『江談抄』は、平安後期の説話集である。大江匡房(1041-1111)の談話を、藤原実兼(1085-1112)が筆録したものといわれる。ここに名のある器物・動物(すなわち"名物")が多く載るため、試みに一覧表を作ってみた。参照したのは、岩波の『新日本古典文学大系』(底本は類聚本の国文学研究資料館 史料館蔵本)である。同書には詳細な脚註が付され、個々の名物について関連する文献からの引用等々が載っている。これも書名のみだが表中に示した。調べる気力のある方は、ソースも見るべし。
なお、「名物」について書かれているのは第三巻の47条以下である。その内容から各条は、名物の名前を分類ごとにほぼ羅列するだけの条(48-笛、54-笙、56-琵琶、64-和琴、66-箏、67-三鼓、69-帯、70-剣、73-硯、74-馬)と、個々の名物に関するエピソードを載せる条(50、51、52ほか)に二分される。便宜上、前者を羅列条、後者を逸話条とすると、表中、条数の左側の数字がその名物の載る羅列条、右側が逸話条である。右側に数字のないものは羅列条にのみその名が見え、逸話条の存在しないことを示し、左側の数字のないものは逸話条のみに見え、羅列条には名が載らないことを示す。例えば、笛の「穴貴」は、笛の名物を羅列した48条にはその名が見えないが、51条にはそのエピソードが載っている。
また、「小蚶界絵」は、笙の羅列条である54条に名前が載るにも関わらず、逸話条の52条では笛と紹介され、「小螺鈿」も、箏の羅列条66条に名前が載る一方で、逸話条60条では琵琶と紹介されている。それぞれ、名前が同じだけで別の名物なのか、伝承・記述の混乱なのか不明だが、ここでは、安易な推測を避け、背景色を変えることで注意を喚起するにとどめている。
参考文献 |
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◇後藤昭雄、池上洵一、山根對助校注『新日本古典文学大系32 江談抄 中外抄 富家語』岩波書店、1997.6 |
分類 | 名称(ふりがな) | 条数 | 逸話 | 参考文献 | ||
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笛 | 大水竜 | (おほすいろう) | 48 | 49 | 天暦(947-957)の頃の宝物。 | 『枕草子』89・『古事談』6 『続教訓抄』 |
小水竜 | (こすいろう) | 49 | 天暦(947-957)の頃の宝物。 | 『枕草子』89・『続教訓抄』 | ||
青竹 | (あおたけ) | 『中右記』・『続教訓抄』 | ||||
葉二 | (はふたつ) | 50 | 高名の横笛。朱雀門の鬼の笛とも言う。深更、浄蔵聖人が笛を吹きながら朱雀門を通ると、鬼はこれに感じ、この笛を聖人に与えた。藤原道長にまで伝わり、後一条天皇在位の時に召し上げられたという。 | 『枕草子』89・『続教訓抄』 『御堂関白記』 | ||
柯亭 | (かてい) | 『続教訓抄』・『芸文類聚』44 | ||||
讃岐 | (さぬき) | 『続教訓抄』 | ||||
中管 | (ちゆうくわん) | |||||
釘打 | (くぎうち) | 『枕草子』89 | ||||
庭筠 | (ていきん) | 『拾芥抄』 | ||||
笛 | 穴貴 | (あなたふと) | 51 | 高名の笛。式部卿宮(貞保親王)がこの笛を吹いていた時、御衣の上に雪が降りかかってきたので、これを払ったところ、折れてしまったという。 | 『二中歴』13 | |
笛 | 小蚶界絵 | (こきさきゑ) | 52 | 高名の笛。一条院の頃に失われ、祈祷の結果、35日ほどで御湯殿の下から出てきた。これを見ると(一部が)朽ちてしまっていたので、少し切り詰めたが、その後も音色の美しさは変わらなかったという。 | ||
笙 | 大蚶界絵 | (おほきさきゑ) | 54 | 『古今著聞集』6 『続教訓抄』11 | ||
小蚶界絵 | (こきさきゑ) | 『中右記』・『続教訓抄』 | ||||
雲和 | (うんわ) | 『芸文類聚』44 | ||||
法花寺 | (ほつけじ) | 『続教訓抄』 | ||||
不々替 | (いなかへじ) | 55 | 高名の笙。売ろうとする唐人に、千石で買おうと言うと「いや、替えたくない(不、不替)」と言ったことから、それをとって名にしたという。 | 『枕草子』89 | ||
小笙 | (こしやう) | |||||
琵琶 | 玄象/玄上 | (げんじやう) | 56 | 57 | 醍醐天皇の琵琶か。醍醐天皇の頃、琵琶の名手に玄上(はるかみ)という者がいたというが、その名によって名付けられたかは詳らかでない。 | 『枕草子』89・『教訓抄』8 『禁秘抄』上・『糸竹口伝』下 『古事談』6・『十訓抄』10 『三代実録』・『兵範記』 『古今著聞集』17 『今昔物語集』24 |
58 | 昔、失われて所在が分からなくなった時、14日間にわたって加持祈祷を行ったところ、朱雀門の楼上から頸に繩をつけて降りてきた。朱雀門の鬼が盗み取っていたのが、修法の力で出てきたのだという。 | |||||
牧馬 | (ぼくば) | 57 | 醍醐天皇の琵琶か。 | 『枕草子』89・『糸竹口伝』下 『御堂関白記』 | ||
井手 | (ゐで) | 59 | 高名の琵琶。醍醐天皇の孫にあたる十五の宮(盛明親王)の子、愛宮(源高明の娘明子、盛明親王の養女)の琵琶。宇治の宝蔵におさめられていた。 | 『枕草子』89・『八音抄』 『順徳院御琵琶合』 | ||
渭橋/為尭 | (ゐけう/ゐげう) | 59 | 高名の琵琶。三条式部卿(重明親王?)の宝物。 | 『枕草子』89・『糸竹口伝』 『順徳院御琵琶合』 | ||
木絵 | (もくゑ) | 60 | 藤原忠実の所にあった。 | 『順徳院御琵琶合』 | ||
元興寺 | (ぐわんごうじ) | 60 | 別名「切られ琵琶」。後冷泉院の宝物。元は元興寺の宝物だったが、後冷泉院がまだ皇太子だった時、寺の修理のために売りに出されたのを後朱雀院(後冷泉院の父)が買ったのだという。藤原忠実の所にあった。 | 『古今著聞集』12 | ||
61 | 後冷泉院の宝物。修造のため、保仲のもとに遣わせた所、数珠を作る職人が盗み取って尻を切ってしまった。そのため「切り琵琶」と号した。 | |||||
小琵琶 | (こびは) | 62 | 高名の琵琶。後冷泉院の宝物。音が非常に細かったので、藤原頼通が名手を集め、腹を刳るように命じた。霊物を恐れて有行に卜筮をさせたところ、結果は「可」と出たと言う。 | 『八音抄』 | ||
無名 | (むみやう) | 60 | 高名の琵琶。上東門院(一条天皇中宮彰子)が宝物として持っていたが、三条にあった源済政の邸が御所だった時に、火事で焼失してしまった。 | 『枕草子』89・『教訓抄』8 | ||
琵琶 | 小螺鈿 | (こらでん) | 60 | 高倉宮(後朱雀天皇皇女祐子内親王)の琵琶。 | ||
和琴 | 井上 | (ゐのうへ) | 64 | |||
鈴鹿 | (すずか) | 65 | 天皇に代々伝領される和琴。 | 『禁秘抄』上・『御堂関白記』 『兵範記』 | ||
朽目 | (くちめ) | 『枕草子』89・『政事要略』26 『西宮記』8裏書「醍醐御記」 | ||||
河霧 | (かはぎり) | 65 | 上東門院(一条天皇中宮彰子)の持ち物だったが、藤原師実が右大臣に任ぜられた際、引き出物として献じられたもの。そのため、藤原忠実の所にあった。 | |||
斉院 | (さいゐん) | 『教訓抄』8 | ||||
宇多法師 | (うだのほふし) | 65 | 寛平法王(宇多天皇)の和琴。「みたらし」 | 『枕草子』87・『源氏物語』 『花鳥余情』18 『西宮記』8裏書・同16 『河海抄』12・『江家次第』6 | ||
箏 | 大螺鈿 | (おほらでん) | 66 | 『御堂関白記』 『教訓抄』8・『拾芥抄』 | ||
小螺鈿 | (こらでん) | 『教訓抄』8・『拾芥抄』 | ||||
秋風 | (しうふう) | 『教訓抄』8 『古今著聞集』13 | ||||
三鼓 | 黒筒 | (くろとう) | 67 | 『金剛寺本諸打物譜』 『教訓抄』9 | ||
神明寺 | (じみやうじ) | 「神明黒筒」と号す※1。 | 『教訓抄』9 | |||
帯 | 唐雁 | (たうかり) | 69 | 御堂(法成寺)の宝蔵にあった。 | 『二中歴』13 | |
落花形 | (?) | 御堂(法成寺)の宝蔵にあった。 | 『兵範記』・『中右記』 『玉葉』 | |||
垂無 | (たりなし) | |||||
鵝形 | (?) | 『左経記』・『年中行事秘抄』 | ||||
雲形 | (?) | 『大鏡』 | ||||
鶴通天 | (つるつうてん) | 『中右記』・『左経記』 『台記』 | ||||
鴛通天 | (おしつうてん) | 『中右記』・『殿暦』 『年中行事秘抄』・『兵範記』 | ||||
剣 | 壺切 | (つぼきり) | 70 | 71 | 昔の名将の剣。資仲によれば、張良(藤原長良?)の剣であったという。 | 『有職抄』3・『百錬抄』 『宇多御記』・『醍醐御記』 『御堂関白記』・『禁秘抄』上 『続古事談』1・『土右記』 『小右記』 |
72 | 焼亡したともいうが未詳。剣は代々皇太子に伝えられてきたが、後三条院が皇太子だった時、藤原頼通はこの剣を献じなかった。それは、この剣が藤原氏を母とする皇太子の宝物だからだという。後三条院は要らないと言ったが、即位の後になって献上されたという。 | |||||
硯 | 露 | (つゆ) | 73 | 『中外抄』下35 | ||
鶏冠木 | (かへで) | |||||
馬 | 赤六 | (?) | 74 | |||
穂坂十七栗毛 | (ほさかじふしちくりげ) | 『村上御記』・『九条殿記』 『九条年中行事』 | ||||
恋地 | (こひぢ) | 『小右記』・『御堂関白記』 | ||||
鳥子 | (とりのこ) | 『小右記』 | ||||
尾白 | (をしろ) | 『小右記』・『御堂関白記』 | ||||
榛原 | (はいはら) | |||||
翡翠 | (ひすい) | 『御堂関白記』 | ||||
若菜 | (わかな) | |||||
別栗毛 | (?くりげ) | 『江家次第』19 | ||||
御坂 | (みさか) | |||||
近江栗毛 | (あふみ?) | 『江家次第』19 | ||||
三日月 | (みかづき) | |||||
本白 | (もとしろ) | |||||
和琴 | (わごん) | 『二中歴』13 | ||||
宇都浜 | (うどはま) | |||||
穂檀糟毛 | (?かすげ) | 『二中歴』 | ||||
鳥形 | (とりかた) | |||||
花形 | (はなかた) | 『中外抄』下 | ||||
光 | (ひかり) | |||||
野口 | (のぐち) | |||||
宮橋 | (みやはし) | |||||
前黒糟毛 | (まへくろかすげ) | 『殿暦』 | ||||
後黒糟毛 | (?) | |||||
望月 | (もちづき) | 『九条年中行事』 | ||||
宮城 | (みやぎ) | 『江家次第』19 『今昔物語集』23 | ||||
野王 | (やわう) | |||||
尾花 | (をばな) | |||||
日差 | (ひさし) | |||||
蝶額 | (てふひたひ) | |||||
大柑子 | (おほかうじ) | 『二中歴』 | ||||
小柑子 | (?) | 『二中歴』 | ||||
白絃 | (しらいと) | |||||
夏引 | (なつひき) |
この後、75条―近衛舎人の羅列条、76条―随身の羅列条、77条―随人正近の逸話条と続き、『江談抄』第三は終わる。近衛舎人と随身は、いずれも近衛府の役人、つまり、人間である。それが、楽器や馬と並んで羅列されているわけだ。下級役人とはいえ、人間が物や馬と同じ扱いとは!と怒るべきだろうか? しかし、77条には「随身は公家(天皇)の宝なり」とある。彼らの価値観はどのようなものだったのか。その一端が、こういうところに表れているような気がする。
※1 : 67条(題は「三鼓」)の内容をそのまま引用すると、「黒筒(くろとう)。神明寺(じみやうじ)。神明黒筒(じみやうくろとう)と号(なづ)く」。表中では、「神明黒筒」を「神明寺」の別名のように扱ったが、これに確証はまったくない。「黒筒」=「神明寺」=「神明黒筒」の可能性もある。
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