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エクスカリバー(Excalibur / エスカリボール(Escalibor
/ カレトヴルッフ(Caledfoulch/Kaledfoulc'h
/ カリブルヌス(Caliburnus
/ カリボルヌ(Caliborne) / カリベオルネ(Calibeorne
/ コルブランド(Collbrande) / キャリバーン(Caliburne

分類聖剣 or 魔剣
系統アーサー王物語群
主な出典 ◇『キルッフとオルウェン』(Culhwch ac Olwen, 12世紀前半)
◇ジェフリー・オヴ・モンマス 『ブリタニア列王史』(Historia Regum Britannie, 1136頃)
◇ワース 『ブリュ物語』(Roman de Brut, 1155)
◇クレチアン・ド・トロワ 『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』(Percevel ou le Conte du graal, 1185頃)
◇ラヤモン 『ブルート』(Roman de Brut, 1205
◇流布本 『アルチュールの死』(Mort Artu, 1230頃)
◇流布本 『メルラン』(Melrin, 1230-1235頃)
◇頭韻詩 『アーサーの死』(Alliterative Morte Arthure, 1360頃)
◇八行連詩 『アーサーの死』(Stanzaic Le Morte Arthur, 1400頃)
◇トマス・マロリー 『アーサーの死』(Le Morte Darthur, 1485)
詳しくは〈考察・特大版〉を参照。
参考文献 ◇T.マロリー(W.キャクストン編, 厨川文夫, 厨川圭子編訳)『アーサー王の死 中世文学集 I 』 筑摩書房, 1986.9(1971.12)
◇リチャード・バーバー(宮利行訳)『アーサー王 その歴史と伝説』 東京書籍, 1983.10
◇清水阿や訳 『八行連詩 アーサーの死』 ドルフィン・プレス, 1985.2
◇清水阿や訳 『頭韻詩 アーサーの死』 ドルフィン・プレス, 1986.7
◇新倉俊一, 神沢栄三, 天沢退二郎訳 『フランス中世文学集2 ―愛と剣と―』 白水社, 1991.6
◇新倉俊一, 神沢栄三, 天沢退二郎訳 『フランス中世文学集4 ―奇蹟と愛と―』 白水社, 1996.4
◇清水阿や訳注 『英和対訳 中世韻文アーサー物語 三篇』 ドルフィン プレス, 1994.11
◇ローナン・コグラン(山本史郎訳)『図説 アーサー王伝説事典』 原書房, 1996.8
◇C・スコット・リトルトン, リンダ・A・マルカー(辺見葉子, 吉田瑞穂訳)『アーサー王伝説の起源』 青土社, 1998.10
◇中野節子訳 ; 徳岡久生協力 『マビノギオン 中世ウェールズ幻想物語集』 JULA出版局, 2000.3
◇ベルンハルト・マイヤー(鶴岡真弓監修, 平島直一郎訳)『ケルト事典』 創元社, 2001.9
◇ジャン・マルカル(金光仁三郎, 渡邉浩司訳)『ケルト文化事典』 大修館書店, 2002.7
◇トマス・マロリー(井村君江訳)『アーサー王物語 I 』 筑摩書房, 2004.11
◇中央大学人文科学研究所編 『続 剣と愛と 中世ロマニアの文学』 中央大学出版部, 2006.11
◇ジェフリー・オヴ・モンマス(瀬谷幸男訳)『アーサー王ロマンス原拠の書 ブリタニア列王史』 南雲堂フェニックス, 2007.9
◇鈴木徹也 「ウァース : 「ブリュ物語」の"アルテュール王一代記"試訳」 『帝京女子短期大学紀要』14-17,19-21,23, 1994.1-2003.1
◇Edmund Brock, Morte Arthure or, The death of Arthur, Kegan Paul, Trench, Trübner & Co.(E.E.S.T. Orig.8), 1871(初版1865)
◇J. Douglas Bruce, Ph.D., Le Morte Arthur, Kegan Paul, Trench, Trubner & Co.(E.E.S.T. Ext.88), 1903
◇Chrétien de Troyes ; William Roach, Le Roman de Perceval ou le conte du Graal, Droz (Genève) / Giard (Lille), 1956

出典・参考文献別表記等一覧
出典表記参考文献語意・語源
◇『キルッフとオルウェン』◇カレトヴルッフ
  (Caledfoulch/Kaledfoulc'h)
◇中野訳(2000)
◇カラドヴルフ(Caledfwlch)※コグラン『伝説事典』calad(硬い)bolg(稲妻)に由来するアイルランド語の「カラドボルグ Caladbolg」と同じ語
◇カレドヴルフ(Caledfwlch)※マイヤー『事典』アイルランド語の Calad-Colc またはCalad-bolg に対応する
◇カレトヴルッフ(Kaledvoulc'h)
◇カレドヴルッフ(Caledfoulch)
※マルカル『文化事典』「硬い稲光り」または「硬い雷」(「硬い」には「激しい」の意もある)
◇ジェフリー
  『ブリタニア列王史』
◇カリブルヌス(Caliburnus) ◇瀬谷訳(2007)ラテン語の"カリブ"(chalybs)「鋼鉄」に由来
※マイヤー『事典』「鋼鉄」を意味する「カリュブス」(Chalybs)から派生
※小路(2006)ラテン語のchalybs「鋼」が元になっている可能性を示唆(ヴィナーヴァの説)
◇ワース
  『ブリュ物語』
◇カリボール(Calibore)
◇カリボルヌ(Caliborne)
◇鈴木抄訳(1994-2003)
◇カリボール
◇Chaliburn, Calibore, Calibuerne
※小路(2006)
◇ラヤモン
  『ブルート』
◇カリベオルネ
◇Calibeorne
※小路(2006)
◇クレチアン
  『ペルスヴァル』
◇エスカリボール◇天沢訳(1991)
◇Escalibor◇Roach 校訂本(1956)
◇流布本 『アルチュールの死』◇エスカリボール◇天沢訳(1996)
◇流布本 『メルラン』◇エスカリボール(Escalibor)※小路(2006)
◇頭韻詩 『アーサーの死』◇コルブランド(Collbrande)◇清水訳(1986)
 (欧文表記は E.E.S.T.)
'coal-brand'(松明)の意から来たとも言われる
◇キャリバーン(Caliburne)
◇キャリバーン(Calaburne
◇キャリバーン(Clayburne
◇八行連詩 『アーサーの死』◇エクスキャリバー(Excalaber)◇清水訳(1985)
 (欧文表記は E.E.S.T.)
◇マロリー
  『アーサーの死』
◇エクスカリバー◇厨川抄訳(1971)
◇井村訳(2004-)湖の貴婦人曰く「『切り裂く鋼』という意味」
◇エクスキャリバー※清水訳『頭韻詩』後註
◇その他 事典・概説◇エクスカリバー(Excalibur)◇コグラン『伝説事典』ウェールズ名は「カラドヴルフ Caladvwlch」
◇マイヤー『事典』
◇マルカル『文化事典』カレトヴルッフの変形したもの
◇エクスカリバー(Excakubus)◇鈴木抄訳『ブリュ物語』後註


〈注意!:本ページは改訂中です〉

本項目は、初版に十分な情報がなかったため、現在、全面的な改訂を行っています。しかし、改訂の終了までには少なくとも数年を要することが予測されるため、書いた部分から公開する、という方針をとっています。したがって、このページの記述には不完全な箇所が少なくありませんが、初版よりは幾分なりとも改善されているはずです。完成まで気長にお待ち下さい。



◆アーサーの愛剣エクスカリバー

サー・トマス・マロリー(Sir Thomas Malory)によって書かれ、1485年にウィリアム・キャクストン(William Caxton)によって出版された『アーサーの死(Le Morte Darthur)』において、アーサー王の剣は「エクスカリバー」と呼ばれている。この所謂キャクストン版『アーサーの死』と、その作者マロリーについては、後段の〈考察・特大版〉で詳述するが、ごく簡単に説明するなら、13世紀の仏語散文物語や14世紀の英語頭韻詩『アーサーの死』などを原拠に、アーサー王物語を集大成したものである。

「アーサー(Arthur)」という人物について一言で説明するのは難しいが、ローナン・コグランの『図説アーサー伝説事典』(1993原著/1996訳)は、「ブリテンの伝説的な王」と(p.42)、ベルンハルト・マイヤーの『ケルト事典』(1994原著/2001訳)は、「ブリトン語派ケルト人の伝説上最も重要な人物」とまとめている(p.8)。アーサーに関する初期の文献、9世紀にネンニウスによって書かれたとされる『ブリトン人の歴史』では、アーサーはブリトンの諸王とともにサクソン人に立ち向かった「戦闘隊長(dux bellorum)」であって、自身は王ではない。それが、1136年頃に書かれたジェフリー・オヴ・モンマスの『ブリタニア列王史』では、大陸まで遠征して勝利を収めたブリタニアの偉大な王とされている。この『ブリタニア列王史』はラテン語で書かれていたが、1155年、ワースによって当時の俗語アングロ・ノルマン語に移され、広く読まれるようになる。その後、12世紀後半に、詩人クレチアン・ド・トロワによって書かれた韻文物語によって、騎士ランスロットや聖杯の物語が加えられ、中世キリスト教世界の封建君主としてのアーサーとその騎士たちの物語は、ヨーロッパ中で作られるようになるのである※1

「エクスカリバー」の語意・語源については、コグランの『図説アーサー伝説事典』(1993原著/1996訳)に、「エクスカリバーのウェールズ名は「カラドヴルフ Caladvwlch」で、これはアイルランド語の「カラドボルグ Caladbolg」と同じ語である」との記述がある(p.84)。また、ジャン・マルカルの『ケルト文化事典』(1999原著/2002訳)も、「エクスカリバー(Excalibur)という名前は,ウェールズ語で「カレトブルッフ」(Caledfwlch)となったブリトニック語に由来し,「激しい雷」を意味するゲール語の「カラドボルグ」(caladbolg)と同じ系列の語である」と述べている(p.28)。つまり、英語「エクスカリバー」は、ウェールズ語「カレトブルッフ/カラドヴルフ」及びアイルランド語「カラドボルグ」と類縁関係にあるらしいのである。ちなみに、「カレトブルッフ/カラドヴルフ」は、ウェールズの散文物語に登場するアルスル(アーサー)の剣の名前で、詳しくは後段の〈考察・特大版〉で扱っている。一方、「カラドボルグ」は、アイルランドの神話・伝説に登場する剣の名で、こちらは不十分な内容ながら別項を立てている(「カラドボルグ」の項)。

※1 : 以上、アーサー王については、コグランとマイヤーの両事典のほか、渡邉浩司「アーサー王物語の淵源をケルトに探る」(ジャン・マルカル『ケルト文化事典』(2002訳)所収)や、井村君江「解説 アーサー王世界の見どころ」(トマス・マロリー著『アーサー王物語 I 』(2004訳)所収)などを参照。ただし、アーサー王について簡潔に過不足なく説明するなど、半端な知識しか持っていない素人には無理な相談である。本文も『キルッフとオルウェン』に触れていないなど、満足なものとは言えない。突っ込んで色々考えたい、自分でアーサー王について何か書きたいという方は、コグランやマイヤー、マルカルの事典に当り、クレチアンやマロリーなど、邦訳のある中世アーサー王文学に直接触れていただきたい。


◆二振りのエクスカリバー

後段で詳しく述べるように、キャクストン版『アーサーの死』において「エクスカリバー」と呼ばれる剣は二本存在する。一本目はアーサーがイングランドの正統な王位継承者であることの証として石から引き抜き、後に折れてしまう剣。二本目は「湖の貴婦人」からもらい、後にベドヴィア卿によって湖に返される剣である。しかし、キャクストン版に限定するなら、厨川氏も指摘している通り(後述)、一本目を「エクスカリバー」と呼んだのはマロリーの「ミス」であり、二本目こそが「エクスカリバー」の名を持つ剣である、と考えるのが最も妥当な解釈だと思われる。その理由については、後段の〈考察・特大版〉をお読みいただきたいが、例えば、コグランの『図説アーサー王伝説事典』(1993原著/1996訳)も、エクスカリバーについて「「湖の姫」がアーサーに与えた剣」と明言しているし(p.84)、マルカルの『ケルト文化事典』(1999原著/2002訳)も、「ウーゼル・ペンドラゴンに王位継承者として白羽の矢が立ったときに,若きアーサーは,石段に突き刺さっていた剣を抜き取るが,エクスカリバーはこの剣ではなく,「湖の貴婦人」,別名ヴィヴィアンによって「異界」からもたらされ,アーサーに渡されたもう一方の剣のほうである」と述べている(p.27-28)※2

問題は、キャクストン版以前である。ウィンチェスター版(後述予定)でも事情は変わらないようなので、マロリー以前と言っても良い。この問題については小路邦子の「エクスカリバーの変遷」(『続 剣と愛と』(2006))が詳しいので、これを参照しよう。小路によれば、正当な王位継承者にしか抜けない剣のモチーフが最初に登場するのは、13世紀初頭にフランス語で書かれたロベール・ド・ボロンの『メルラン』である。ただし、ここでは剣の名は明示されていない。その名が明らかになるのは、やはり13世紀にフランス語で書かれた流布本の散文物語『メルラン』で、その剣は「エスカリボール Escalibor すなわちエクスカリバー」と呼ばれている。一方、戦いで剣を折り、マーリンの導きによって湖で新たな剣を手に入れる、というエピソードは、同じく流布本の散文物語『続メルラン』に登場する。そして、この新たな剣の名も小路によれば「エクスカリバー」(原典ではおそらくエスカリボール)である。また、アーサーの剣「エスカリボール/エクスカリバー」が最期の戦いの後、水に投げ入れられる、というエピソードは、流布本の散文物語『アルチュールの死』や、14世紀に英語で書かれた八行連詩『アーサーの死』に登場している。

つまり、元々二本の「エスカリボール」が存在する状態だったフランスの流布本物語群を参照し、それを比較的忠実に翻訳・集成したために、マロリー作品においても二本の「エクスカリバー」が存在することになった、と考えられるのである。これを矛盾とは考えず、二本目は一本目が鍛え直されたものとする解釈も存在するが※3、少なくとも中世の物語の中にそのような記述は見当たらないと思われる。また、そもそも中世の物語作家に対して、どの程度「作品の一貫性」と言ったものを求めるべきなのか、私には判断できない。リチャードー・バーバーは『アーサー王 その歴史と伝説』(宮利行1983訳)の中で「これらはロマンスであって神学教師や哲学者の作品ではないのだし、主題そのものが合理的な自然の節理に反する出来事で溢れているのだから」、「一貫性を期待するのは、馬鹿げている」と述べているが(p.188)、その主張にも一理あるだろう。

※2 : キャクストン版(厨川訳及び井村訳)を読む限り、石に突き刺さった剣が現われるのはアーサーの父であるウーゼルの死後なので、この引用部分はキャクストン版と矛盾する。キャクストン版に従うなら、少なくとも「ウーゼル・ペンドラゴンが王位継承者として白羽の矢を立てたときに,若きアーサーは,石段に突き刺さっていた剣を抜き取るが…」とすべきだろう(すなわち、王位継承者として白羽の矢を立てられたのは、ウーゼルではなくアーサー)。誤訳だろうか。マルカルの『ケルト文化事典』は、「ウーゼル・ペンドラゴン Uther Pendragon」の項で、「ウーゼル伝説は,ネンニウスが著した『ブリトン人の歴史』(800頃)の写本の誤読から生まれたもの」で、「「ウーゼル(ユテル)」に相当する utr という語は,アーサーに付けられていた添え名にすぎない」と述べている(p.25)。これに従ってウーゼル=アーサーとすれば、意味が通らないこともないが。

※3 : 例えば、小路邦子の「エクスカリバーの変遷」(『続 剣と愛と』(2006))や、C・スコット・リトルトン+リンダ・A・マルカーの『アーサー王伝説の起源』(1998訳)を参照。本頁でもいずれ詳述する予定。ちなみに、小路の解釈にはそれなりの説得力があるが、リトルトン+マルカーのこの剣に関する主張には、私の知識レベルでは事実誤認としか思えないようなものが含まれていて困惑する。もう少し勉強してからあらためて。



〈考察・暫定版:エクスカリバー分裂の理由〉

とは言うものの、一見矛盾していることは間違いないわけで、このような物語が成立するには、相応の理由があったはずである。そこで、エクスカリバー伝承の変遷に関して、一つ仮説を立ててみた。念のために言っておくが、以下に述べるのは素人の妄想であって、こんな学説はおそらく存在しない。というより、きちんと先行研究を漁ってない(出来ない)人間の言っている戯れ言である。くれぐれも本頁を読んだだけで、余所で「〜という説がある」などと言いふらさないように。当然ながら、私の知識の増加に伴って、考えが変更される余地は多分にある。なお、エピソードの変遷・追加の過程で、剣の名は様々に綴られたはずだが、煩雑なので、ここではすべて「エクスカリバー」で統一している。

  第一段階:
(A)アーサー王の剣の名はエクスカリバーである。
(B)エクスカリバーはアヴァロンの島(ケルト的異境)で作られた。
  まだ剣の入手に関するエピソードは存在しない。ジェフリーやワースの段階。
   
  第二段階:
(C)アーサー王は石から剣を抜いて王位に就く。
  剣は無名。例えば、ロベール・ド・ボロン版『メルラン』。
(D)エクスカリバーは最期の戦いの後、水に投げ入れられる。
  (C)の成立とは無関係。例えば、流布本『アルチュールの死』や八行連詩『アーサーの死』。
   
  第三段階:
(E)アーサー王は石からエクスカリバーを抜いて王位に就く。
  (C)が(A)を踏まえて発展したもの。(B)は無視されている。例えば、流布本『メルラン』。
(F)持っていた剣が折れ、湖で新たな剣エクスカリバーを入手。
  (A)(B)(C)(D)を踏まえたエピソード。すなわち、キリスト教色の強い(C)で入手した剣をエクスカリバーと見なさない場合、(C)とは別にエクスカリバー入手のエピソードを作る必要が生じる。アヴァロンの島で作られ、最期は水に投げ入れられる剣の入手方法として考案されたのが、このエピソード、という推測。例えば、流布本『続メルラン』。
   
  第四段階:
(G)石から引き抜かれ後に折れる剣も、湖で入手し後に湖に返される剣もエクスカリバー。
  (A)(B)(D)(E)(F)を単純に寄せ集めたもの。(E)と(F)は矛盾しているが…。例えば、マロリー版『アーサーの死』!


〈考察・特大版:アーサー王の剣・原典総覧〉

アーサー王の剣に関連する記述を出来る限りたくさん集めよう、という企画。「考察」と銘打ってはいるものの、実際に十分な「考察」が可能になるまでには、かなりの時間を要すると思われ、それまでは資料集成的な意味合いが強くなると思われる。これをふまえた暫定的な考察内容は、前段の〈考察・暫定版〉に示す。現状では、「ウェールズの伝承物語」「『ブリタニア列王史』とその後の展開」「クレチアンとフランス中世ロマンス」「本国への帰還―英語の韻文物語」「マロリーによる集大成」の五章立て。


I. ウェールズの伝承物語


◆作者不詳 『キルッフとオルウェン』(Culhwch ac Olwen, 12世紀前半)

ウェールズ語で書かれた散文物語で、アーサー王物語としては現存最古の作品と言われる。『レゼルッフの白い本』(Llyfr Gwyn Rhydderch, 1300-1325, ウェールズ国立図書館蔵)と、『ヘルゲストの赤い本』(Llyfr Coch Hergest, 1375-1425, オクスフォード大学のジーザス・カレッジ所蔵)の二つの写本に現存する中世ウェールズ散文物語集、所謂『マビノギオン』(Y Mabinogion)の第七話。アルスル(アーサー)の従兄弟キルッフが、巨人の長イスバザデンの娘オルウェンに求婚。イスバザデンから39(『赤い本』では38)もの試練を課されるが、アルスルたちの助力を得て、それらの試練を乗り越えていく様を描く※1

本作品において、アルスルは「カレトヴルッフ」という名の剣を所持している。その名は物語中に2度、登場しているので、これを順に見て行きたい。前後の文脈は次の通り。キリッズの息子キルッフは継母に、巨人の長イスバザデンの娘オルウェンをかち得るまで結婚できない、という呪いをかけられる。キルッフが父に相談すると、彼の従兄弟にあたるアルスルに頼むと良い、と助言される。そこでキルッフはアルスルの宮廷に出向き、贈り物をねだる。以下、これに答えるアルスルの台詞。引用は中野節子訳(2000)から。

 アルスルが言った。「ここで手に入れられぬとしても、若者よ。風が乾かし、雨が濡らし、太陽が巡り、海が広がり、大地が続くかぎり、御身の考えの中にあり、口にされたものは、かならずさしあげよう。ただし、わが船とマント、わが剣カレトヴルッフ、わが槍ロンゴミニアト、わが楯ウィネブ・グルスヴッヘル、わが短剣カルンウェンハン、そしてわが妻グウェンホヴァルを除いたものならば、ということだが」(p.164)

キルッフはオルウェンを贈り物に望み、アルスルは彼女を探すために各地に使者を派遣する。オルウェンが見つかると、アルスルの戦士たちはキルッフとともにイスバザデンと面会。イスバザデンは39の試練を挙げて、そのすべてを成し遂げることが出来たら、娘をやろうと約束する。その中の一つが、イウェルゾンびとディウルナッハの大釜を手に入れることで、これを手に入れるため、アルスルはベドウィルらわずかな軍勢だけを連れて彼の船プリトウェンに乗り、イウェルゾン(現在のアイルランド)にあるイウェルゾンびとディウルナッハの家へ向かった。しかし、ディウルナッハが大釜の譲渡を拒むと、ベドウィルはこれを奪い…(以下引用は同じく中野節子訳(2000)から)

イウェルゾンびとスェンスェアウクは、カレトヴルッフをつかむと円を描いてふりまわし、イウェルゾンびとディウルナッハとその軍勢をみな殺しにしてしまった。(p.206)

さて、当初、明確にアルスルの剣として言及された「カレトヴルッフ」は、2度目の登場では、アルスル方の戦士「ガモン・ペンティルからやって来た」(p.168)イウェルゾンびとスェンスェアウクが用いている。アルスルが貸し与えたのだろうか。それとも同行していたアルスルから勝手に借り受けたのか。これだけではよく分からないが、164頁の「カレトヴルッフ」に中野は、「(Caletuwlch/Kaletvwlch) 後のアーサー王のエクスカリバー(Excalibur)のことか」と注している(p.427)。

※1 : 以上、『キルッフとオルウェン』については、中野節子訳の『マビノギオン 中世ウェールズ幻想物語集』(2000)所収の「解説」を主に参照。渡邉浩司の「アーサー王物語の淵源をケルトに探る」(『ケルト文化事典』(2002)所収)などで一部補った。


◆作者不詳 『ロナブイの夢』(Breudwyt Ronabwy, 12世紀末頃)

ウェールズ語で書かれた散文物語。所謂『マビノギオン』の第八話だが、『レゼルッフの白い本』からは完全に失われており、唯一『ヘルゲストの赤い本』に完全稿をとどめる。冒頭に言及されるマレディズの息子マダウク(Madawc uab Maredud(d))が1159年に亡くなった歴史上の人物であることから、この物語の採録時期は、12世紀末頃と推定されている。

翻訳あり。読了。詳細執筆中。


II. 『ブリタニア列王史』とその後の展開


◆ジェフリー・オヴ・モンマス 『ブリタニア列王史』(Historia Regum Britannie, 1136頃)

中世ラテン語で書かれたイギリスの歴史物語。全12巻。ブリタニアの伝説的な建国者ブルートゥスから1900年間にわたるブリタニアの列王史で、なかでも全編の三分の一を占めるアルトゥールス(アーサー)王の物語は全ヨーロッパに流布した。作者のジェフリー・オヴ・モンマス(Geoffrey of Monmouth(ラテン語名ガウフリドゥス・モネムテンシス Gaufuridus Monemutensis), 1100頃-1155)は、南ウェールズのグウェント地方生まれで、後にベネディクト派の修道士となったラテン語の年代記作家。晩年の1152年には北ウェールズ、セント・アサフの司教に就任している(以上、瀬谷幸男訳(2007)の訳注による)。

ベルンハルト・マイヤーの『ケルト事典』(原著1994/平島直一郎訳2001)「カレドヴルフ」の項には、「モンマスのジェフリーによれば、アーサー王の剣はカリブルヌス Caliburnus (カリュブス chalybs/gr.,lat. 《鋼鉄》から派生)と呼ばれ、その後アーサー王物語群が形成される中でエクスカリバー Excalibur となった」とある(p.68-69)。瀬谷幸男訳『ブリタニア列王史』(2007)によれば、同書においてカリブルヌスの名が登場するのは、全部で五回である。そのすべてを引用すれば、以下の通り。

しかし、アルトゥールス自身はかくも偉大な王にふさわしい甲冑を身につけて、竜の像が彫られた黄金の兜で頭上を覆った。そして、彼の両肩にはプリドウェンと呼ばれる丸い楯をかけたが、その楯の上には主なる神の御母である聖母マリアの姿が描かれていた。そのため彼は聖母を絶えず心に思い描いていたのである。さらに、アルトゥールスはアヴァロンの島で鋳造された比類のない名剣カリブルヌスを帯刀していた。そして、ロンという名で呼ばれた槍が彼の右手に握られていた。この槍は切っ先が鋭く幅も広くて殺傷にまことに適していた。(p.255, 第9巻147章)
 この日も大部分がこうして過ぎ去ると、アルトゥールスは自軍の進軍が緩慢であり、思うように勝利を収められないために逆上した。したがって、彼は名剣カリブルヌスを抜いて、聖母マリアの名を大声で叫び、自ら敵の密集隊形のなかに全速力で突撃した。そして、遭遇する人は相手かまわず誰でも、主なる神の名を叫びながら一撃のもとに切り捨てた。アルトゥールスは一瞬たりとも攻撃の手をゆるめず、遂に彼は名剣カリブルヌスで四百七十人をも殺害した。(p.256, 第9巻147章)
したがって、アルトゥールスが甲冑や楯が流血で赤く染まったのをみると、彼はさらに激しい怒りの炎に燃えて、全力で名剣カリブルヌスを振りかざし、フロロの頭上にその剣を振り下ろして彼の革の兜をふたつに切り裂いたのである。すると、フロロはこの一撃を受けて大地に崩れ落ち、両足の踵で地面を打ちならしながら、彼の魂は天界へと解き放されたのである。(p.265, 第9巻155章)
アルトゥールス自身はその直前に彼の部下たちが殺戮されたことを知っていたので、彼は部隊を先導して突進し、大声で彼の名剣カリブルヌスを抜き、仲間を勇気づけてこのようにいった。「諸君はいったい何をしているのか。これらの女々しいローマ人たちを無傷で逃げさせるつもりなのか!(後略)」(p.308, 第10巻174章)
したがって、ローマ人たちは、さながら羊の群れが、激しい飢えに苦しみ偶然に目に入ったものは何であれ、貪り喰らおうとする獰猛な獅子を避けるように、アルトゥールスから逃れていった。彼らの鎧も全く役には立たず、かくも強力な王の右手で振り回された名剣カリブルヌスは彼らの血を流して息絶えさせた。不運にも、リビアの王セルトリウスとビティニアの王ポリテテスがアルトゥールスと遭遇すると、アルトゥールスはふたりの頭部を斬り落とし地獄へ送ったのである。(p.308, 第10巻174章)

一つ目の引用箇所(147章)は、戴冠して間もないアルトゥールスが、ケルドリクス率いるサクソン人たちを相手に戦いの準備をする場面。二つ目はそれに続く場面で、この直後、サクソン側ではコルグリヌスとその弟バルドゥルフスが倒れ、ケルドリクスは残りの兵とともに敗走する。三つ目(155章)は場面が変わり、アルトゥールスがグエンフウァラと結婚、その名声が遍く知れ渡った後、ガリアを征服した際の一場面。文中のフロロはローマの属州であったガリアの総督である(ただし訳注によれば、実在の人物か否かは不明)。パリシウスの街に立て籠もったフロロの軍をアルトゥールスたちが包囲。飢えに苦しめられたフロロはアルトゥールスに一騎討ちを申し込み、これをアルトゥールスは喜んで承諾。二人は激しく戦うが、引用した箇所から分かる通り、最後はアルトゥールスが勝利する。

四つ目と五つ目(174章)はさらに場面が変わり、ローマ皇帝ルキウス・ヒベルスから朝貢を要求されたアルトゥースがこれを拒否。大陸に進軍してローマ軍と戦う場面。戦場はレングリアの街からオータンの街に至る途中、セッシアと呼ばれる谷である。この後、皇帝ルキウス自身もブリトン兵(名前は明らかになっていない)の槍に貫かれて死に、ローマ軍は潰走。ブリトン側は苦戦を強いられながらも戦いに勝利する。

訳者の瀬谷は「カリブルヌス」に付した訳注で、「この名はラテン語の"カリブ"(chalybs)「鋼鉄」に由来する。したがって、"エクスカリバー"とは「鋼鉄から造られた(剣)」ということになろう」と述べている(p.280)。なお、ローマとの戦いの後、アルトゥールスは甥であるモードレドゥスの裏切りの知らせを聞いてブリタニアに帰還。戦闘で彼らを打ち破るが、そこにカリブルヌスへの言及はない。また、アルトゥールス自身もこの戦いで瀕死の重傷を負い、傷を癒すためにアヴァロンの島に運ばれる。その後、カリブルヌスがどうなったのか、ジェフリーは明らかにしていない。


◆ワース 『ブリュ物語』(Roman de Brut, 1155)

ジェフリーの『ブリタニア列王史』を、当時の俗語であるアングロノルマン語(古フランス語の一方言)の韻文に翻訳したもの。翻訳者は年代史家で詩人でもあったロベール・ワース(Robert Wace, 1110頃-1175以降)。ワース自身は、これを『ブリトン人の武勲詩(La Geste des Bretons)』と呼んだ様だが、一般には『ブリュ物語(Roman de Brut)』の名で呼ばれる。『列王史』を自由に翻案したもので、ジェフリーの原作約6000行が、アングロノルマン語8音綴約15000行に拡大されている。特に、「円卓(La Table Ronde)」の挿話は『列王史』には見えず、この『ブリュ物語』で初めて登場する※3

『ブリュ物語』の日本語による全訳は存在しないようだが、アーサー王伝説に関係する部分については、鈴木徹也が「ウァース : 「ブリュ物語」の"アルテュール王一代記"試訳」と題して、対訳の形式で邦訳を発表している(『帝京女子短期大学紀要』14-17,『帝京大学短期大学紀要』19-21,23, 1994-2003)。これを参照すると、アーサー王の剣の名は、合わせて6回登場しており、最初の1回のみ Calibore(カリボール)と綴られ、残る5回は Caliborne(カリボルヌ)と綴られていることが分かる。以下、鈴木訳と原文を引用しながら、順に見ていこう。

腰に佩ぶるは名剱カリボール(エクスカリバー)、 Calibore ot ceinte, s'espee,
刀身すらりと長く、剱幅広ろし;Qui bien fu longue et bien fu lee;
かのアヴァロンの島にて鍛えたる秋水〈つるぎ〉、An l'isle d'Avalons fu fete,
抜身にて所有者〈もつもの〉、自ずと笑みを零〈こぼ〉るる業物〈もの〉。Qui la tient nue molt s'an hete.
(II p.82/739-742行)

サクソン人と戦うため、武具を身に帯びるアルテュール(アーサー)王の様子を詠う場面である。「カリボール(Calibore)」と綴られた剣には、アヴァロンの島で鍛えられたもの、との説明が付されている。物語の末尾では、致命傷を負ったアルテュールがアヴァロンの島(「リンゴの島」を意味する一種の他界)に運ばれて傷の手当を受け、今もブレトン人は「アルテュールは蘇り、必ずや今も生き続けるを」期待していると、ワースは語っている(VIII p.84/4707-4711行)。なお、「カリボール(エクスカリバー)」には次のような後注が付いている。「名剣カリボール(エクスカリバー Excakubus)の名はここに始めて出て来る訳だがマローリー(T. Malory)の「アーサー王の死」に出て来る場所アーサー伝説「石に突き刺さった抜身の剣」を引き抜き、正当な世嗣ぎとして王に迎えられるくだりがまったく見られない。これはモンムートの「列王史」も同じで、この伝説が如何に後代の作者の改作と増補によるかがよく判る」(II p.98)。「モンムートの「列王史」」とはもちろん、ジェフリーの『ブリタニア列王史』のことである。

 アルテュール傷受けたるを覚り     Qant Artus se santi navrez
血汐にまみれたるを見、Et il vit ansanglantez,
いたく怒り、蒼ざめ、血の気失せたり、Molt fu iriez, nerci et taint,
されど前へ進む、少しも躊躇ことなく;Avant passa, pas ne se faint ;
愛剣カリボルヌ(エクスカリバー)右手〈めて〉に持ち、Caliborne ot, s'espee,el poing,
これぞ度重なる危機を切り抜けし業物。Qu'il ot eüe an maint besoing.
(III p.163/1537-1542行)
 
或いは前を、或いは後ろを、 Sovant derriers, sovant devant,
名剱カリボルヌの刀身以てDe Caliborne l'alemele
巨人の脳味噌の中に突き込む。Li anbati an la cervele.
(VI p.83/2996-2998行)

剣の名の登場、2回目と3回目。前者は、フランス遠征の折、ローマよりこの地を任されている騎士フロルと、アルテュール王との一騎討ちの場面。これ以後、綴りはすべて Caliborne(カリボルヌ)と"n"が挿入される。ジェフリーの綴りが Caliburunus(カリブルヌス)だとすれば、こちらの方が原典により忠実なのかも知れない。後者は、ホエル(アルテュールの甥)の姪エレーヌを掠い、これを惨殺した巨人との一騎討ちの場面。2997行目の「カリボルヌ」には、「アルテュール王の自慢の名剱エクスカリヴァーのこと」という後注が付く(VI p.88)。

名剱エクスカリヴァーを手に、大量に血を流すを; Caliborne tient molt sanglante ;
一度〈ひとたび〉觸れたる者は地に倒し、死に至らしむ。Cui il ataint, mort le cravante.
(VIII p.67/4329-4330行)
 
ここにリビアの王、待ち受けたり、Le roi de Libe a conseü,
その名はセルトール、いとも権力ある男;Sertor ot non, riches hon fu ;
その軍団の長〈かしら〉をつとむ、Le chief li a sevré del bu,
アルテュール(王)言う"呪われたる汝、Puis li a dit : "Mal aies tu,
我、この地に名剣持ち来たりしはQant ci venis armes porter
エクスカリバーに、血吸わせんがため。"Por Caliborne ansanglanter."
セルトール一言も言わず、死して横たわる。Cil ne dist mot, qui morz se jut.
(VIII pp.67-68/4343-4349行)
 
アルテュール(王)それを見て、怒り、当るを幸い、Artus les voit, lors s'abandonne,
エクスカリバーを振い、激しく攻撃す。De Caliborne granz cos done.
(VIII p.68/4363-4364行)

4回目から6回目までは、いずれも、ローマ皇帝軍と戦う場面。ここで鈴木は、剣の名を「エクスカリヴァー/エクスカリバー」と表記しているが、原文の綴りはいずれも"Caliborne"である。2997行のように一々注するのが面倒になったのかも知れないが、対訳形式で原文が確認できるため、それでも特に問題はないとも言える。いずれにしても、カリボール/カリボルヌが登場するのは、ここまでである。ワースの語るアルテュールは、ローマ皇帝とも、モルドレッドとも一騎討ちをしないこと(二人とも乱戦の中で命を落とす)、モルドレッド軍との戦いがあまり詳しく描かれていないことも影響しているだろう。したがって、この剣がその後どうなったのかも不明である。

※3 : 以上、『ブリュ物語』については、鈴木徹也の「ウァース : 「ブリュ物語」の"アルテュール王一代記"試訳( I )」(『帝京女子短期大学紀要』14, 1994)及び、渡邉浩司の「アーサー王物語の淵源をケルトに探る」(『ケルト文化事典』(2002)所収)を主に参照。カナ表記は、『ケルト文化事典』(2002)に記載のあるものは同書に拠り、それ以外のものは鈴木に拠った。なお、円卓について、鈴木は「ウァースの独創であるかどうかは判らない」(I p.225)、「ブレトンの"物語作家"の創造したものが原資料であろうという程度しか意見の一致を見ない」とし(III p.147)、清水阿やは『英和対訳 中世韻文アーサー物語 三篇』(1994)所収の「解説―中世イギリスの物語」の中で、「その口吻から察すると、聴衆には「円卓」の話はすでに知られていたらしい」と述べている(p.15)。一方、渡邉はこれをワースの「発明」としている(p.195)。また、鈴木はラヤモンの『ブルート』序文から、ワースが『ブリュ物語』の写本の一つをヘンリー二世の妃、アリエノール・ダキテーヌに献呈したことを記し、これに感激したヘンリー2世の知遇を得たとしている(I p.227)。しかし、渡邉によれば、『ブリュ物語』の執筆そのものがヘンリー2世に命じられたものであり、そこには「王権の権威付けにアーサー王伝説を利用し,自らをアーサー王の正統的な後継者として位置づけるという政治的な意図が働いていた」のだと言う(p.195)。


◆ラヤモン 『ブルート物語』

邦訳あり。未読。


III. クレチアンとフランス中世ロマンス


◆クレチアン・ド・トロワ 『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』(Percevel ou le Conte du graal, 1185頃)

古フランス語で書かれた韻文物語。詩人クレチアン・ド・トロワ(Crestiens de Troies, 1135頃-1185頃)による長篇アーサー王物語第五作だが、作者の死により未完に終わっている。1180年頃、庇護者フランドル伯フィリップから「原本」を与えられ、数年後、詩人がこの世を去るまでに9234行が書かれた。「聖杯伝説」の出発点となった作品で、前半は少年ペルスヴァル、後半はアーサー王の甥ゴーヴァンを主人公とするが、「グアラル(聖杯)」をはじめ、多くの謎が明かされぬままに残されたため、後にいくつもの韻文続篇と、膨大な散文聖杯物語群が作られることになった。なお、詩人クレチアンについては、中世ヨーロッパ最高の韻文物語作家と評される一方、著作が伝わるだけで、その実像はほとんど分かっていない※4

T写本(パリ国立博物館 fonds français 12576)を底本とする天沢退二郎訳(『フランス中世文学集2』(1991)所収)によれば、本作はアーサー王の剣の名前には言及していない。しかし、その一方で、アーサーの甥ゴーヴァン(ガウェイン)の所持する剣が、「エスカリボール」と呼ばれる場面がある。前後の文脈は以下の通り。アーサーの宮廷を訪れた騎士ギガンブレジルに、彼の主君をだまし討ちにした裏切り者、と罵られたゴーヴァンは、自らの名誉を守るためにエスカヴァロンへ向かう。エスカヴァロンに着いたゴーヴァンは、彼をゴーヴァンとは知らない王(ゴーヴァンがだまし討ちにしたというギガンブレジルの主君の息子)の命によって、その妹(美しい乙女)の歓待を受ける。しかし、ゴーヴァンが来ていると知ったエスカヴァロンの市民は、二人のいる塔に攻め寄せる。その時、ゴーヴァンが身につけていた武具について語るのが問題の場面である。引用は天沢訳から。

さあさあ、誰が来ようと、充分持ちこたえられる、塔の扉も入り口も。なにしろ、この腰にあるのはエスカリボール、これまで存在した最高の剣、鉄も木同然に切ってしまう業物だ。(p.252)

天沢訳と同じT写本を底本とするローチ本(Chrétien de Troyes ; William Roach, Le Roman de Perceval ou le conte du Graal, 1956)によれば、剣の名が登場するのは5902行目、その綴りは"Escalibor"である(p.173)。天沢は「エスカリボール」に「アーサーの王権を象徴する名剣。なぜここでそれがゴーヴァンの腰にあるかは、よくわからない」と注している(p.320)。

なお、天沢訳の後注によれば、A写本(パリ国立図書館 fonds français 794)を底本とするルコワ本(Le conte du Graal (Perceval), publié par Félix Lecoy, I, II, Champion, 1973, 1975)ではこの部分は要約されて、剣の名は登場していないらしい(p.320)。また、頭韻詩『アーサーの死』では、ガヴェインの剣の名を「ガラス」(清水訳)、マロリーの『アーサーの死』では「ガラチン」(厨川訳)もしくは「ガラティン」(井村訳)としている。

※4 : 以上、『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』及び、その作者クレチアン・ド・トロワについては、『フランス中世文学集2』(1991)の天沢退二郎による解題及び解説、マルカルの『ケルト文化事典』(原著1999/邦訳2002)を主に参照した。


◆ロベール・ド・ボロン 『メルラン』(散文版)

邦訳の有無不明。


◆作者不詳 流布本『アルチュールの死』(Mort Artu, 1230頃)

邦訳あり。読み途中。


◆作者不詳 流布本『メルラン』(Melrin, 1230-1235頃)

邦訳の有無不明。


◆作者不詳 流布本『続メルラン』

邦訳の有無不明。


IV. 本国への帰還―英語の韻文物語


◆作者不詳 『アーサーとマーリン』(Of Arthour and of Merlin

邦訳の有無不明。


◆作者不詳 『三世代の問答』(The Parlement of the Thre Ages, 1350頃)

1350年頃に成立したと推定される中世英詩。全665行。「私」の見た夢に登場した三人の男、「青年」、「中年」、「老年」の討論を主たる内容とする。この中で「老年」は、九偉人の生涯とその死を語って、この世の富の無価値を説き、悔い改めるように二人を諭すが、この九偉人の一人としてアーサーが登場する。邦訳あり。読了。


◆作者不詳 頭韻詩『アーサーの死』(Alliterative Morte Arthure, 1360頃)

1360年頃成立した中期英語の頭韻詩。作者は不明。全4346行で、ジェフリーの『ブリタニア列王史』をはじめ、多くの歴史物語やロマンスを素材として、アーサー王の宮廷とローマとの不和から、フランスへの遠征、モードレドの裏切りを経て、王の死までを描く。「ソーントン写本」が現存唯一の写本。これはロバート・オヴ・ソーントン(Robert of Thornton)の手で書写されたもので、リンカン大寺院の図書室(Lincoln Cathedral Library)が所蔵する「写本91」(MS.91)に含まれている※5

この詩には、アーサーの剣の名が中盤に2回、終盤に3回の合わせて5回登場する。しかし、中盤に「コルブランド」と呼ばれていたアーサーの剣は、終盤になると「キャリバーン」と呼ばれている。中盤と終盤で、名前が変わるのである。以下、邦訳は清水阿や訳の『頭韻詩 アーサーの死』(1986)から、併記した欧文は、清水が底本とした E.E.S.T. Orig.8(1871)から引用する。


 彼は磨きぬかれた愛剣コルブランドを引き抜き、 He ckekys owette Collbrande fulle clenlyche burneschte,
ゴラバス目がけて進み深手を負わせ、Graythes hyme to Golapas, that greuyde moste ;
その膝をみごと真二つに切断した。Kuttes hyme euene by the knees clenly in sondyre.
(p.264/2123-2125行)(p.63/2123-2125行)
 
王は愛剣コルブランドを揮り上げ、彼をすっぱり斬り裂く。Cleues hym witħ Collbrande clenlyche in sondyre !
(p.269/2201行)(p.65/2201行)

中盤の2回、ローマ皇帝軍との戦闘の場面である。邦訳の2123行には、「アーサー王の愛剣の名称。コルブランド(collbrande)は、'coal-brand'(松明)の意から来たとも言われる。この詩の終末になると「キャリバーン」と呼ばれ、マロリの物語では「エクスキャリバー」となっている」との後注がある(p.406)。ちなみに、邦訳2124行の「ゴラバス」にも後注があり、「アーサー王に斬られた巨人の名」だという(p.406)。


この日、クラレントキャリバーンがともにその事実を明示しよう、 To-day Clarente and Caliburne salle kythe theme to-gedirs,
剣の切尖の鋭さか、あるいはその堅さか、Whilke es kenere of kerefe, or hardare of eghge !
われらはみごとな刄をりっぱな武装にて試すであろう。ffraiste salle we fyne stele appone fyne wedis.
(pp.386-387/4193-4195行)(p.124/4193-4195行)
 
王はキャリバーンを手に勇ましく彼を打ち、The kyng with Calaburne Knyghtly hym strykes,
輝く盾の縁を微塵に砕き、The cantelle of the clere schelde he kerfes in sondyre,
その肩に手幅の深さの傷を与え、In-to the schuldyre of the schalke a schaftmonde large,
そのため輝く鮮血は鎖鎧の上に流れ出た。That the schire rede blode schwede one the maylys !
(p.389/4230-4233行)(p.125/4230-4233行)
 
なおも名剣キャリバーンを手に彼は誠に勇壮に打ち込み、Зitt with Clayburne his swerde, fulle knyghttly he strykes,
精巧な盾を構え、充分にその身を防護する。Kastes ine his clere schelde, and coueres hym fulle faire ;
(p.389/4242-4243行)(p.125/4242-4243行)

終盤の3回、うち1回は戦場で反逆者モードレド卿を発見したアーサー王がカードー卿に語った言葉に、残る2回はモードレドと王との一騎討ちの場面に登場している。清水訳ではいずれも「キャリバーン」と表記されるが、E.E.S.T. Orig.8(1871)で確認すると、少しずつ綴りが変化していることが分かる。なお、「クラレント(Clarente)」はこの時、モードレドが所持していた剣の名である。詳しくは別項(作成中)を参照していただきたい。

※5 : 以上、頭韻詩『アーサーの死』については、清水阿や訳『頭韻詩 アーサーの死』(1986)所収の訳者による「解説」を主に参照。この詩の成立年代について同書は複数の説を紹介しているが、早いもので14世紀の初め、遅いものでは15世紀中期とする説もあるという(p.33-34)。ここで1360年頃を成立年代としたのは、同じ清水訳注の『英和対訳 中世韻文アーサー物語 三篇』(1994)所収の「解説」がこの説を採っていたからである(p.25)。『頭韻詩』「解説」には、「作品に現われる衣裳の研究を証拠とすると一三六〇年が推定される」というオウロクリン(J. L. N. O'Loughlin)の説も紹介されている(p.33)。ただし、マイヤーの『ケルト事典』は、この詩の成立を1400年頃としており(p.8)、結局、正確なところはよく分からない。


◆作者不詳 『アーサー』(Arthur, 14世紀後半)

「初期英語本文協会(EEST)」出版の『アーサー』(Arthur)の編者、ファーニヴァル(F.J. Furnivall)の「序」によれば、ラテン語散文で書かれたブリテン諸王の歴史『ブルート』(Brute)の途中に挟まれた、642行からなる英詩。アーサー王一代の物語で、その誕生から死までを描く。作者は不明。制作年代も不明だが、14世紀の後半頃、イギリス南部の地域で作られたと言われている(以上、清水阿や訳注『英和対訳 中世韻文アーサー物語 三篇』(1994)より)。

この英詩に「エクスカリバー」やそれに類する名のある剣は登場しないが、以下に引用するような箇所が関連部分として挙げられる。引用は清水阿や訳注の『英和対訳 中世韻文アーサー物語 三篇』(1994)から。引用するのは、フランスへ遠征したアーサーと、ローマ権力下でフランスを統治していた騎士フロロとの一騎討ちの場面である(95-100行/和訳p.79/原文p.78)。

アーサーは激昂して怒気を発し、 Arthour was chafed & wexed wroth,
輝く太刀を握って、フロロに迫ります、He hente brounsteel / and to Frollo goth;
輝く太刀は重く、また鋭利、Brounstell was heuy & also kene;
太刀は肩から脇腹にかけて斬り下げ、Fram þe schulder (:) to þe syde went bytwene
そのためフロロは大地に顛倒し、Off frollo / and þan he fell to þe grounde
忽ち死んでいくに相違ありませんでした。Ryзt as he moste / deed (.) in lyte stounde.

原文96行目、brounsteel という単語には、"shining steel, bright sword"という脚注がつき、訳文96行目には、「アーサー王が石から引き抜いたという名刀エクスカリバー(Excalibur [O.F. Excalibor])のこと、ラテン語では'Caliburnas'.」との脚注がつく。訳者清水は、ここに登場する剣をエクスカリバーと見なしているわけである。


◆作者不詳 八行連詩『アーサーの死』(Stanzaic Le Morte Arthur, 1400頃)

1400年頃に成立した中期英語のスタンザ詩。作者は不明。その標題にもかかわらず主人公は円卓の騎士ラーンスロトで、アスカロトの乙女の悲恋、ラーンスロトと王妃グイニヴィアの愛情、円卓の分裂、モードレドの叛乱とアーサー王の死などを経て、ラーンスロトと王妃の死と埋葬までを描く。詩の冒頭から第1672行までは、現存しないフランスの散文ロマンス『ランスロ』、第1673行から最後の3969行までは、同じくフランスの散文ロマンスで Vulgate-Lancelot と呼ばれているものを素材として使用している。大英博物館図書館所蔵のHarley 2252に含まれるものが現存唯一の写本※6

この詩の中で、アーサー王の剣の名が登場するのは、ただ1ヶ所のみ、物語の終盤、アーサー王の死の少し前の場面である。モードレドを倒し、戦闘には勝利したものの、アーサー自身も深手を負い、僅かに生き残った大膳頭ルーカン卿、その弟ベドヴィア卿に支えられて海のほとりの礼拝堂に入る。しかし、王を抱き上げようとしたルーカン卿は力尽き、命を落としてしまう。以下、邦訳は清水阿や訳の『八行連詩 アーサーの死』(1985)から、一部に併記する欧文は清水が底本としているE.E.S.T. Ext.88(1903)から引用する。

王はその場で振り返り、 The kynge tornyd hym there he stode,
 きびしい言葉でベドヴィア卿に、 To syr Bedwere with wordys kene:
エクスキャリバーを持て、わが名刀を、"Have Excalaber, my swerd[e] good ;
 かつて見られなかったすぐれた刀剣、 A better brond was neuyr sene ;
さあ、それを海中へ投げ入れよ、Go, Caste it in the salt flode
 そして、おまえは不思議を見るはず、承知しているのだが、 And thou shalt se wonder, as I wene.
さあ急げ、十字架のために、hye the faste, for crosse on Rode,
 それから告げよ、そこでなにを見たか。」 And telle me what thou haste ther sene."
(p.241/433連/3446-3453行)(p.105/(433)/3446-3453)

ベドヴィア卿は剣を惜しんで木の下に隠し、王に何も見なかったと告げる。しかし、王に嘘だと見抜かれ、ベドヴィアは再び岸辺へ。今度は鞘だけを海に投げ入れ、戻って何も見なかったと告げるが、やはり嘘を見抜かれて「虚偽の裏切者」と罵られる。

ベドヴィア卿は償いを最善と考え、
 名剣のもとへ行き、
海中へそれを投じた、
 そのとき、これがいかなることかを知った。
片手がさっと現われた、水中から、
 そしてみごとにそれを受け止めた。
次に剣も折れんばかり烈しく揮り廻し、
 また次に、きらと閃めいて消え去った。(p.243/438連/3486-3493行)

ベドヴィア卿が戻って見たことを報告すると、 王はその岸辺に連れて行くよう命じる。そこには多くの貴婦人を乗せた立派な船が着いており、王はこの船に乗って、傷の治療のためアヴァロンの谷へと向かう。しかし、終夜、森の中を進み、夜明けに礼拝堂を見つけたベドヴィア卿は、そこでアーサー王の墓を見つける。

※6 : 以上、八行連詩『アーサーの死』については、清水阿や訳の『八行連詩 アーサーの死』(1985)所収の訳者による「解説」を主に参照。マイヤーの『ケルト事典』(2001)で一部補った。


V. マロリーによる集大成


◆トマス・マロリー 『アーサーの死』(Le Morte Darthur, 1485)

中世アーサー王文学の最後を飾る英語による散文物語。騎士サー・トマス・マロリー(Sir Thomas Malory)によって1469年頃までに書かれた一連の物語を、イギリス最初の印刷業者ウィリアム・キャクストン(William Caxton, 1421頃-1491)が21巻(503章)に分け、『アーサーの死(Le Morte Darthur)』という標題をつけて1485年に出版したもの。(詳細執筆中)

以下、第1巻については、厨川抄訳(1971)から要約・引用。ただし、井村訳(2004-)とカナ表記が異なる場合には、井村訳の表記を括弧内に表示した。また、第2巻〜第4巻、第6巻〜第10巻、第13巻〜第17巻は厨川抄訳には存在しないため、井村訳から要約・引用した。

 a. 石に刺さった剣の入手とその活躍(第1巻第2章〜第1巻第9章)

イングランド全土の王ウーゼル・ペンドラゴン(ユーサー・ペンドラゴン)と王妃イグレーヌ(イグレイン)の子アーサーは、マーリンの計らいにより、エクトル(エクター)卿のもとで育てられる。ウーゼル王は病のため、後継にアーサーを指名して亡くなるが、有力な諸侯は兵力を増強し、王位を狙う者も少なくなかった。そこで、マーリンはキャンタベリ(カンタベリー)の大司教に、王国内のすべての諸侯や武将に対して、クリスマスまでにロンドンへ来るように、との呼び出し状を出すよう進言した。キリストが奇蹟によって王国の正当なる王をお示し下さるから、と。そしてその日、ロンドンの一番大きい教会で朝課と最初のミサが終わった頃、教会墓地の主聖壇の前に、大理石のような四角い大石があらわれた。

その大石の中央は、高さ一フィート(約30センチ)の鋼のかなとこのようになっていて、その中に、むき出しの美しい剣がきっ先を下にしてつきささっていた。剣には金文字で次の言葉がしるされてあった。
「この石およびかなとこより、この剣を引きぬきたる者は、全イングランドの正当なる王として、この世に生まれし者なり」(p.35)

荘厳ミサの後、王になりたいと思う数人の者が試みたが、剣を動かすことは誰にも出来なかった。そこで、剣を手に入れたい者は誰でも試してよいこと、正月元旦には馬上槍試合を行うことが取り決められた。元旦、エクトル卿は馬上槍試合に出るため、息子のケイ卿、その乳兄弟であるアーサーを連れてきた。しかし、ケイ卿は剣を忘れたのに気がつき、アーサーに自分の剣を取りに言ってくれるように頼んだ。承知したアーサーは剣を取りに戻るが、家の者は槍試合を見物に出かけていて留守。アーサーは腹を立て、次のように独り言を言う。

「そうだ、教会の境内へ行って、石にささっているあの剣を持って行ってやろう。ケイ兄さんは今日、剣なしでは困るだろう」
(中略)
そこでアーサーは剣の柄を握って、苦もなく、ぐいと石から抜き取り、馬に乗って兄のケイ卿のいるところまで行き、その剣を渡した。(p.37)

剣を引き抜いたのがアーサーだと知ったエクトル卿は、石に剣をさしてアーサーに再び引き抜かせる。アーサーがこれを楽々と引き抜くのを見ると、エクトル卿は彼の前に跪き、自分が本当の父親ではないこと、マーリンから養育を頼まれたいきさつのすべてを告白する。その後、三人は大司教のもとへ行き、剣を引き抜いたいきさつを告げる。その後、諸侯が全員集合して、希望者が剣を引き抜こうとするが、結局、何度試みても成功するのはアーサーただ一人だったため、彼が王位につくことになる。しかし、ロット王ら六人の王は、アーサーがイングランド全土の王となることを認めず、戦争となる。マーリンはアーサーに次のように助言する。

「王さま、奇蹟の力でお手に入れたあの剣は、形勢が不利になったと見きわめるまでは使わないがよろしいでしょう。形勢が不利になってはじめてあの剣を抜いて、存分に活躍なさいませ」(p.47)

アーサーは先頭に立って戦うが、ついに乗っていた馬が殺され、ロット王によって地面にたたきつけられてしまう。それを見たアーサー方の四人の騎士が王を助け起こして馬に乗せる。

この時、アーサー王は剣エクスカリバーをぬいた。この剣はあたかもたいまつを三十本集めたほどの明るさを放って敵の目を射た。この剣を使ってアーサー王は敵を追い散らし、大勢を殺した。(p.48)

あらすじを語るのは一度中断し、ここまでの物語について少し考えてみよう(以下、物語を中断して私の個人的な見解等々を述べる段落に≫を付す)。訳者厨川はこの「エクスカリバー」という文言に、「この剣をエクスカリバーとしたのはマロリーの誤り。エクスカリバーは、後にアーサー王が湖の姫から貰う」と注している(p.48)。確かに、剣の登場からアーサーによる剣の入手、そしてその後のマーリンの台詞に至るまで、この剣に名前は付いておらず「あの剣」、「その剣」などと呼ばれている。それが、ここにいたって名前を付されるのは少々不自然だと言えなくもない。ただし、それだけの理由で、曲がりなりにも作者であるマロリーに対して「誤り」とまでは言えないだろう。少なくとも、ここまでの剣に関する記述に矛盾はない。奇蹟の力で手に入れた剣の名は「エクスカリバー」だったのである。物語を進めよう。

 b. 剣が折れる(第1巻第21章〜第1巻第23章)

ある日、一人の騎士従者が、傷を負って死んだ一人の騎士を連れてアーサー王の宮廷を訪れた。彼は、森の泉のほとりに一人の騎士が天幕を張っていて、その騎士が自分の主人を殺したので、仇をとって欲しいと言う。騎士に叙任されたばかりのグリフレットが、この泉のそばの騎士と一騎討ちをするが、重傷を負って宮廷へ戻ってくる。そこで、アーサーはただ一人、この騎士と闘うために宮廷を出る。両者は馬上で槍を手にぶつかり合うが、三度目にアーサーは馬ともども倒される。アーサーが剣を抜くと、彼の騎士も馬を降り、両者は剣を手に長い間戦う。

ついに二人の剣が同時に降りおろされ、がっしと刃と刃が合った。騎士の剣がアーサー王の剣を二つに割ってしまった。アーサー王は悲しんだ。(pp.94-95)

騎士はアーサーに降伏しなければ殺すと脅すが、アーサーはこれを拒み、その騎士ペリノア(ペリノー)王を投げ飛ばして兜を引き剥がす。しかし、偉丈夫のペリノア王は、間もなく逆にアーサーを組み伏せ、兜を剥がして首を切り落とそうとする。

≫さて、アーサーの剣が折れる場面だが、ここには「エクスカリバー」という名前は登場していない。そのため、ここで折れた剣が「エクスカリバー」なのかどうか、奇蹟によって石から引き抜いたあの剣なのかどうかは厳密には判断できない。ただ、この直後にアーサーは「わしには剣がない」と述べているので、この折れた剣の他に、その身に剣を帯びていなかったことは確かである。そのため、石から引き抜いた剣がここで折れた、と考えるのが最も自然な解釈だろう。物語に戻ろう。

 c. 湖の貴婦人から新たな剣を入手(第1巻第24章〜第1巻第25章)

そこにマーリンが現われて、魔法でペリノア王を眠らせ、アーサー王の命を救う。二人はその場を離れて、偉大な医者である一人の隠者のもとを訪れ、アーサーの傷を癒す。三日後、馬に乗って立ち去ることが出来るようになると、そこを出発する。

王とマーリンが馬を進めている時、アーサー王は、「わしには剣がない」と言った。
「御心配には及びません。この近くにひとふりの剣があります。首尾よくゆけば、その剣は王さまのものとなるでしょう。」とマーリンが言った。
 そこで二人は馬を進め、ついに湖に出た。広い美しい湖であった。湖の真中に、白い豪華な絹をまとった腕がぬっと出ていて、手に美しい剣を掴んでいるのが王の目に入った。
「ごらんなさい! あそこに、さっき申し上げた剣がありますよ」とマーリンが言った。
 その時、二人は、一人の乙女が湖の上を渡って来るのに気がついた。
「あれはどういう娘だ?」とアーサー王がたずねた。
「あれは湖の姫です」とマーリンが答えた。「あの湖の中に岩があり、その中は地上には見られぬほど美しいところで、豪華な調度がととのっています。そしてあの姫は間もなく王さまのところへ来るでしょうから、王さまは姫にていねいに話しかけて下さい。そうすれば姫はあの剣をくれるでしょう」
 待つ間もなく姫はアーサー王のそばへ来て、会釈したので、王も会釈を返した。
「姫よ、あれはどういう剣なのか、あそこに、一本の腕が水の上にかかげている剣は? 私は剣を持っていないから、あれがほしいのだが」
「アーサー卿、王さま、あの剣は私のものでございます。もし私が王さまに欲しい物をおねだりした時に叶えて下さるなら、あの剣を差し上げましょう」
「神かけて、そなたの欲しい物は何なりと与えましょう」
「それならば、よろしゅうございます。あそこのあの舟にお乗りになって、あの剣のところまで漕いでいらっしゃいませ。そして、剣と鞘をお取り下さいませ。おねだりの品は私が頃合いを見計らって申し上げます」
 そこでアーサー王とマーリンは馬から降り、馬を二本の木にそれぞれつなぎ、舟に乗りこんだ。例の手が握っている剣のところまで来ると、アーサー王は剣の柄に手をかけて、取った。すると、その腕も手も水中に消えうせた。そこで、二人は岸に上がり、馬を進めた。やがて豪華な天幕が目に入った。(pp.97-98)

アーサーは天幕についてマーリンに尋ねる。マーリンはそれがペリノア卿のものであること、しかし、ペリノア卿は不在であること、さらに、我々は間もなく大道でペリノア卿に出会うであろうことを告げる。アーサーはペリノア卿と再び対戦しようとするが、マーリンは、彼と彼の子ども達がいずれ王の役に立つことを予言してそれをとめる。

「ペリノア卿に会ったら、お前の忠告どおりにしよう」アーサー王はそう答えると、剣を眺めた。王はこの剣がたいへん気に入った。
「王さまは剣と鞘とどちらがお好きですか?」とマーリンがたずねた。
「剣の方が好きだ」とアーサー王は答えた。
「それはご懸命ではありませんな。なぜなら鞘の方が剣の十倍も値打ちがあるのです。この鞘を身につけていらっしゃる限り、一滴の血も流れませんし、重傷を負うこともありません。ですから、いつもその鞘を身につけておいでなさい」(pp.99-100)

≫二本目の剣の入手である。ここにもまた「エクスカリバー」の名は登場していない。また、「湖の姫」(井村訳では「湖の貴婦人」)の望むものは、結局、第1巻のうちには示されず、厨川抄訳には登場しない。これが明かされるのは第2巻である。

 d. 湖の貴婦人により剣の名が明かされる(第2巻第1章〜第2巻第3章)

ある時、アーサー王の宮廷に、腰に剣を帯びた一人の乙女が現われる。彼女は、働き優れ、悪心も逆心もない、高貴な血筋を受けた者にしか、鞘からこの剣を引き抜くことが出来ないと言う。アーサーをはじめとして多くの円卓の騎士がこれを引き抜こうとするが、引き抜くことが出来たのは、騎士ベイリンだけだった。乙女はベイリンに剣を返すように言うが、ベイリンはこれを拒んで剣を我が物とする。乙女はその剣がベイリンの身を滅ぼすことを予言し、悲嘆にくれて立ち去る。そしてベイリンもまた、引き止めるアーサー王に丁重な礼を述べ、宮廷を出立しようとする。

この騎士が出発の準備を整えているとき、宮廷に「湖の貴婦人」と名乗る貴婦人がやって来た。婦人は馬に乗り豪華に身を装い、アーサー王に挨拶すると、婦人はかつて王に剣を与えたとき、王に返礼に約束した贈り物を所望した。
「いかにも、私はそなたになにがしかの品を約束した」とアーサーは言った。「しかし、私はそなたからもらった剣の名を忘れてしまったのだ」。
「その名はエクスカリバーと言います。『切り裂く鋼』という意味です」と貴婦人は言った。
「確かにその通りだ」と王は言った。「望みのものを申すがよい、何なりと取らせよう、私にはそなたの望みが叶えられるはずだ」。(p.105)

貴婦人が所望したのは、先に剣を帯びて宮廷を訪れた乙女の首か、もしくは剣を抜くことの出来た騎士の首だった。何故なら、貴婦人にとってその騎士は兄の仇であり、その乙女は父を死なせる原因となった者だからだと言う。アーサーはこれを拒み、別のものを要求するように言うが、貴婦人は譲らない。ベイリンは出発の準備をしていたが、貴婦人が自分の首を要求しているのを聞いて、王の面前でこの貴婦人の首をはねてしまう。この貴婦人こそは、人を使って彼の母を殺した張本人であり、彼が三年もの間、探していた相手だったからだ。しかし、怒ったアーサーはベイリンを追放し、ベイリンは貴婦人の首を持って宮廷を立ち去る。

≫アーサーは「忘れた」などと言っているが、そもそも貴婦人から剣の名を聞くのは、これが初めてのはずである。そして、剣の名は「エクスカリバー」。ここにきてようやく厨川の先の注の意味が判明する。作者マロリーは、作中の人物、それも剣の元の持ち主である湖の貴婦人の口を借りて、その剣の名を「エクスカリバー」だと明かしているのである。したがって、この剣は間違いなく「エクスカリバー」なのだ。とすれば、石に刺さった剣について「エクスカリバー」と書いてしまった先の記述の方を、マロリーの「誤り」と見るのが合理的な解釈というものだろう。 ただし、本文で指摘したとおり、石に刺さった剣は、フランスの散文物語ですでに「エスカリボール」と呼ばれている。そのため、小路(2006)はこの厨川の注に言及して、「むしろこれはマロリーがこの本(流布本『メルラン』:引用者注)に目を通していたことを示すものであろう」と述べている(p.82)。「合理的な解釈」をすべきか否か、も問題なのである。

 e. 鞘のすり替えを予告(第2巻第9章〜第2巻第11章)

ベイリンとその弟ベイランはマーリンの助力を得て、アーサーと敵対していた北ウェールズのライエンス王を捕らえ、アーサーの宮廷に引き渡して立ち去る。ライエンス王の弟ネロはすぐさまアーサーに戦いを仕掛けるが、ベイリンとベイランの活躍によりアーサー方が勝利を収める。ネロ方のロット王はペリノーに殺されたが、その葬儀には妻マーゴースが、ガーウェインら四人の息子を連れて参列する。アーサーはベイリン、ベイラン、そしてペリノーの消息についてマーリンに尋ね、マーリンは、ペリノーはすぐに王に会いに来ること、ベイリンも近い将来姿を見せること、しかしベイランが王に会うことは二度とないことを予言する。

「まったくの話」とアーサー王は言った。「あの二人は驚くべき騎士だ。ベイリンの勇猛さは私の見たどんな騎士にもまさるものだ。私はあの者に多くを負うている。神の意思でどうかあの者が私のもとにとどまるように」。
「王よ、エクスカリバーの鞘を大切にするようお気をつけなさいませ」とマーリンは言った。「あの鞘を身につけている限り、どれほど多くの傷を負おうとも、王は一滴の血も失うことはないのですから」。(しかし後になって、アーサーは相手を大いに信頼して、鞘を姉のモルガン・ル・フェにあずけた。ところが彼女は別の騎士を、夫のユーリエンス王よりも、アーサー王よりも愛しており、しかも弟のアーサー王が殺されるのを望んでいた。そこで彼女は魔法で本物そっくりの鞘を別に作らせ、エクスカリバーの鞘を自分の恋人に与えた。この恋人の名はアコーロンといい、後にアーサー王をもう一歩で殺すところまで迫ったのである。)このあと、ソールズベリーの近くで大きな戦があり、自分の息子モードレッドが王に反逆するだろうという予言をマーリンはアーサー王に語った。また彼は王に、バグデマグスが王の従兄弟であり、またユーリエンス王の兄弟である、とも言った。(p.125)

≫マーリンの台詞はやや唐突だが、それだけに印象的でもある。鞘の力への言及はこれが二回目だが、ここでは後にアーサーがこの鞘を失ってしまうことが予告されている。この鞘のすり替えと、アーサーとアコーロンとの戦いについては第4巻で語られることになる。

 f. マーリンによる予言と警告(第4巻第1章)

アーサー王が、ロデグランス王の娘グィネヴィアと結婚した後のこと。マーリンは、ペリノー王が宮廷に連れてきた乙女を溺愛するようになる。彼女は「湖の貴婦人」の一人で、名をニミュエと言う。乙女の方もマーリンに愛想よくしたので、マーリンから何でも自分の望むことを教わることが出来るようになる。

 そこであるとき、マーリンはアーサー王に自分の命はもう長くない、と言った。自分の術をもってしても、自分が間もなく地中に埋められるのを阻むことができない、と。そこでマーリンは、王にこの先起こることを、教えて語り聞かせたが、王に自分の剣と鞘を大切にするように、と終始警告しつづけた。マーリンは、王の剣と鞘が、王がもっとも信頼している女性によって盗まれることになる、と王に語ったのである。(p.188)

乙女はほどなく宮廷を発ち、マーリンもそれに従う。マーリンはいつも乙女を求めて、そのすぐそばに寝るので、彼女はうんざりし、彼から解放されたい、と思うようになる。ある時、マーリンは魔法の力で作られた岩を乙女に見せる。乙女は巧妙にしくんでマーリンを岩の下に行かせ、どんな術を用いてもそこから出られないようにしてしまう。そして、マーリンをそこに置き去りにして立ち去る。

≫マーリンがいかにしてアーサーのもとを離れたかを語る章段である。ここに「エクスカリバー」の名はないが、先の記述とあわせて考えれば、ここで語られている剣はまず間違いなくエクスカリバーのことだろう。なお、先の部分で鞘のすり替えを予告していたのは地の文だったが、ここではマーリンの、つまり物語中の登場人物の言葉として、剣と鞘が失われることを予言している。

 g. モルガンによる剣のすり替えとアコーロンとの一騎討ち(第4巻第6章〜第4巻第12章)

執筆中

 h. モルガンが鞘を盗んだこと(第4巻第14章)

以下、調査中。



〈ネット検索:「エクスカリバー」〉

◇調査日:2004/07/02
◇方法:Googleで、4,285,199,774ウェブページから検索
◇対象:ヒット数約17,100件、うち上位100件を集計

項目HIT内訳
映画の題名3219『エクスカリバー』ジョン・ブアマン監督映画(製作:イギリス/1981年)。原作はマロリーの『アーサーの死』。原題は"Excalibur"。
『エクスカリバー戦記』アンソニー・ヒコックス監督映画?(製作:イギリス・ドイツ・アイルランド/1997年)。アーサー王伝説をモチーフに。
『エクスカリバー 聖剣伝説』スティーヴ・バロン監督映画(製作:アメリカ/1998年)。アーサー王伝説を映画化。原題は"Merlin"?
上記三作についての感想。
上記中、ブアマンとバロンの映画を含む英国映画の紹介。
ホテルの名前1515エクスカリバーアメリカ・ラスベガスにあるホテル。
テレビゲームに登場エクスカリバーII『ファイナルファンタジーIX』(PS・RPG・スクウェア・2000)に登場する武器(入手困難)。
エクスカリバー『ファイナルファンタジーIX』(PS・RPG・スクウェア・2000)に登場する武器。
エクスカリバー『ファイアーエムブレム外伝』(FC・SRPG・任天堂・1992)に登場する魔法。
★本家「エクスカリバー」
商品名(形状が剣以外)エクスカリバー(ATV-1000)カーセキュリティーシステム(オメガ社)
エクスカリバー高耐久型熱電対(アルミニウム精錬工程・石灰焼成炉・発電所等々で採用)(オーストラリア製)
STX エクスカリバーラクロスの男性用スティック(STX STICKS)。
エクスカリバーシリーズルアー・プラドコ社のベストヒットルアーである各種のプラグを、有名バスプロ達が特別チューニングしたもの(らしい)。
エクスカリバーSパチスロの機種((株)ネット)。
小説・コミック等(公刊)の題名『エクスカリバー!』巣田祐里子著(コミック)・新声社(ゲーメスト・コミック)・1997・RPG風ファンタジー。物語中に聖剣としてエクスカリバーが登場する(らしい)。
『エクスカリバー最後の閃光』バーナード・コーンウェル著(小説)・全上下巻・原書房・1998(下巻)・小説アーサー王物語。
商品名(形状が剣)エクスカリバーレプリカ(鎌倉の土産屋・山海堂で販売)
「エクスカリバー」シリーズミニチュアソード/レターオープナー(登録商標アルファクト)
企業名エクスカリバー テクノロジーズアメリカのマルチメディア・ソフトウェア開発企業:全文・イメージ検索ソフトウェア『エクスカリバー リトリーバルウェア』開発ツールキットを製作している(らしい)。
インターネット エクスカリバー千葉の総合WEBサービスの会社。
「トスカナのエクスカリバー」トスカナのエクスカリバーイタリア・トスカナ地方シエナの聖ガルガノ修道院にある、中世より「岩に突き刺さる聖剣」として知られる剣(この剣の本格的発掘調査が開始される、というニュースが2004年3月5日に流れた)。
その他14エクスカリバーJr.東京で活動中の「宅録ギターポップ」のバンド。
エクスカリバー
 ―美しき騎士たち―
宝塚のミュージカル・1998年宙組お披露目公演だった(らしい)。/舞台はアーサー王の死後数世紀を経た中世イングランド。聖剣エクスカリバーが再びこの世界に出現し、新たな王が誕生するまでを描く作品。
エクスカリバー自作小説の題名(物語中に巨石に突き刺さった剣が登場)。
エクスカリバー行列数値計算,計量経済分析用統計計算C言語ライブラリーの名称(神山卓也氏の開発による)。
ザ・エクスカリバーサイト名(MPGB(マルチプレイヤー・ゲームブック)のサイト)
エクスカリバーTRPGに登場した武器?(ログアウト誌で1995年6〜12月号に連載していた『火焔の塔』というリプレイに登場した最強のカタナ…らしい)
YF−19(エクスカリバー)アニメ『マクロスプラス』に登場した戦闘機(「マクロスプラス」時代に普及している戦闘機「VF−11」の主開発会社である「新星インダストリィ社」が試作した次世代の可変戦闘機)。
エクスカリバー自作の落ちモノパズルゲームの名称。
ザ・エクスカリバーカナダ・ウィスラービレッジにあるブラッコムスキー場への連絡ゴンドラ。
エクスカリバークラシカルなリムジン(ハワイ結婚式用?)。
エクスカリバー自作小説に登場する武器(ナムコのアーケードゲーム「ドルアーガシリーズ」にもとづく自作小説に登場する剣)。
エクスカリバーキャラクター(カナブン)の名前(「カナブンファイト」というページで、何だか分からないが昆虫同士がトーナメント戦を繰り広げている。エクスカリバーという名のカナブンのほか、レッド=ハリケーンという名のキボリカミキリがいたり、金谷文吉やベイオウルフといったダイコクコガネがいたり…。サイコロを使った対戦ゲームか?)
合計100

映画というメディアのメジャーさを痛感する結果になった。3割が映画ネタである。テレビゲーム関係がもっと伸びると思ったのだが、引っかかったのは『ファイナルファンタジーIX』と『ファイアーエムブレム外伝』の2作のみ。この他に私が知っているだけでも、FFシリーズの他のタイトルはもちろん、『テイルズ・オブ・ファンタジア』、『聖剣伝説』などにも武器名として登場したはずだが、「エクスカリバー」の名称があまりに有名すぎるため、100件以内では引っかからなかったのだろう。

その代わり、面白い商品がたくさんヒットした。カーセキュリティシステムにこの名前はどうだろう? 攻撃的過ぎる気もするが…。また、ラクロスのスティックはまだしも、ルアーに「エクスカリバー」って…。その他、ホテル、ゴンドラ、リムジン、ポップバンドからIT企業まで、みんなそろって「エクスカリバー」なのが楽しい。ちなみに、理系に弱い館長には「熱電対」というのがどういうモノなのかよく分からない。もし詳しい方がいたら、教えていただきたい。

なお、剣以外の「エクスカリバー」に私が違和感をおぼえるのは、「エクスカリバー=剣」というイメージが強いからだと思われる。このイメージが希薄な人間は、ルアーに「エクスカリバー」の名がつけられていてもあまり気にならないに違いない。競馬好きの私の友人が、「デュランダル」という競走馬を知っていて、それがロランの剣だと知らなかったように。ただし、私に「エクスカリバー=剣」というイメージを植えつけたのは、マロリーなどではない。それはFFに代表されるテレビゲームである。ゲーム製作者とゲームプレイヤーから成るゲーム界内部でのFFの影響力は大きいのである。

※追記
 2005年2月17日、先に挙げたポップバンド「エクスカリバーJr.」のメンバーtarajanさんご本人から、掲示板に書き込みを頂きました。tarajanさんによれば、バンド名の直接の由来はJ.H.ブレナンのゲームブック『グレイルクエスト(邦題:ドラゴンファンタジー)』シリーズに登場する喋る剣「エクスカリバーJr.」なのだそうです。なお、同シリーズ第一巻『暗黒城の魔術師』は、1984年にイギリスのフォンタナ社から出版され、1985年7月に二見書房が邦訳を出版。長らく絶版でしたが、2004年11月に創元社から復刊したようです。興味のある方はどうぞ。tarajanさん、貴重な情報、どうもありがとうございました。


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2004/09/19:初版
2005/02/21:〈ネット検索〉に追記・修正
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2008/12/13:一部修正
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