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ナーゲルリング(Naglering

分類名剣
表記◇ナーゲルリング(リヒター), ◇ナーグラリング(マッケンジー), ◇ナーゲルリンク(寺田1992)
◇ナーゲルリング, ナーゲリング(テッツナー)
◇Naglering(Mackenzie, Jobes), ◇Nageling(テッツナー)
語意・語源??
系統ディートリヒ伝説
主な出典 ◇『ズィゲノート』 (Sigenot
ディートリヒ・フォン・ベルンの伝説を扱った叙事詩。中世ドイツの「ディートリヒの冒険叙事詩」(aventiurehafte Dietrichepik)というジャンルに属し、15世紀後半から17世紀にかけてきわめて多くの写本や印刷本が制作されて人気を博した。成立年代は分かっていないが、最古のドナウエッシンゲン蔵写本が1300年頃に書かれているため、現存資料の原形が成立したのは13世紀のことと思われる。共通の典拠に遡る長短二つのタイプが伝存し、一般に短いタイプを『古ズィゲノート』、長いタイプを『新ズィゲノート』と呼ぶ。これはドナウエッシンゲン蔵写本が短いタイプで、15世紀以降の多くの写本や印刷本に残るのが長いタイプであるためだが、原形により近いのは『新ズィゲノート』の方だと考えられている。『古ズィゲノート』は原形をかなり切り詰めているらしい。(寺田1995)
◇『ベルンのシズレクのサガ』 (Þiðreks saga af Bern)?
13世紀半ばにノルウェーの、おそらくベルゲンで書かれた(あるいは翻訳編集された)ゲルマン英雄物語集成とも言うべきサガ。東ゴートの半ば伝説的な英雄テオドリック Theodericus(ディートリヒ・フォン・ベルン Dietrich von Bern)および彼を取り巻く勇士たちの事蹟をその内容とする。紙写本のプロローグには、この物語が「ドイツ語で書かれた最大のものの一つ」であり、「ドイツの男達の物語と歌謡とから編んだ」と明記してあり、物語の舞台や登場人物の名称からもドイツ由来は間違いない。13世紀半ばは、ちょうど国王ホーコン・ホーコンソン Hákon Hákonarson(在位1217-1263)のもとにノルウェーが北ドイツの諸都市と盛んに通商した時期で、フランス語やラテン語の南欧騎士道文学がたくさん翻訳・翻案された時期である。(石川1987ほか)
◇『ビーテロルフ』 (Biterolf)??
◇『ヴォルムスの薔薇園』 (Der Rosengarten zu Worms, 1250頃)
◇ハインリヒ・フォン・フェルデケ 『エネイーデ』 (Heinrich von Veldeke, Eneide, 1185頃)
参考文献 ◇相良守峯 『ドイツ中世敍事詩研究』 郁文堂, 第四版1978.10(初版1948.5)
◇菊池淑子 『クレティアン・ド・トロワ『獅子の騎士』―フランスのアーサー王物語―』 平凡社, 1994.11
◇ヨアヒム・ブムケ(平尾浩三, 和泉雅人, 相澤隆, 斎藤太郎, 三瓶慎一, 一條麻美子訳)『中世の騎士文化』 白水社, 1995.5
◇『世界文学大事典』編集委員会編 『集英社 世界文学大事典1〜6』 集英社, 1996.10-1998.1
◇A.リヒター, G.ゲレス(市場泰男訳)『ドイツ中世英雄物語III ディートリヒ・フォン・ベルン』 社会思想社, 1997.5
◇ライナー・テッツナー(手嶋竹司訳)『ゲルマン神話 上 神々の時代』 青土社, 1998.11
◇ライナー・テッツナー(手嶋竹司訳)『ゲルマン神話 下 英雄伝説』 青土社, 1998.11
◇ドナルド・A・マッケンジー原著(東浦義雄編訳)『ゲルマン英雄伝説』 東京書籍, 2002.5
◇エルンスト・ヨーゼフ・ゲルリヒ(清水健次訳)『新訳 オーストリア文学史』 芦書房, 2005.8
◇石川光庸 「シーズレクのサガ 八四〜一三六章 ヴェーレントの物語(その一)」 『ドイツ文学研究』32, 1987.3
◇寺田龍男 「Alphart は二度死ぬ―„Buch von Bern“におけるある矛盾について―」 『小樽商科大学 人文研究』第76輯, 1988.8
◇寺田龍男 「火を吹くディートリヒ―ディートリヒ・フォン・ベルン研究序説―」 『ノルデン』29号, 1992.11
◇寺田龍男 「翻訳と解説 アルブレヒト・フォン・ケメナーテン:『ゴルデマール』」 『ノルデン』30号, 1993.11
◇寺田龍男 「『ズィゲノート』―翻訳と論説―」 『言語文化部紀要』28, 1995.11
◇渡邊徳明 「英雄叙事詩『ヴォルムスの薔薇園』研究の歴史と動向」 『研究年報』第16号, 1999.3
◇有泉泰男 「ディートリッヒ叙事詩:『ラウリーン』―作品の内容と構成について―(異文1を中心に)」 『研究紀要』第58号, 1999.10
◇有泉泰男 「アルプハルトの死」 『研究紀要』第60号, 2000.9
◇會田素子 「新しき「白鳥の騎士」物語―中世後期ドイツ叙事詩『ロレンゲル』をめぐって―」 『藝文研究』No.88, 2005.6
◇Donald A. Mackenzie, Teutonic Myth & Legend, Gresham Publishing Co. Ltd., 1912
◇Gertrude Jobes, Dictionary of Mythology Folklore and Symbols, The Scarecrow Press, 1962


◆名剣ナーゲルリング

ナーゲルリングは、英雄ディートリヒ・フォン・ベルン(Dietrich von Bern)の伝説に登場する剣である。ディートリヒ叙事詩の一つ、『ズィゲノート』に拠ると思われるA.リヒター&G.ゲレスの『ドイツ中世英雄物語III』(市場泰男訳1997)所収「ジーゲノート」によれば※1、小人アルプリスが鍛え、巨人グリムが持っていた名剣である。ディートリヒに捕らえられた悪名高い盗賊、小人のアルプリスは、巨人の夫婦グリムとヒルダの持つ財宝のありかを教え、夫グリムの持つ名剣ナーゲルリングを盗んでくることを条件に放免してもらう。捕らえられたアルプリスの台詞の一部を引用すると、

またグリムはナーゲルリングという剣を持っており、これはすべての剣の中で最もすぐれたものです。じつはこの剣は私がこの手で鍛えたのです。もしもあなたが前もってこの剣を手に入れないならば、けっして彼に勝つことはできません。(p.104)

これにディートリヒは次のように答える。

お前がそのナーゲルリングという剣を今日中に私に渡すと誓わなければ、けっして生きて私の手から離れられないだろう。(p.104)

夕方、小人はディートリヒと老師ヒルデブラントのもとにナーゲルリングを持って現れ、これをディートリッヒに渡し、巨人たちの住む洞窟の場所を教えて姿を消す(p.104)。

ディートリヒは小人がくれた剣を鞘からぬいてみたが、二人ともこれほどりっぱな鋭い剣は今まで一度も見たことがないと告白せずにはいられなかった。(p.105)

ディートリヒとヒルデブラントは、その後、小人に教わった洞窟へ赴き、巨人たちと戦う。ヒルデブラントがヒルダに絞め殺されそうになっているのを見たディートリヒは、グリムの首を一撃で打ち落とし、ヒルダをも真っ二つに切り裂く。しかし、彼女は魔法に長じていたため、すぐ元通りになって復活してしまう。ディートリヒは再び切りつけるが、結果は同じ。そこで、ヒルデブラントが二つの断片の間に足を踏み入れるように助言し、ディートリヒはこれに従って、三度目にして彼女を倒すのである。

これと同様の物語は、『ベルンのシズレクのサガ』に拠ったと思われるドナルド・A・マッケンジーの再話『ゲルマン英雄伝説』(東浦義雄編訳2002)にもある。マッケンジーによれば(以下カナ表記はマッケンジーによる)、ナーグラリングは、小人アルベリッヒが、巨人の夫婦グリムとヒルデに依頼されて鍛えた名剣である(p.146)。アルベリッヒの解放の条件、ヒルデの倒され方などは、リヒター&ゲレスの場合とほぼ同じ。ただ、少々異なるのは、マッケンジーの場合、ディートリッヒが小人を捕まえる前から、ベローナの国土を荒らし回っていた巨人の夫婦グリムとヒルデを倒そうと考えていたことである。リヒター&ゲレスの場合、グリムとヒルダの名は捕まった小人の台詞中に初めて登場する※2

なお、ライナー・テッツナーの翻案『ゲルマン神話』(手嶋竹司訳1998)にも同様のエピソードが述べられている(下p.344-347)。同書によれば、ナーゲルリング(Nageling)はこびとアルベリッヒ(Alberich)が鍛え、十二人力の持ち主であるグリム(Grim)が所有していた刀である。アルベリッヒはディートリッヒに脅されてこれを盗み、刀はディートリッヒのものとなる。彼はこの刀でグリムとその妻ヒルト(Hild)を斬り倒す。先の点に関しては、テッツナーはリヒター&ゲレス同様、グリムとヒルトの名をこびとの台詞中で初めて登場させている。また、テッツナーはこびとアルベリッヒを「悪党」として描いていない。 一方、本ページにとってより問題なのは、当初は「ナーゲルリング」と表記されていた剣の名が、途中(下p.370あたり)から「ナーゲリング」となっていることである。単なる誤植なのかもしれないが、テッツナーはこの剣の綴りを"Nageling"としており、これは素直に読めば確かに「ナーゲリング」である。逆に「ナーゲルリング」とは読めないような気がする(外国語には疎いので何とも言えないが)。

※1 : ディートリヒ叙事詩に関しては、下記〈おまけ〉を参照のこと。『ドイツ中世英雄物語III』は、9篇のディートリヒ叙事詩を収録しているが、「訳者あとがき」によれば、これらはいずれも13世紀に成立した『英雄本』(ヘルデンブッフ Heldenbuch)に集められたものである。『英雄本』は当時流行った短篇・逸話・寓話・教訓・笑話・聖者伝説などを扱ったいわゆる民衆本に属するもので、文学が宮廷から徐々に民衆のものになっていった時代を反映しているという(p.453-454)。原著の『ドイツの英雄伝説』(Deutsche Heldensagen)は、中世ドイツの英雄叙事詩を現代ドイツ語の散文に訳したもので、『ニーベルンゲンの歌』『グードルーン』も収録している。
   なお、ここで言及している『ズィゲノート』には、(文字通り「有難い」ことに)原典からの邦訳が存在している(寺田龍男訳「『ズィゲノート』―翻訳と論説―」『言語文化部紀要』28, 1995)。これはドナウエッシンゲン蔵写本にもとづくものだが、残念なことに、そこにナーゲルリングの名はない。『ズィゲノート』には、共通の原形に遡ると考えられる長・短、二つのタイプが存在しているが、同写本は、原形をかなり切り詰めたものと考えられる短いタイプに属する。剣の名が登場しないのはそのためだろう。また、ドナウエッシンゲン蔵写本は『ズィゲノート』の現存最古の写本だが、広範に流布したのは長いタイプの所謂『新ズィゲノート』であるらしい。とすれば、リヒター&ゲレス版は『新ズィゲノート』に拠るのだろう。詳しくは寺田の翻訳・論考を参照のこと。

※2 : ちなみに、この違いは物語全体に微妙な印象の差を生んでいるように思う。すなわち、マッケンジー版ではディートリッヒたちの主な目的が「悪さをする巨人の討伐」にあるという印象が強いが、リヒター&ゲレス版では、巨人たちと戦う理由がそれほど明確ではなく、強いて言えば「財宝入手」に主眼があるようにもとれる。この戦う理由の明確化、マッケンジーの脚色なのか、それとも『サガ』と『ズィゲノート』の違いなのか。『サガ』原典を読んだことのない私には判断しかねるところである。


◆ディートリヒからハイメへ

マッケンジーの『ゲルマン英雄伝説』(2002訳)によれば、巨人夫婦との闘いの後、一人で森に狩りに出かけたディートリッヒは、グリムとヒルデの甥ジーゲノートと戦いになり敗北、囚われの身となってしまう。捜しに出たヒルデブラントも負けてしまうが、ディートリッヒの囚われている洞窟に引きずられていく途中、彼が取り落としたナーグラリングをつかみ取り、それで巨人を斬り倒したという(p.149-152)。また、ディートリッヒは後に配下の騎士となるハイメ、ヴィテゲ、そして巨人エッケ(「人を恐れさせる者」の意)との一騎討ちでこれを用いるが、エッケを倒して彼の剣エッケ・サックスを手に入れた後はこれを用い、ナーグラリングは城に帰還した時、真っ先に城内から出て温かく出迎えた騎士ハイメに礼として与えている(p.172)。

巨人ジーゲノートとの戦いは、先にも参照したリヒター&ゲレスの「ジーゲノート」にも描かれている。少々違うのは、ディートリヒがわざわざジーゲノートを探して戦うために森に入っていること。「ナーゲルリング(ナーグラリング)」という名前は見えないが、物語の流れから考えると、この場面でのディートリヒの剣は明らかにナーゲルリングである。物語の筋はマッケンジーと同様で、ディートリヒはジーゲノートに敗北して洞窟に捕らえられ、捜しに出たヒルデブラントも捕まってしまう。ヒルデブラントは巨人の部屋に連れて行かれるが、巨人が出かけている間に両手を縛っていた皮ひもを何とか解き、「巨人がディートリヒからとりあげた武器」(おそらくナーゲルリング)がおいてあるのを見つけ、これでジーゲノートの首を打ち落とすのである。

また、リヒター&ゲレスの『ドイツ中世英雄物語III』には、ハイメ、ウィティヒ(ヴィテゲ)を仲間にする際の一騎討ちは描かれないが(ウィティヒに関しては「小人王ラウリン」中で若干触れられる)、「エッケの旅立ち」に、エッケ(ただし巨人ではない)との戦いは描かれている(詳細は「エッケザックス」の項参照)。ここにも剣の名前は登場しないが、物語の流れから考えると、ディートリヒがここで用いている剣はやはりナーゲルリングだろう。ただ、気になるのは、激闘の末、エッケを倒したディートリヒについての次の記述である。

そしてもういちだん落ちついて考えたとき、彼は敵の武具と武器をとり上げて自分のものにしなければならないことに思いあたった。というのは、自分の武具や武器は戦う間にぼろぼろになってしまって、今後の戦いにはまるで役に立たなかったからだ。(p.162)

つまり、ナーゲルリングはここで使い物にならなくなっているはずなのである。しかし、同書においても、この後、ナーゲルリングは何の問題もなく登場する。「ビーテロルフとディートライプ」の中で、マッケンジー同様、ディートリヒからハイメに贈られているのである※3

ある日ディートリヒ・フォン・ベルンは戦友や仲間に自分の剣ナーゲルリングを見せ、こう言った。「名剣ナーゲルリングよ、そなたは石をも丈夫な武具をも断ち切り、激しい試練に耐えてきた。私はそなたよりよい剣がこの世にあるとは信じない! さてハイメよ、おぬしの奉公は万人にまさっているので、私はこの剣をおぬし以外に与えたくない。よい友よ、さあこの剣を受けとるがよい。そしてそれをりっぱに使え!」そこでハイメはナーゲルリングを受けとり、この贈り物に対して主君に心から礼をのべた。(p.191-192)

ディートリヒは、この時点で既にエッケザックスを持っているはずなので、「私はそなたよりよい剣がこの世にあるとは信じない!」という台詞はおかしい気もするが…。まあ、それはともかく、ハイメはこれ以後、ナーゲルリングを持って戦い、「バラの園」では、巨人シュツルータンをこの剣によって倒している※4

ハイメはすぐまた立ち上がると、名剣ナーゲルリングをシュッと音を立てて斬りこんだ。両者ともに深い傷を負い、血があふれて足元の芝が赤く染まった。ハイメがさらに一撃を加えると巨人は倒れ、剣ナーゲルリングにとどめを刺されてもう二度と口をきかなくなった。(p.283)

テッツナーの『ゲルマン神話』(1998)でも、ディートリッヒはハイメ(Heime)、ヴィテゲ(Witege)、エッケ(Ecke)との戦いにこの剣を用い、エッケの剣エッケザックスを手に入れた後、家臣ハイメにこれを譲っている(下p.375)。このハイメへの譲渡に関しては、前後関係はリヒター&ゲレスと類似しているが、ハイメとの一騎討ちが描かれている点はマッケンジーに似る。したがって、テッツナーの翻案は『ベルンのシズレクのサガ』と複数のディートリヒ叙事詩を組み合わせたものなのかも知れない。

※3 : 「ビーテロルフとディートライプ」については、調査不足で典拠とした叙事詩がどのような性格のものだったのか十分に把握できてない。詳しくは下記〈おまけ:「ディートリヒ叙事詩」について〉を参照のこと。

※4 : リヒター&ゲレスの「バラの園」は、英雄叙事詩『ヴォルムスの薔薇園』に拠るものとみられる。『ヴォルムスの薔薇園』は、1250年頃にオーストリアからバイエルンにかけての地方で成立したと考えられているディートリヒ叙事詩の一つで、『ニーベルンゲンの歌』のパロディとして知られる(渡邊徳明1999に拠る, 以下同じ)。作者は不詳。複数のテキスト・バージョンがあり、種々に分類されてきたが、現在では一般に、A、C、D、F、Pの五つに分類される。このうち、主要なテキスト・ヴァージョンはAとDの二つだが、渡邊の語る梗概と比較すると、リヒター&ゲレス版はAに近いようだ。


◆言わずと知れた名剣

ナーゲルリングは、中世ドイツにおいてよく知られた名剣の一つだったらしい。寺田龍男によれば、「フェルデケはディートリヒ,ヴィテゲ,ハイメそれぞれの剣エッケザス,ミミンク,ナーゲルリンクに加え,ローラント,オリヴィエの剣ドゥレンダルト,アルテクレーレを『エーネアース』に引用し」ているという(寺田龍男1992, p.15)。「フェルデケ」とは、ハインリヒ・フォン・フェルデケ(Heinrich von Veldeke, 1140頃-1190頃)、初め故郷のローン伯に、後にテューリンゲン方伯へルマンに仕えたドイツ中世の詩人で、作者不詳のフランスの叙事詩『エネアス物語』に拠る宮廷叙事詩『エネイーデ(エーネアース)』(1185頃)の作者である(『集英社世界文学大事典』3, p.362-363)。さらに寺田は、「テューリンゲンの宮廷でもディートリヒらの活躍が既に語られていなければ,こうした引用はありえない」、「しかもフェルデケは彼が引用した剣の所有者(ディートリヒたち)の名は一切挙げていない。その必要がない常識だったからである」と続けている(寺田龍男1992, p.16)。ナーゲルリングの名は「常識」だったというのである。

少々気になるのは、剣の所有者の名前が挙がっていない、という点である。リヒター&ゲレス版によれば、ナーゲルリングはディートリヒからハイメに贈られた剣であり、当初の持ち主はディートリヒであった。そして、ハイメも当初はブルートガングという別の剣を所持していたのである。ただし、この剣の登場するディートリヒ叙事詩は伝存しないのか、少なくともリヒター&ゲレス版にはその名が登場していない。中世ドイツ、例えば、テューリンゲンの宮廷人たちにとって、ナーゲルリングとハイメとの関係は、どの程度強いものだったのだろうか。



〈考察:不滅の名兜ヒルデグリム〉

実は、巨人の夫婦グリムとヒルダを倒して手に入れた財宝の中には、非常に有名なアイテムが含まれている。それがこのヒルデグリムという兜である。リヒター&ゲレス版、ヒルダを倒した直後の場面から引用してみよう。

そのあと彼らは巨人の住居から金や銀やさまざまな装身具を奪った。ディートリヒはそれらの下に、これまで見たこともないほど頑丈なかぶとを見つけた。それは小人のアルプリアントが鍛えたものだった。ディートリヒは、ヒルダとグリムはそれをすばらしい武具と思っていただろうから、さぞ自分たちの名をつけて呼びたかったろうと言った。そこで彼はそれにヒルデグリムという名をつけ、それ以後長い間、多くの激戦でそれをかぶって行った。(p.105)

この挿話はマッケンジーにもあり、「ひときわ見事に光を放つ兜を選んで自分用の物とした。そして、退治した巨人夫婦の名にちなんでこれにヒルデグリムと命名した」という(p.149)※5

しかし、リヒター&ゲレス『ドイツ中世英雄物語III』所収「小人王ラウリン」の中で触れられる、ディートリヒとウィティヒとの一騎討ちでは、「ウィティヒはたいへん勇敢に戦い、ディートリヒのかぶととヒルデグリムの上部を左から右へとなぎ切り、そのため切りとられた上端がディートリヒの頭部から離れて高くとび上がったほどだった」(p.223、「かぶとと」の後ろの「と」は誤植か?)と、ヒルデグリムが大きく損傷している。この一騎討ちにおけるヒルデグリムの損傷はマッケンジーにも見られ、ヴィテゲが「次つぎに浴びせた猛打は、ついに王子の兜ヒルデグリムをずたずたに砕いてしまい、王子の金髪がのぞくまでになった」との記述がある(p.161)。

さらに、リヒター&ゲレスの「エッケの旅立ち」では、ヒルデグリムは早くも使い物にならなくなってしまう。勇士エッケとの激闘の後、ディートリヒは彼の遺体を埋葬するが…

そのあと彼は剣とよろいのほかにエッケのかぶとと楯も自分のものにした。自分の楯はエッケの手で砕かれていたし、かぶとのヒルデグリムもエッケのかぶとに比べ劣っていたからである。ただしヒルデグリムの輝きのもとになっていた高価な宝石は外してエッケのかぶとにつけた。血に染まり、剣に打たれてひどく傷ついたヒルデグリムは、戦場におき去りにした。(p.162)

問題は、明らかにこの挿話の後に来る(ディートリヒがエッケザックスを所持している)場面で、ヒルデグリムが登場している点である。リヒター&ゲレス『ドイツ中世英雄物語III』所収「ビーテロルフとディートライプ」の中で、ビーテロルフは息子ディートライプに、ディートリヒや彼の仲間とは戦うなと忠告し、「なぜならディートリヒの強い剣にはそなたは手向かいできないからだ。彼のかぶとはヒルデグリムといって、どんな剣も傷つけることはできない。彼の剣はエッケザックスといって、すべての剣の中で最もすぐれたものだ」と言っている(p.196)。また、同じ物語の中で「かぶとヒルデグリム」は、ディートライプによってエッケザックスや馬のファルケとともに質に入れられている(p.209)。同書所収「アルプハルトの死」では、名前の分からない強力な勇士(実はアルプハルト)のことをディートリヒその人かと疑う皇帝エルメンリヒに対して、一人の勇士がそれを否定し、「またそのかぶとも、私がよく知っているディートリヒの輝くヒルデグリムではありませんでした」(p.376)と述べている。

つまり、戦場に置き去りにしたはずのヒルデグリムがいつの間にか手元に戻ってきているわけで、ここにナーゲルリングと同様の問題が発生していることがわかる。ディートリヒ叙事詩は一応それぞれ独立した物語なので、整合性が十分でなくとも矛盾とまでは言えないかもしれない(ちなみに、『シズレクのサガ』に拠るらしいマッケンジー版には、ヒルデグリムを置き去りにするという記述はない)。しかし、相互に関連しあっていることは間違いなく、各エピソードの前後関係もそれほど錯綜してはいない。そこで、ディートリヒ叙事詩にみられる矛盾について考察した、寺田龍男の「Alphart は二度死ぬ―„Buch von Bern“におけるある矛盾について―」(『小樽商科大学 人文研究』76, 1988)を参照しながら、この問題について少し考えてみたい。

寺田は中世の英雄叙事詩にしばしば見られる矛盾に関して、Joachim Heinzle の研究を取り上げているが、Heinzle によれば、矛盾の形成要因は作品を構成する仕方にあるという。すなわち、「筋の一貫性に細心の注意を払わず,辻褄を合わせる十分な努力がなされていないことの背景」に「作者/編者たちの間に全体の流れだけでなく個々の語り素材にも大きな注意を払おうとする傾向があった」ことを指摘するのである。

これをヒルデグリムの問題に援用するなら、次のようになるだろう。まず、ディートリヒ・フォン・ベルンという人物に関して、「ディートリヒの兜はヒルデグリムという名である」という、語り手と聴衆に共有された一種の常識があったと考えられる。それは「アルプハルトの死」に見られる無名の勇士の台詞にもよくあらわれている。一方、相手の攻撃によって防具がズタズタにされる、というのは戦闘の激しさを強調するための常套表現だと思われる※6。また、「戦いで倒した相手の武具を身につける」というのは、英雄叙事詩の伝統的なモチーフだろう。寺田も別の論考で「戦いで負かした相手の武具を身につけるのは『イリアス』などにも見られる古くからの習慣である。『ニーベルンゲンの歌』ではハゲネがズィーフリトを殺したあとその剣を帯び、『エッケの歌』でもディートリヒが倒したエッケの剣を身につける」と指摘している(寺田龍男1995, p.277)。

そのため、「個々の語り素材にも大きな注意を払おうとする」英雄叙事詩の作者/編者は、個別の戦闘を語る際にあたって、主人公の兜が傷つき、壊れるさまを語る必要があったと考えられる。個別の場面を、その場面に相応しく語ることを優先するなら、主人公の兜は壊れた方が良いのである。しかし、その一方で「ディートリヒの兜はヒルデグリムという名である」という常識は変わらずに維持される。すると、戦闘のたびにヒルデグリムは傷つき壊れるが、場面が転換して別のエピソードが始まると、ディートリヒは再びヒルデグリムをかぶることになるのである。物語の総体として辻褄が合わない、という点は、そこでは大きな問題とはならない※7。ヒルデグリムは、その名が著名になったことによって、何度でも甦る"魔法の力"を得たわけである。

※5 : ヒルデグリム(Hildegrim)はテッツナー版にも登場するが、その「ヒルデグリム」という名称は、ディートリッヒではなく、ヒルトがつけたことになっている(下p.347)。また、テッツナーは本文中でヒルトのことを「こびとの妖精のヒルト」と呼んでおり(下p.347)、グリムについても巨人だとは明言していない点が他書とは異なっている。ただ、上巻巻末の語彙集では、グリムを「巨人」(p.295)、ヒルトを「女巨人、巨人の姿をした妖怪」(p.303)としており、記述に混乱がみられる。

※6 : 最近読んだ12世紀の仏語韻文ロマンス、クレチアン・ド・トロワの『イヴァンまたは獅子の騎士』から例を挙げるなら、例えば、主人公イヴァンがピール・アヴァンチュールの城で「悪魔の息子たち」と戦う場面に次のような記述がある(以下、引用はすべて菊池淑子『クレティアン・ド・トロワ『獅子の騎士』』1994より)。「悪魔の息子は二人でイヴァン殿に飛びかかって、幾度も棍棒で激しくなぐったので、彼の盾も兜も防衛の用をなさなくなった。兜は壊れ、盾には棍棒の先が突き刺さって氷のように割れ、握り拳が入るほどの大きな孔があいた」(p.131)。また、イヴァンとその戦友ゴーヴァンが、お互いに相手が誰かを知らないままに一騎打ちをする場面でも、「しかし間もなく、彼らの兜も盾もでこぼこにへこみ、ひびが入った」(p.141)、「長い間戦い、兜も盾も割れたとき、彼らは少し後退して体を休め、ひと息ついた」(p.142)といった記述がある。

※7 : ここに見られるような、矛盾を許容するある種の「仕組み」は、マロリーにおけるエクスカリバーの問題を考える上で非常に示唆に富んでいると思われるが、その点に関してはエクスカリバーの項で詳しく触れることにしたい。ちなみに、「物語の総体として辻褄が合わない」箇所というのは、現代の小説や漫画にもしばしば見られるのではないだろうか。例えば、読み切りのつもりで書いたものを、人気が出たためにシリーズ化した場合、その(読み切りのつもりで書いた)第一作と、二作目以降で設定に若干の齟齬が生じる、といった場合である。ここで私の念頭にあるのは、昔よく読んだ神坂一の『スレイヤーズ』シリーズや、今市子の『百鬼夜行抄』だが、いずれも著者自身があとがきで言い訳をしていたように記憶している。本ページの考察を踏まえるなら、その齟齬を許容できるかどうかは、受け手である我々の判断によるわけである。



〈おまけ:「ディートリヒ叙事詩」について〉

「ディートリヒ叙事詩」(Dietrichepik)とは、中高ドイツ語で書かれた、ディートリヒ・フォン・ベルンを主人公とする叙事詩の総称である。有泉泰男によれば、互いに関連しつつも、それぞれに独立した12篇が伝存し、その内容から(1)歴史もの(historische Dietrichepik)、(2)冒険もの(aventiurhafte Dietrichepik)、(3)その他の三つに分類されているという。すなわち、歴史もの3篇(Alpharts Tod, Dietrichs Flucht, Rabenschlacht)、冒険もの6篇(Eckenlied, Goldemart, Laurin, Sigenot, Virginal, Wuderer)、その他2篇(Biterolf, Rosengarten)、そして、断片でのみ残る Dietrich und Wenzelan である。このうち、リヒター&ゲレスの『ドイツ中世英雄物語III』(1997訳)に収録されているのは9篇で、タイトルに若干の異同があるものの、以下のように対応すると考えられる。

分類欧文タイトル邦訳タイトルリヒター&ゲレス
(1)歴史ものAipharts Tod『アルプハルトの死』「アルプハルトの死」(8)
Buch von Bern
/Dietrichs Flucht
『ベルンの書』
/『ディートリヒの逃走』
「ディートリヒの逃走」(7)
Rabenschlacht『ラヴェンナの戦い』「ラヴェンナの戦」(9)
(2)冒険ものEckenlied『エッケの歌』「エッケの旅立ち」(3)
Goldemar『ゴルデマール』×
Laurin『ラウリーン』「小人王ラウリン」(5)
Sigenot『ズィゲノート』「ジーゲノート」(2)
Virginal
/Dietrichs erste Ausfahrt
『ヴィルギナール』
/『ディートリヒの初めての出征』
「ディートリヒの最初の旅」(1)
Wunderer『怪物』×
(3)その他Biterolf『ビーテロルフ』「ビーテロルフとディートライプ」(4)?
Rosengarten
/Der Rosengarten zu Worms
『薔薇の園』
/『ヴォルムスの薔薇園』
「バラの園」(6)
(断片)Dietrich und Wenzelan×

邦訳タイトルは有泉泰男、寺田龍男、渡邊徳明、會田素子の各論考、ブムケの『中世の騎士文化』(1995訳)から適宜採用した※8。また、リヒター&ゲレスの各項に付した数字は、『ドイツ英雄物語III』での所収順である。やや問題があるのは、「ビーテロルフとディートライプ」で、相良守峯の『ドイツ中世敍事詩研究』(初版1948)にある『ビテロルフ』の概略との間にはかなりの齟齬がある。

相良によれば、中高ドイツ語で書かれた『ビテロルフ』(Biterolf)は、「トレドーの王ビテロルフがエッツェルの宮廷に來つて息子ディートルライプ(Dietrleib)に再會し、二人はディートリヒ・フォン・ベルンと共にウォルムスに來つてブルグント勢と戰争をする。その際ディートリヒとジークフリートと試合をして前者が勝を制する條が全篇の物語の山をなすものである」という(p.149-150)。E・J・ゲルリヒの『新訳 オーストリア文学史』(清水健次訳2005)でも、「ビーテロルフ」に一言「トレードの王の名」との訳注が付いている(p.31)。一方、リヒター&ゲレスの「ビーテロルフとディートライプ」では、主人公は明らかに(ビーテロルフではなく)息子ディートライプである。また、ディートライプは一人でジークフリートと戦い、その後、ディートリヒのもとに向かう筋立てになっている。これは写本の相違というには、あまりに差が大きい気がする。調査継続中。

なお、リヒター&ゲレスに所収されない3篇のうち、『ゴルデマール』には(これも「有難い」ことに)原典からの邦訳がある(寺田龍男「翻訳と解説 アルブレヒト・フォン・ケメナーテン:『ゴルデマール』」『ノルデン』30, 1993)。寺田によれば、『ゴルデマール』の成立は13世紀の初め頃で、作品冒頭の9詩節あまりが断片として伝わるに過ぎない。しかし、その作品の冒頭で作者が自ら名乗っており、アルブレヒト・フォン・ケメナーテンの手になるものであることが分かっている(p.74-75)※9。また、タイトルになっている「ゴルデマール」は、作中に登場する侏儒の王である。

※8 : 寺田龍男によれば、これらの作品タイトルは研究などの便宜のためにあとからつけられたものである。『ゴルデマール』、『ラウリーン』、『ヴィルギナール』などは、登場人物の名がそのままタイトルになっているが、彼らが各作品の主人公というわけではない。主人公はいずれもディートリヒ・フォン・ベルンである(寺田龍男1993, p.75)。

※9 : 寺田によれば、同じジャンルで「作者」が作中で自ら名乗っている例には、『ラウリーンD』のハインリヒ・フォン・オフターディンゲン、『ベルンの書』のハインリヒ・デァ・フォーグラー、『ヴォルフディートリヒD』のヴォルフラム・フォン・エッシェンバハがある。しかし、『ラウリーン』と『ヴォルフディートリヒ』は、作品に権威を与えるための完全なフィクションであるとされ、『ベルンの書』でもハインリヒなる人物が書いたのは名乗った文の前後のみであると考えられているらしい。そのため、「本物らしい作者」は、このアルブレヒト・フォン・ケメナーテンのみであるという(p.75)。


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2004/10/17:初版
2007/01/27:「表記」欄を追加、細部修正
2007/06/14:有泉泰男・寺田龍男らの研究論文により本文・〈考察〉を改訂、〈おまけ〉を追加
2007/06/15:細部を修正
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