬がモデル)。
コンピュータゲームに登場(剣以外)10デュランダル『ゼノサーガ エピソード1〜力への意志〜』(PS2・RPG・ナムコ・2002)に登場する何か(場所?船?)。
デュランダル『フロントミッション4』(PS2・SRPG・スクウェアエニックス・2003)に登場するEC陸上新戦術研究機関。
コンピュータゲームに登場(剣として)デュランダル『ファンタシースターオンライン』(DC/PC/GC/Xbox・RPG・ソニックチーム・2000-)に登場(剣:セイバー系)。
デュランダル『伝説のオウガバトル』(SFC・SRPG・クエスト・1993)に登場(古代天空人の暗黒剣)。
デュランダル『ファイアーエムブレム 封印の剣』(GBA・SRPG・Nintendo・2002)に登場(烈火の剣)※2
★本家「デュランダル」
ハンドルネームデュランダル結婚相手を探すサイトの男性会員。
その他ギルバート・デュランダル『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』(アニメ・MBS/TBS系・2004/10放送開始)に登場する男性キャラクター。一般市民からの信頼も厚い最高評議会議長…らしい。
BLU-107 Durandalフランスのマトラ社が開発、1977年に量産が開始された対滑走路用徹甲爆弾で、推進力を持った自由落下型爆弾。飛行場制圧ウエポンで、1991年の湾岸戦争時にフランス空軍のジャガー攻撃機部隊が初めて実戦運用した。
デュランダル『アーマード・コア ネクサス』(PS2・ACT・フロムソフトウェア・2004)のトライデント系の機体(アーマード・コアと呼ばれるメカ)につけられた名称(ただしゲーム上にこの名称が登場するわけではなく、サイト管理者による自作機の名称かと思われる)。
ページ消失で不明(ただし、競馬系サイトであることは確実なので、おそらく実在の競走馬デュランダルに関するページだったものと思われる)。
合計100

圧倒的多数をもって、ネット上で「デュランダル」といえば、サンデーサイレンスを父に、サワヤカプリンセスを母に持つ競走馬のことである。そう断言できる結果だ。写真つきのページもかなりの数にのぼり、おかげで他の武具に比べて随分と調査が楽だった。私の友人にも競馬好きがいるので、この馬を知らなかったわけではないのだが、ここまで差をつけて一位になるとは思わず、競馬関連サイトの多さを痛感した次第。

この集計結果の興味深いところは、剣の名称として「デュランダル」を利用している場合の少なさである。『ゼノサーガ』や『フロントミッション』、『ガンダムSEED』が、この名前を剣以外のモノにつけている。思うにこれは、「デュランダル」が、聖剣「エクスカリバー」と比べて知名度が低く、剣以外の名前に転用しても違和感の少ないことが原因ではないだろうか。伝説上のデュランダルを扱ったサイトが、たった二つしかヒットしなかったことがそれを裏付けているような気がする。

ちなみに、もう一つ個人的に面白いと思ったのは、『伝説のオウガバトル』がこの剣を「暗黒剣」としていることである。キリスト教というものを特別「神聖」と感じない?我々日本人から見ると、『ロランの歌』に登場するこの剣を「聖剣」とする理由は確かにない(ような気がする)。「聖剣」はやはり「エクスカリバー」なのだ。フランスの人々は、この剣のことをどう思っているのだろう? 対滑走路用徹甲爆弾に「デュランダル」と名づけた本国フランスの人々は。

※2 : ヒットしたのは「ジェネラルにはアルマーズを、遊牧騎兵にはデュランダルを、花には風を」というタイトルのページ。当初は「イラスト系?(元ネタ・詳細等不明)」として「その他」に分類していたが、2005年8月9日、黒炎さんより掲示板に書き込みをいただき、元ネタはファイアーエムブレムであると教えていただいた。黒炎さんによれば、「ジェネラルにはアルマーズを、遊牧騎兵にはデュランダルを」が可能なのは、同シリーズの「封印の剣」であるとのこと。再度調べてみたところ当該ページが元はファイアーエムブレムのファンサイトだったことが判明。そのため、上記の通り修正した。黒炎さん、ありがとうございました。



〈ネット検索:「デュランダル」2回目〉

◇調査日:2008/02/18
◇方法:Googleで検索
◇対象:ヒット数約 256,000 件、うち上位 100 件を集計

項目HIT内訳
実在の競走馬4343デュランダル牡。鹿毛。1999/05/25生まれ。父はサンデーサイレンス、母はサワヤカプリンセス。馬主吉田照哉、生産者社台ファーム。(2005年に引退し2006年から種牡馬に)
アニメ・漫画の登場人物名1615ギルバート・デュランダル『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』(アニメ・MBS/TBS系・2004/10-2005/10放映)に登場する男性キャラクター。一般市民からの信頼も厚い最高評議会議長…らしい。
雲平・帷・デュランダル鎌谷悠希『隠の王』(『月刊Gファンタジー』(スクウェアエニックス刊)に連載中。2008年4月よりテレビアニメ放送予定)に登場する男性キャラクター。アイルランド生まれの忍者…らしい。
コンピュータゲームに登場(剣として)12デュランダル『大航海時代Online』(Win・MMORPG・コーエー・2005-)に登場。
デュランダル『ファイナルファンタジーXI』(PS2・MMORPG・スクウェアエニックス・2002-)に登場(片手剣)。
デュランダル『ファイアーエムブレム 封印の剣』(GBA・SRPG・Nintendo・2002)及び『ファイアーエムブレム 烈火の剣』(GBA・SRPG・Nintendo・2003)に登場。
デュランダル『ファンタシースターオンライン』(DC/PC/GC/Xbox・RPG・ソニックチーム・2000-)に登場(セイバー系)。
デュランダル『テイルズ オブ イノセンス』(NDS・RPG・バンダイナムコゲームス・2007)に登場(意志を持っている剣?)。
デュアルデュランダル『ファンタシースターユニバース』(PS2/Win/360・SEGA・オンラインRPG・2006)に登場(ツインセイバー)。
デュランダル『ファンタシースターユニバース』(PS2/Win/360・SEGA・オンラインRPG・2006)に登場(セイバー)。
デュランダル『伝説のオウガバトル』(SFC・SRPG・クエスト・1993)及び『オウガバトル64』(N64・SRPG・Nintendo/QUEST・1999)に登場。
デュランダル『ファイナルファンタジーXII』(PS2・RPG・スクウェアエニックス・2006)に登場(片手剣)。
★本家「デュランダル」
検索のキーワード・タグデュランダル楽天市場での検索キーワード。
デュランダルブログ記事検索サイトでの検索キーワード。
ローエングリンデュランダルにほんブログ村のキーワード。
デュランダルイラスト系サイト検索サイトでの検索キーワード。
デュランダル創作系個人サイト検索サイトでの検索キーワード。
デュランダル無料動画検索サイトでの検索キーワード。
デュランダルFC2ブログのタグ。
コンピュータゲームに登場(剣以外)大罪の聖騎士『デュランダル』『アルテイル』(Win・オンラインカードゲーム・Dex Entertainment・2004-)に登場するカード名(流浪の魔法騎士らしい)。
デュランダル『フロントミッション4』(PS2・SRPG・スクウェアエニックス・2003)に登場するEC陸上新戦術研究機関。
デュランダル『ゼノサーガ エピソードI〜力への意志〜』(PS2・RPG・ナムコ・2002)に登場する戦艦?
ハンドルネームデュランダルウェブログの管理人。
デュランダルネット通販サイト『Amazon.co.jp』のユーザー。
デュランダルゲーム音楽サイトの投稿者。
サイトタイトルデュランダル携帯サイト。管理人のハンドルネームも「デュランダル」。
デュランダル携帯サイト。『鋼の錬金術師』と『歪みの国のアリス』のファンサイト。
デュランダルな日々ウェブログ。内容からすると、競走馬の名前が元になっているのはほぼ間違いない。
その他デュランダルはてなダイアリーのキーワード。本家「デュランダル」、競走馬、ガンダムの登場人物の三者を記載。
エクスカリバー・デュランダル『シルバーレイン』(トミーウォーカーが運営するプレイバイウェブ、舞台は現代日本、2006年8月サービス開始)に登場するキャラクター名。
デュランダルブログペット(こねこ)の名前。
デュランダル新築ハイスペックマンション。場所は江東区、住吉駅から徒歩1分。平成19年3月竣工予定。
合計100

オートクレールと同様、3年7ヶ月を経て、二度目のネット検索である。ヒット数は約12,900件から約256,000へと、およそ20倍に増加。前回、圧倒的多数を占めた競走馬の割合が50%以下に減少し、前回よりも多様な「デュランダル」と出会うことが出来た。競走馬に対する関心も現役を引退してしまえば、やはり低下するのだろう。むしろ、種牡馬になったとはいえ、引退してなお5割近いヒット数を記録したことに驚くべきだろうか。

前回、放映開始前にして1ヒットを記録したアニメ『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』の登場人物が、放送終了後数年が経過しているにも関わらず、二番手の15ヒット。やはりガンダムは強いということか。そして、何の因果か、またもテレビアニメ放映開始直前のマンガ『隠の王』の登場人物が1ヒット。これも放映終了後には、もう少しヒット数を増やすかも知れない。ちなみに、このマンガ、私は読んだことがないのだが、フリー百科事典『Wikipedia』(2008/03/21現在)の当該ページによれば、雲平・帷・デュランダルという人物は、アイルランド生まれの忍者、という設定らしい。ということは、「デュランダル」はアイルランド由来の苗字、のつもりなのだろうか? それなら、エクスカリバーとかガイ・ボルガとか、武器名でももう少し相応しいのがいくらでもありそうなものだが…(と言いつつ、実際のところ、「雲平」「帷」「デュランダル」のどれが名前で、どれが苗字なのかさえよく分からないので、マンガを読んだことのある方、もしよろしければ詳しい設定を教えて下さい)。

一方、コンピュータゲームでは、剣としてデュランダルを登場させるものが増え、本家「デュランダル」を扱うサイトも増えているようなので、剣としてのデュランダルの知名度も、この3年半でそれなりに上がったものと考えられる。そんな中で一際異彩を放つのが、新築マンションの「デュランダル」。こういう不思議なネーミングに出会うと、検索して良かった、とつくづく思うのだが、これは何を意図して付けた名前なのだろうか。高層マンションなら、オートクレール(高くして清らか)の方が清潔感もあって良さそうだと思うが(そのまんま過ぎるけど)、地震がきてもビクともしない、とか、そういう堅固さのアピールだとすれば分からなくもない、か。ただし、本文で見たとおり、デュランダルは、C本やT本では持ち主の死とともに水底に沈むので、水害には気をつけた方が良いかも知れない(って何の話なんだか)。

[付記] : 薄幸のオードと「名前」の持つ意味
 本文中で長々と引用したO本の172〜174節、ロランがデュランダルとの別れを嘆く場面について、最後に二、三付け加えておきたい。佐藤輝夫は、この愛剣との別れを、恋人との別れに喩えている。「ああ、デュランダルよ、汝は美しく白くけざやかなることよ!」などのロランの台詞を挙げて、「これは長年連れ添った最愛の女(ひと)に寄せる恩愛のことばである」と評しているのである(1973b, p.297)。「婚約者オードへの思い出が今わの際のローランの脳裏に寸豪も去来しなかったのに反して、ローランは、その愛剣デュランダルに対しては、万感胸に迫るこうした別離の哀感を惜しまないのである」(同p.299)。
 これには、なるほどと納得。私はこのページの初版(2004/09/01付)に、「自分の子どもと心中してしまう親の気持ちに近いのだろうか?」と書いたが、子どもではなく、恋人との無理心中だったわけである。「この身棄つる今となりては、もはや汝のこと案ぜず」というロランの台詞も、そう考えると、また少し違った印象を与えてくれる。しかし、少しもその身を案じてもらえない婚約者のオードは、つくづく可哀想である(兄のオリヴィエが死んだのだって、ロランのせいみたいなものだし…)。
 また、この箇所で繰り返される「やよ!デュランダルよ」という剣への呼びかけは、武器に付けられた「名前(固有名詞)」の機能の一つを端的にあらわしているような気がして、その意味でも興味深い。「呼びかける」には、やはり名前がいるのである。もちろん「私の剣よ」と呼びかけることも可能なのだが、この剣が単なる「ロランの剣」ではなく、「デュランダル」という名前を持っていることには、やはりそれなりの意味や効果があるのではないだろうか。
 一つ、すぐに思いつくのは、名前を持つことによってそのモノの独立性が高まる、ということである。この剣の切れ味が素晴らしいのはロランが持っていたからではない。ロランが英雄であることとは独立に、この剣は素晴らしい。それを担保するものの一つが、剣の名前だと思うのである。現にデュランダルは、その伝来の過程において、(シャルルやオモンといった)ロラン以外の所有者を持っている。そして、ロランは、デュランダルが他の人間の手に渡ることを酷く恐れている。これは、個人的な(恋愛!)感情にもよるのだろうが、デュランダルがロラン以外の人間によって使われても、その力を発揮できることを示しているのだろう。剣は名前を持つことによって所有者から自立し、所有者を替え得る力を得た、とも言えるかも知れない。物語としては、(1)複数の所有者の手を渡り歩く優れた剣→名前が付く、という流れが自然なのだろうが、伝説の発生としては、(2)名前が付く→複数の所有者に関する伝承が生まれる、の方が事例が多そうな気がするのである。まあ、あくまで気がするだけなのだが。



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